驚愕の味噌汁
クロエは「その後の状況を確認してくるわ」と言って、ライとともに魔法研究所へと向かった。
そして、全力のお掃除魔法による魔力切れからすっかり元気を取り戻した私は、かまどの前に立っていた。
(私の魔力も無制限ってことじゃないんだね……)
お母さんが水を作り過ぎて魔力切れになった時は、一晩寝てもまだふらふらしていたけど、私はほんの数時間眠っただけらしい。
つくづく規格外だと我ながら呆れる。
(それも私が『佐々木明子』の記憶を持っている影響なんだろうか……)
だが、少し頭が痛む。
意識が飛んでしまった後遺症なのだろうか。
(ま、しばらくすれば治るさね)
私は痛みを無視して、包丁を持つ手に集中した。
そう。アルが戦地に行っている間、ライが研究所で他の魔法士に頼んで切れ味のいい包丁とまな板のセットを作ってきてくれたのだ。
廃棄された魔石もたくさん持ってきてくれた。
お掃除すればまだまだ元気に活躍してくれる子ばかりだ。
おかげでこの家の暮らしは、ずいぶんと快適になっていた。
なんのかんの言いながら、気にかけてくれるライの皮肉っぽい顔を思い出し、私はふふふと笑った。
(これも、お父さんに雷撃を放ったお詫びなのかね……)
トントン、と小気味よい音を立てて、まな板の上の野菜を刻んでいく。
私が作っているのは、大鍋にたっぷりと沸かしたお湯に、自家製の味噌を溶き入れたお味噌汁だった。
「よし、こんなもんかねぇ。二人とも病み上がりだからね、今日はお腹に優しい野菜だけをたくさん使うよ」
お玉で味見をしながらそう言う私に、手持ち無沙汰でソファに座っていたアルが、これ見よがしに肩を落とし、盛大なため息をついた。
「いやぁ、俺は肉が食いたいなぁ……。あんなに動いたんだ、メイシー様! 一切れでいいからおいしいお肉を入れてくださいませ」
おどけて手を合わせる。
「ダメダメ! 魔力回路はきれいになっても、胃袋はまだびっくりしてるんだから。お肉は当分お預け!」
「勘弁してくれよー。騎士には肉が必要不可欠なんだよ……」
アルががっくりと情けない声を上げて頭を抱える。
満身創痍になって魔物と闘ってきた私の大事な騎士様が、お預けを食ったワンコのようにしおれている姿がおかしくも愛おしい。
(いつものアル兄ちゃんが戻ってきたね……)
私は涙を味噌汁の湯気でごまかした。
そんな、いつものたわいもない会話が響く居間の片隅で、いつの間にか、アルの部屋で休んでいたはずのシルバーが立ち尽くしていた。
まだ足元は少しふらついているようだったけれど、壁に手を突きながら、私たちのやり取りをじっと見つめている。
シルバーは、まるで理解不能な生き物を見るような、ひどく困惑した顔をしてぽつりと言った。
「……さっきも聞いたけど。お前ら、本当になんなんだよ」
孤児として生まれ、研究所や騎士団では人間扱いされずに育った彼には、この空気そのものが奇異に映るのだろう。
「ん? ごく普通の家族のつもりだけどねぇ。ねー、アル兄ちゃん」
「ああ、その通りだな。我が家へようこそ、シルバー」
私がアルと顔を見合わせてにっこりと笑うと、シルバーは「信じられない」という表情を見せた。
彼にとってこの風景は「普通」ではないのだろう。
(……不憫な子だね)
紫の呪縛から逃れようともがいていたときのクロエと同じだ。
その困惑と拒絶の裏にある、誰よりも温もりを求めている孤独な叫びが、私には痛いほどわかる。
アルがそっと立ち上がると、シルバーを優しく食卓へといざなった。
「まあ、突っ立ってないでこっちに座れ。飯にしよう」
すとんと力なく椅子に腰を下ろしたシルバーの前に、私は湯気がふんわりと立ち上るお味噌汁のお椀をコト、と置いた。
その隣に、私が手作りした二本の細い木の棒――『お箸』を添えて。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ」
箸の使い方を教えようと私が口を開きかけた、その時だった。
シルバーは迷うことなく箸を手に取った。
(え……?)
私の胸に小さなざわめきが走る。
そんな私の視線に気づくこともなく、シルバーはお椀を持ち上げると、クンクンとその匂いを嗅いだ。
味噌独特の香ばしい匂いに、一瞬驚いた顔をしたものの、ぽろりと呟いた。
「……味噌汁、か……。久しぶりだな」
そして、戸惑うことなく箸で具材を口に運びながら、あっという間に飲み干した。
私は思わず息をのんだ。
(……今、何と言った?
お味噌汁なんて、この世界には絶対にないはずなのに……久しぶり……?)
「メイシー、どうかしたか? まだ身体が本調子じゃないのか?」
アルが心配そうに私の顔を見る。
「う、ううん、何でもない。お口に合ってよかったなぁって……」
何とかごまかしながら、私はかまどに向かった。
この世界で生まれ育ったはずのシルバーの言動に、大きな疑問が沸き上がってくるのを止められないまま……。




