アル兄ちゃん
実家からの帰り道。
荷馬車に揺られながら、私が心の奥底深くに、ずっとしまい込んでいた記憶の箱が、数十年の時を経て、ゆっくりと開いていった。
――私が七歳の時だ。
大好きなお兄ちゃんが、真新しい学生服にタスキをかけて、両親に挨拶をしている。
家の周りには近所の人が大勢集まり、笑顔で万歳三唱を繰り返している。
「明子、すぐに帰ってくるからな、いい子で待ってるんだぞ」
お兄ちゃんはニッコリ笑うと、いつものように、その大きく温かな手で私の頭を優しく撫でる。
そして、片道切符の列車に乗り込んでいった。
その時の、駅のホームの喧騒、長く響く汽笛。
やがて、家に届けられた、お兄ちゃんの名前が書かれた小さな木の箱。
思い出したくもない風景が、頭の中でグルグルと渦巻く……。
「お兄ちゃんは英霊になったんだよ」
両親はそう言って木箱を仏壇に置き、そして、近所の耳を気にしてか、私に声を上げて泣くことを禁じた。
ぶわっと涙が溢れてきた。
微笑むアルの顔が、別れ際のお兄ちゃんのそれと重なる。
(嫌だ。嫌だよ。
なんで、なんでまた、私が七歳の時に、私の大好きな人が戦地へ行くんだい……!
あの時と同じように、また私を置いていっちまう気かい……!)
押し寄せる悲しい記憶と、それが繰り返される恐怖に、目頭が猛烈に熱くなる。
私の頭の中で、何かのスイッチが切り替わってしまった。
「やだ……やだやだ……どこにも行っちゃいやだよぉ……っ!」
身も心も七歳の子どもに戻って、私はアルの大きな身体にむしゃぶりついた。
あの時流すことのできなかった涙が、後から後から、とめどなく流れてくる。
胸が引き裂かれそうに、痛い。
私はアルの腕の中で全身を震わせながら、絶叫した。
「行かないで! 行かないで!
私を置いて行かないでぇぇぇ――っ!」
「メイシー!?」
私の突然の号泣に、アルは驚いた様子で、でも愛おしそうに私の背中をぽんぽんと優しく叩く。
私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、アルに向けた。
「……お願いだよ……
……行かないで……死なないで……
……お兄ちゃん……
……アル兄ちゃん……!」
アルの手がビクッとし、私の顔をハッと見る。
その瞳には、みるみるうちに涙が浮かんでくる。
「お兄ちゃん?
……俺を……こんな俺を『兄』と呼んでくれるのか……?」
アルは強く、そして、優しく抱き締めてくれる。
「あぁ、これほど嬉しいことはないよ。
ありがとう……ありがとう、メイシー」
いつものその温もりが、いまはことさら悲しい。
「う、う、うわぁぁぁん!」
私はより大きな声で泣き叫んだ。
「私だって、私だって……いやよぉっ……」
クロエも、声を上げて泣き出した。
「あなたがいなくなってしまったら……
私、どうしたらいいの……」
アルはクロエも優しく抱き寄せた。
「クロエ……お前も俺の大事な妹だ。
俺がいない間……メイシーを……頼む」
「ええ、ええ、もちろんよ……
でも、でも、どうか無事で……無事に帰ってきて……
……兄さん……!」
「大丈夫だ……かわいいお前たちをおいて死んだりするもんか。
絶対に、絶対に帰ってくる!
だから、安心して待っていてくれ……」
私たちは堅く抱き合い、泣き続けた。
荷馬車がガタンと揺れる。
御者が目頭を押さえていた。
やがて城門に着くと、クロエは泣き疲れてぐったりしている私を、アルの背に乗せた。
アルの広くたくましい背中は、お兄ちゃんと同じくらい温かかった。
クロエがそっと私の手を握った。
私たちの森の家に、明かりが灯った。




