影武者作戦
クロエはライと連れ立って、研究所に向かっていた。
アルとライが森の家へと歩いてきた道には、点々とした血痕が今も生々しく残っていた。
誰にも……特にヴァーゴやその配下どもに、この血痕を辿られたくはない。
クロエは道の両脇に生い茂る草花にそっと語りかけるように、その血痕を覆い隠すよう頼みながら歩いた。
彼女の緑の魔力に応じるように、小さな草花たちが静かに身をよじり、赤黒いその痕跡を目立たぬよう隠していく。
「なあ、お前さん」
不意に、前を歩くライが立ち止まり、振り返った。
「実際のところどうするんだよ、これから」
ライの声音には、いつもの軽薄さの裏に、今後に対する本気の懸念が混じっていた。
研究所の冷酷さを誰よりも知る彼だからこそ、この綱渡りのような状況が、どれほど危険か理解しているのだろう。
しかし、クロエの表情に焦りはなかった。
ライをまっすぐに見つめ、静かに答える。
「門兵たちの様子を見るに、アルがあの強大な魔物の群れをたった一人で撃退したという噂は、すでに王宮中に広まってるでしょうね」
「……一応言っとくけど、俺が作ったビリビリ丸のおかげなんだけどなー」
ライが不満そうに口を尖らせてアピールするが、クロエはその言葉を無視して話を続ける。
「でも、今の段階で王城の連中にアルの不自然な完全治癒や、シルバーの生存を知られることは、なんとしてでも避けたいわ」
クロエは頭をフル回転させた。
「うん。まずシルバーはメイシーの実家に匿いましょう。
あの平民街なら王宮から少し離れているし、あの二人なら協力してくれるわ」
「なるほどねぇ。問題はどう移動させるかだな」
「私の風魔法で送り届けるわ。夜ならそんなに目立たないでしょう」
「うんうん、それでアルカイドはどうする」
「そうね、あの大きな身体を隠すとなると……。
でも、生きていることを知られたら、ギルバート様がすぐにでも手を回してくるに違いないし……」
クロエは顎に指を当て、考えた。
そもそもこの王宮から出て行くことさえ難しそうだ。
やがて、ライが何かを思いついたように、大きく頷いた。
「ギルバート殿下の目をごまかす方法なんだが、もしよかったら……俺の姉上に協力してもらうのはどうだろうか?」
「ええっ、貴族の家になんか連れていけないわよ」
「いや、実は姉の夫――シリウス男爵は手広く商売をやってる人でね。その傍ら診療所も経営してるんだ。
診療所は青緑の使い手である姉上が管理している。
研究所の診療室が満員御礼だから、アルカイドはそっちに移送された。ということで、そこに影武者を置いておく」
「そんなにうまくいくかしら」
「こんな俺でも研究所で何人かは親しくしている魔法士がいる。
希少な黒の魔法士だぞ。
しょっちゅう実験で死者を呼び出しているから、一体くらい貸してくれるだろう。
そいつを包帯でぐるぐる巻きにして寝かせておけばいい。
重傷のアルカイドだと言っておけば、そう簡単に顔まで確認されないだろ」
「なるほど。刺客がきても、すでに死んでるってことね」
こうしてアルとシルバーを隠す計略を練った二人は、改めて研究所に向かって歩き始めた。
◇◇◇
一方、王城の中は、平穏そのもの――いつもと変わらない日常が送られていた。
国王は、いつものように昼から酒を飲み、赤ら顔で「ふむ、撃退できたならいいじゃないか」と鼻を鳴らしただけ。
今回の未曾有の危機で多くの死傷者がでたことにすら、全く関心を寄せようとしない。
王妃は高価なドレス生地を取り寄せ、夜会用のドレスを数着作るよう針子たちに指示していた。
ただ一人、ギルバートだけが苛立ち、爪を噛んでいた。
アルカイドがたった一人ですべての魔物を退け、あの上位魔物すら仕留めたという門兵からの報告に、怒りと焦燥で顔を真っ赤に染めている。
「これでは、またアルカイドが民衆から英雄に祭り上げられてしまうではないか……!
しかも、上位魔物が残したはずの『超高純度魔石』はあいつが隠し持っているに違いない……!
忌々しい。私の計画がすべて水の泡だ!」
そこまで呟くと、ギルバートはハッと何かを思いついた。
(そうだ。奴から魔石を取り上げた上で、『名誉の死』を遂げたことにすればいい)
邪悪な笑みが、その薄い唇に浮かぶ。
側に控えている侍従にすぐ指示を飛ばした。
「おい! アルカイドがどこにいるか、研究所に行って確認してこい!」
ギルバートがアルを探していると知ったクロエは、定期連絡を装い、そ知らぬ顔でギルバートの執務室の扉をノックした。
「クロエでございます」
ギルバートは入ってきたクロエを睨みつけた。
「王宮前の騒ぎは知っているだろう。魔物を退治した後、アルカイドはどこへ行った!」
「騎士アルカイドは研究所の診察室に運ばれたものの、すでに怪我人が大勢いたため、民間の診療所に移送されたと聞いております」
クロエは感情の失せたうつろな目で、あらかじめ用意していた答えを、棒読みするように淡々と報告する。
「なんだと!? 至急、アルカイドが運ばれた先の診療所を調べろ! 見つけ次第、奴を始末してやる!」
「御意」
深々と頭を下げ、執務室を退出したクロエ。
重々しい扉が閉まった瞬間、ペロッと舌を出し、ニヤッと笑った。




