ギルバートの思惑
物置小屋を出たクロエは、薄暗い森の道なき道を、魔法研究所に向かっていた。
高く聳え立つ防壁に囲まれた王宮は、気が遠くなるほどに広大だ。
紫の輝きを放つ絢爛豪華な王城を中心に、美しく整備された庭園や騎士の詰所が規則正しく並ぶ。
しかし、その完璧な配置を無視するように、城門の脇に石の要塞のような無骨な建物――魔法研究所が鎮座している。
あの物置小屋は、さらにその背後の森の奥――誰も気に留めることのない場所にひっそりと隠されていた。
クロエが直接王城に向かわず、わざわざ魔法研究所までやってきたのは、物資を運ぶための魔道具を借りるためだった。
それは『無限積載車』。
一見ただの荷車だが、内部には空間拡張の術式が施されており、見た目の何倍もの荷物を積むことができる。
しかも、手綱を持つだけで自走する優れものだった。
だがその術式を扱える魔法士はすでにおらず、修理もできない。
今となっては、わずかな台数しか残されていない貴重な魔道具だった。
魔法研究所の受付で、クロエが魔道具の貸し出し簿を記入していると、背後から不快なだみ声がした。
「おい、あのクソガキの様子はどうだ?」
口の端を歪めたヴァーゴが、クロエを見下すように立っていた。
「仲良くやってるか?」
(フン、自分こそギルバート様の一番の部下だって顔しちゃって……)
クロエは内心の嫌悪感を隠し、冷ややかに視線を返す。
「私が報告をする相手はギルバート様だけです。
あなたにお話しする義務はございません」
取り付く島もないクロエの言葉に、ヴァーゴはあからさまな舌打ちをすると、鋭い目つきでクロエを睨んだ。
「俺が拾ってやったんだってことを忘れるんじゃないぞ。この恩知らず」
クロエはヴァーゴを完全に無視すると『無限積載車』を携えて王城に向かった。
◇◇◇
かつてのクロエは、公爵家の令嬢『公女』だった。
威厳のある父、美しい母に可愛がられ、たくさんの豪華なドレスや大勢のメイドに囲まれた、何の不自由のない幸せな日々を送っていた。
しかし、『色彩の儀式』を境に何もかも変わってしまった。
クロエの手元からは『緑』の光が発せられたのだ。
しかも魔力量は『中』。
貴族にあるまじき色と量。
優しかった父母は、瞬時に冷酷な他人へと変貌した。
クロエは貴族令嬢の象徴である長い髪を切り落とされ、「公爵家には存在しなかったもの」として王宮に引き渡された。
それから何年もの間、この魔法研究所で奴隷のように扱われながら、過酷な下働きをさせられていたのだ。
だが、所長に就任したヴァーゴが、彼女の天性ともいえる素早い身のこなしに気づいた。
「王子に認められれば貴族に戻れる」と唆し、ギルバートへの点数稼ぎのつもりで、クロエを差し出したのだった。
◇◇◇
王城の中心に聳え立つ、最も高貴な者たちが集う中央塔。
らせん状に続く長い大理石の階段を上るほどに、窓の外の世界は小さくなっていく。
ギルバートの執務室は、国王陛下が座す最上階に次ぐ高さにあった。
まるで下界の人間すべてを見下ろすかのような位置からの眺めを、ギルバートは気に入っていた。
高い防壁に遮られ、そこからは国土も国民も見えはしなかったが。
控えめなノックの音がすると、クロエがスッと入ってきた。
「――ご報告いたします」
そして、物置小屋での出来事を語ってみせた。
メイシーの口調が妙に年寄り臭いこと。
そして、物置小屋はおろか、見るのも憚られるほど悲惨な状態だったトイレを、一瞬で快適な空間に変貌させてしまった、信じられない修繕能力の詳細を。
「下賤な話をするな」
ギルバートは不快そうに顔を顰めた。
「私が知りたいのは、その小娘がどのような人間なのかではない。『能力』の限界だ。
……だが、ただの掃除屋かと思えば、そこまでの修繕能力を、しかも範囲を広げて見せたというのか……」
ギルバートは宙を見つめ、しばし考えた。
「『あいつ』はどうした」
「アルカイドは、ご指示通りに封鎖結界を張っております」
「ふん」
執務机には、決裁を待つ書類が山と積まれている。
父国王が政務を放棄しているために、その仕事のほとんどがギルバートの元に押し寄せてきているのだ。
それは好都合でもあり、ため息が出るほど面倒でもあった。
「いちいち私の指示を受けずとも、その小娘の限界を見極めてこい」
「御意」
クロエはさらに深く頭を下げ執務室を辞すと、その足で王城の厨房へと向かった。
溜まっていた生ゴミを『無限積載車』に放り込む。
次いで、廃棄所で泥と油でギトギトになったボロ布やガラクタを、空間拡張の機能をいいことに容赦なく山積みにしていった。
(ふん。ギルバート様をこれ以上煩わせる前に、泣きっ面をかかせてやるわ)
ゴミを満載した『無限積載車』は、自動で滑るように進む。
クロエはギルバートに「よくやった」と褒められる自分を思い浮かべ、うっとりと微笑みながら、再び森の奥の物置小屋へと向かうのだった。




