ボロ小屋の奇跡
「ここでせいぜいおとなしくしてるんだな」
ヴァーゴはこれでお役御免とばかりに、サッと踵を返し立ち去っていった。
(やれやれ、おじさん呼ばわりしたのを根に持っているのかい? 度量の小さい男だ)
遠ざかっていくヴァーゴの背中を見送った私は、腰に手を当て、ボロ小屋を見上げた。
「ふむ、なかなか年季が入ってるね。
でも、雨風がしのげるだけ上等さね」
ヴァーゴは嘲笑っていたが、前世の記憶がある今、どうということはない。
戦後の動乱期、薄いトタン屋根のあばら屋で必死に生き抜いてきた経験に比べれば、壁があるだけ御の字だ。
私が小屋を検分しようと歩き出した、その時だった。
「失礼。あなたがメイシー殿か」
鬱蒼とした木々の隙間から、ガサガサと音を立てて、背の高い男が姿を現した。
(おやまあ、けっこうな男前が登場したじゃないか。
とはいえ、ずいぶんくたびれていること)
端正な顔立ち。白銀の髪は短く切りそろえられ、城門の兵士と同じように重々しい鎧を纏っている。
が、その隙間から見える服は薄汚れ、目の下には酷いクマがある。
腰には大きな剣を携えていたが、刃の根元にうっすらと赤サビが浮かんでいるのが見えた。
「私はアルカイド・フォン・ベネトナシュ。
第一王子ギルバート殿下より、ここであなたの警護に従事するよう仰せつかった」
「そうなの。私はメイシー! よろしくね、アルさん!」
私はピョコンとお辞儀をした。
「……アルカイド・フォン・ベネトナシュ、だ」
アルが真面目な顔で言い直す。
「長すぎて舌がこんがらがっちゃうよ。アルさんでいいでしょ?」
「……ご随意に」
案外あっさりと諦めてくれた。
「……ところでアルさん。
ずいぶんお疲れのようだけど、最後にちゃんとしたお布団で寝たのはいつ?」
「は? お、お布団……?
いや、騎士たるもの、任務中は仮眠で十分……」
「しっかり寝て、しっかり食べなきゃ、いい仕事なんかできないよ!」
初対面の七歳児から、まるでばあさんのような小言を食らい、アルは目を丸くして絶句している。
そこへ、もう一つの足音が近づいてきた。
「ふん、ただの平民のガキのくせに、ずいぶんと生意気な口を叩いてるじゃないの」
冷ややかな声と共に現れたのは、メイド服に身を包んだ高校生くらいの女の子だった。
くすんだ緑色の髪を耳元でスッパリと切りそろえている。
(まぁ、ずいぶんと思い切りのいいおかっぱ頭ちゃんだこと……二番目の孫によく似ている)
私は生意気盛りだった頃の孫娘を思い浮かべた。
「私はクロエ。
ギルバート様から、あんたの世話係を命じられたわ。感謝しなさい」
クロエはツンと顎を尖らせて私を見下ろした。
「はいはい、クロエさんね。よろしく!」
私が軽く返事をすると、クロエはキッと睨みつけてきた。
「……前もってお伝えしておきます」
今にもとびかかってきそうなクロエを抑えるように、アルが話し始めた。
「私は『白』の使い手です。
ギルバート殿下より、この小屋の周囲に結界を張るよう命じられております」
「結界?」
「はい。私が許可するか、一緒にいる時でなければ、メイシー殿はこの敷地から一歩も外へは出られないということです」
(なるほど。体のいい軟禁状態ってことか)
「ガッテン承知之助だよ。
どっちみち、こんな深い森で迷子になったら困るからね。
頑丈な柵に囲まれてると思えば、むしろ安心さね」
私がハハハと笑って言うと、アルは不思議そうな、それでいてどこか痛ましそうな目で私を見つめた。
私は気にせず小屋を指差した。
「さて、まずはこのボロ小屋に三人で住めるかどうか確認しないとね!」
傾いた扉をアルが開いた。
何年も閉めきっていたのだろう。
ものすごい埃が飛び出してきた。
クロエがコホコホと咳き込んだ。
「これをどうぞ」
アルがハンカチを差し出してくれた。
若干汚れていたが、私はありがたく受け取り、マスク代わりに口を覆って、小屋の中に乗り込んだ。
それなりに広さがあるものの、惨憺たる有様だった。
凄まじい埃が宙を舞い、天井の四隅には見事な蜘蛛の巣が、二重三重に張られている。
一応、テーブルや炊事場らしきものはあるものの、当然埃まみれだわ、傾いているわで、このままじゃあ触る気にもなれない。
床は、何年も放置されたのであろう汚泥が厚く層をなし、真っ黒だった。
(さてさて、思った通り、ずいぶんとお掃除のしがいがありそうだねぇ)
さっそく私のお掃除魂に火がついた。
テーブルの上から薄汚れた灰色の布を拾い上げ、「きれいになぁれ」と唱える。
すると、手元からキラキラとした金色の光が小さく弾け、次の瞬間、泥だらけだったはずの布が、真っ白な新品へと生まれ変わった。
「ほう。それが噂に聞く、掃除の魔法ですか」
アルが感心したように呟く。
「ずいぶん地味で安っぽい魔法だこと」
クロエが吐き捨てるように毒づく。
しかし、そんなことは気にしない。
「さあさ、二人もここに住むんだろ? 一緒に住みやすくしようじゃないか。はい、これ」
追加で布を二枚きれいにして、それぞれの手に持たせる。
「アルさんは背が高いから窓を拭いておくれ。
クロエさんはテーブルや炊事場を頼むよ」
小さな子どもに指示を出されたのが不満なのか、クロエは唇を突き出して、その場から動こうとしない。
重い鎧を着たアルは、汚泥に深く足を取られて動きにくそうだ。
(まいったね、こりゃ)
私は小さな腕を組んでしばらく考えた。
(うん、まあ、この広い床も『大きな布』だと思えばいけるか!)
意を決して泥の溜まった床にしゃがみ込み、両手をしっかりと当てる。
そして気合を込めてこう叫んだ。
「きれいになぁれ!! お掃除開始!!」
その瞬間、私の身体全体から、ぞうきんをきれいにしたときとは比べものにならないほど、大量のキラキラした金の光が溢れ出た。
その圧倒的な光の波は、まるで生き物のように小屋全体を覆っていった。
壁を駆け上がり、天井を包み込み、すべての汚れを吸い取っていく。
光が収まったとき、床も壁も、まるで新築のように真新しい木目を輝かせていた。
「おいおい、いったいどういうことなんだ!?」
驚きのあまり外に飛び出そうとしたアルが、感嘆の声を上げた。
「おお、扉も直っている……」
クロエも、慌てて小屋の中のすべてのドアを開いて確認して回った。
「やだ……トイレまで直ってるじゃないの」
◇◇◇
クロエは恐る恐る、新築のようにピカピカになったトイレに入っていった。
トイレの内部は壁も床も、まるでお城の貴賓室のように磨き上げられ、洗浄用の青の魔石も新品同様に澄んだ光を放っている。
あまりの居心地の良さに誘われるように、クロエはこっそり使ってみた。
ほっと一息ついて外に出てくる。
(な、何だって私が、あんなクソガキの直したトイレでくつろいじゃってるのよ……!)
ハッと我に返り、地団太を踏むクロエであった。




