春
「ただいま」
扉を開けながら、灯が部屋へ入る。
「おかえりなさい、灯さん」
君はソファから立ち上がり、彼女を迎えた。
灯は靴を脱ぎながら、ふと思い出したように口を開く。
「ねぇ。神様のゲームで、なんであんな選択したの?」
「またその話ですか?」
君は少し困ったように笑う。
「必死だったので、正直あまり覚えてません」
「じゃあさ」
灯は振り返り、面白そうに目を細めた。
「必死だった君が、何考えてたか当ててあげようか」
君は黙ったまま彼女を見る。
灯は軽い調子のまま続けた。
「私に見捨てられたくなかった」
「……当たり前の思考だと思いますけど」
「なら、なんで私の命も自分の命も賭けのチップにしたの?」
言葉が止まる。
君は視線を逸らし、小さく息を吐いた。
「それは……すみません」
「いや、別に責めてないよ?」
灯は肩を竦める。
「結果的には最善手だったし」
そこで少しだけ間を置いた。
「でも、本当はこう考えてたんじゃない?」
灯の声が少し静かになる。
「――どっちも死ねば、見捨てられるとか関係ない」
君の表情が僅かに揺れた。
「……何が言いたいんですか?」
「別に」
灯は淡々と続ける。
「ヴルカーン討伐に協力しないのも、自分が死にたくないっていうより、私に死んでほしくないからでしょ?」
「当然です」
即答だった。
灯は少しだけ笑う。
「じゃあさ。行くのが犬飼一人だったら?」
沈黙。
君は答えない。
「まぁ、仲良いわけでもないし。止める義理がないのも分かるよ」
灯はソファへ腰を下ろしながら続ける。
「それより、唯一自分を認めてくれた人を手放したくないもんね」
君の声が低くなる。
「……もう一度言います。何が言いたいんですか?」
「悪いとは言ってないよ」
灯は君を見る。
「でも、私はどのみち独断で行く」
「止めますよ」
「君が? どうやって?」
次の瞬間。
視界が反転する。
気づけば君は床へ組み伏せられていた。
「止められるわけないでしょ」
灯の声は穏やかだった。
「……それでも」
「別に簡単なんだよ?」
灯が君を見下ろす。
「君がヴルカーン討伐にホイホイ付いてくる魔法の言葉を言えばいいだけ」
「………」
灯は少しだけ笑った。
「ヴルカーンと戦わないと、見捨てちゃうよ」
その瞬間。
君の目から涙が零れた。
灯は小さく目を瞬かせる。
「……泣かなくてもいいのに」
「どうしたんですか、急に……」
「君を説得するのなんて簡単だよ」
灯は静かに言う。
「でもさ。それでいいの?」
君は黙る。
「私の操り人形になるだけで」
「………」
「君の人生は、君のものだよ」
そこで初めて、感情が爆発した。
「灯さんに何が分かるんですか!!」
君の声が震える。
「いつも評価されて、見てもらってる人に!」
灯は反論しない。
ただ静かに聞いている。
「綺麗事を言うのは簡単ですよ」
「確かに簡単だね」
灯はあっさり頷いた。
「でも、その綺麗事を少しでも実行しないと、君は変われないよ」
君は拳を握る。
「親にも見捨てられた。誰も見てくれない。そんな現実で苦しんでるんです」
「だからこそ、君自身が変わらないと」
「……こんな風にですか?」
過剰な感情。
その瞬間、コピー条件が満たされる。
空気が凍りついた。
室温が急激に下がる。
君の周囲から白い冷気が漏れ出していた。
灯は静かにそれを見つめる。
「それは違うよ」
「……何が」
「上っ面だけだから」
灯は迷いなく言い切った。
「中身が変わってない」
君は歯を食いしばる。
「でも、その上っ面で周りは評価するんですよ」
「評価されれば満足?」
「当たり前じゃないですか」
灯は少し考えるように目を伏せた。
「じゃあ、なんで最初に会った頃」
「カタスト倒してる時、あんな寂しそうな顔してたの?」
君の呼吸が止まる。
「周りはちゃんと評価してたよ?」
「……飽きただけです」
「自分自身を見られてないって、気づいたんじゃないの?」
君は睨み返す。
「灯さんこそ、自分を見られてると思ってるんですか?」
「全然?」
灯は即答した。
「そもそも評価されたいなんて思ったことないし」
「神様を殺すのだって、やるべきだからやるだけ」
君は吐き捨てるように言う。
「恵まれてる人の戯言ですね」
「まぁ、それはそうかもね」
灯は否定しなかった。
「他人の評価で生き方決めないで済む分、恵まれてるとは思う」
君は少し拍子抜けしたように眉を寄せる。
「……反論しないんですか?」
「してほしいの?」
「好きにどうぞ」
灯は少しだけ笑った。
「君のお兄さんってさ」
その瞬間。
部屋の温度が更に下がる。
「人から評価されるとか、考えてなかったと思うよ」
「だから君を助けたんでしょ?」
君の視線が鋭くなる。
「兄に出来たから? あの人は特別だから?」
君の声が低くなる。
「それを言い始めたら終わりだと思いません?」
「うん。その通り」
灯は迷わず頷いた。
君が目を見開く。
「……は?」
「言い始めたら終わりだよ」
灯は静かに続ける。
「だから、自分に出来ることを精一杯やるしかない」
「結果がどうでも、自分が納得出来るように」
君は苦々しく笑う。
「言うのは簡単ですね」
「でも、君に出来ないとは思えない」
「……なんですか、それ」
灯は立ち上がりながら肩を竦めた。
「自分で考えな」
沈黙。
少しだけ、部屋の空気が落ち着く。
灯は君を見る。
「焦らなくていいよ」
長い沈黙の後。
君はぽつりと呟いた。
「……春」
「ん?」
「一ノ瀬春。それが俺の名前です」
灯が少しだけ目を丸くする。
「なんで急に言おうと思ったの?」
春は視線を逸らした。
「少なくとも、兄の名前で評価されるのは面倒だったからです」
そして静かに続ける。
「ヴルカーンは討伐します」
「二人を捨て駒にしてでも」
灯は数秒黙った後、ふっと笑った。
「へぇ……面白い方向に吹っ切れたね」
そして手を差し出す。
「よろしく、春」
春はその手を見て、小さく頷いた。
「……よろしくお願いします」




