別れの晩餐
「アル……? どうしたの、その顔」
クロエがカップを置き、不審そうにアルを見やった。
アルはきつく唇を噛みしめ、それから覚悟を決めたように、私たちの前に立った。
どこか張り詰めた様子で、ふぅと一息ついた後、私とクロエの顔を見つめ、静かに告げた。
「……ギルバート殿下のご命令で、前線へ召集されることになった。
三日後、騎士団に戻る」
「な……ッ!?」
クロエが短い悲鳴を上げて絶句する。
私も、手に持っていたお茶を落としそうになった。
あのバカ王子は、アルを陥れたくせに、二色使いになったからって、また戦場へ引きずりだす気なのか?
「そんなの、あんまりだわ! アルはもう前線を退いたのよ!? 」
「断れば、矛先がメイシーに向く」
アルは静かに、だけど拒絶を許さないトーンでクロエの言葉を遮った。
「ギルバート殿下は、俺の出方次第ではメイシーを戦地へ連れていくとすら口にした。バルツァー団長もそれを面白がっている。
……大人しく従うのが、メイシーを守る一番確実な方法なんだ」
その拳は、小刻みに震えている。
逆らえば、このささやかで温かい日常が、王宮の絶対権力によって一瞬で踏み潰される。
今の私たちには、それに抗うだけの力がない。
「……行く覚悟を決めたんだね、アル」
アルは痛ましそうに目を伏せて「申し訳ない」と短く呟いた。
「謝ることなんてない。アルのせいなんかじゃない」
自然と目に涙が浮いてくる。
彼の覚悟を尊重するしかないのはわかっている……けれど。
(アルが、私を守るために危険な戦地に向かうだなんて……)
私は涙をグッと堪えた。
「だったらアル、急いで外出許可をもらえないかな。
アルがいなきゃ出られなくなるだろう?お父さんとお母さんに伝えておきたいんだ」
◇◇◇
バカ王子の気まぐれか、それともアルへのせめてもの温情か。
すくなくとも後者ではないと思うが、とにもかくにも、アルが出発する前日の外出許可が出た。
私たちはいつものように荷馬車に乗って、私の実家へと向かった。
荷馬車の向かいに腰掛けるアルの姿を、私はそっと盗み見る。
今日の彼は、いつものあの重たそうな鎧や、騎士の制服、そして純白のマントをすべて外していた。
身に纏っているのは、仕立ては良いものの、落ち着いた深緑色のシンプルな上着に、柔らかな生地のシャツ。
騎士団の象徴を何一つ身につけていないその私服姿は、驚くほど品が良くて、まるでどこかの上流階級の若旦那のようだ。
鎧姿よりずっと似合っていて、優しい佇まいのアル。
だけど――。
いつもならおしゃべりしながら賑やかに過ごす道中なのに、今日は静かだ。
重苦しい空気の中、ゴトゴトと荷馬車に揺られ、実家へと向かった。
両親はいつもより早い私の帰省に驚いた。
けれど、アルがしばらく長期の任務で不在になるため、私もしばらく王宮を出られなくなると告げると、なんとなく事情を察したみたいだった。
「そうですか。もしかして、魔物討伐ですか」
「はい、微力ながら国やみなさんを守るため、頑張って参ります」
アルが律儀にお辞儀をする。
「頭をお上げください。
アルカイド様ほどの方が、メイシーなんかの警護をしてくださっているなんて、もったいないことだったのですから」
「もう、お父さんったら『なんか』って何よ!」
私がわざとらしく頬を膨らませてみせると、みんなが笑った。
それからは、いつものように楽しくおしゃべりしながら、食卓を囲んだ。
今日のご馳走はステーキと付け合わせの野菜、それに味噌汁だ。
「こんな分厚い肉、見たことないぞ!」
お父さんが舌鼓を打ちつつも、小さな声で言った。
「王宮の連中は、毎日こんなご馳走を食ってるんだな」
その言葉に、アルの手がピタリと止まった。
「あ、ああ、申し訳ありません、つい」
「もう、あなたったら! アルカイド様、お許しくださいね」
「いえ、お気になさらず。おっしゃる通りですから」
アルは静かに首を振る。
お父さんは少し気まずそうに頭を掻きながら、地元の現状をこぼした。
「このところ、この町の近くにも魔物が出るようになりましてね。
町中の魔法士が総出で対応していますが、なかなか……」
「そうですか……」
「俺ももう少し魔力が多ければ、一緒に戦えたのですがねぇ」
「ダメだよ、お父さん」
これ以上、アルに暗い顔をさせたくなくて、私は明るい声で口を挟んだ。
「せっかくのお肉が冷めちゃうよ。食べよ、食べよ!」
「あ、ああ、そうだな。悪い悪い」
お父さんは大きなお肉を豪快に頬張った。
――――――――――
「メイシー、これ、持っていってちょうだい」
別れ際、お母さんが家の奥から、ずっしりと重そうな木箱を抱えてきた。
中を覗き込むと、手ごろな大きさの鉄鍋や頑丈そうな焼き網、いくつかの使い勝手の良さそうな調理用具が詰め込まれていた。
「お母さん、これは……?」
「アルカイド様が前回来た時にね、『メイシーが料理を楽しめるように、使いやすい道具を揃えておいてほしい』ってお金を預けていってくださったのよ。
まったく、甘々な警護騎士さんね」
お母さんは呆れたように笑っていたけれど、私の胸の奥は、一瞬で熱いもので満たされてしまった。
アルは、その時からすでに自分が戦地へ行くかもしれないと予感していたに違いない。
自分が留守にしている間も、私が寂しい思いをしないように、料理を楽しめるように、先回りして手配してくれていたんだ。
胸がいっぱいになって、アルを仰ぎ見る。
アルはただ、穏やかに微笑み返してくれた。
帰りの荷馬車。
時折、床に置いた木箱から、鍋と網がカチンカチンとぶつかり合う音が響く。
私はどうしても胸のざわつきを抑えられなくなっていた。
アルが、危険な戦地へ行く。
二色使いとしてこき使われ、搾りつくされ潰されるかもしれない戦地へ。
その事実と、彼のどこまでも行き届いた優しさが、私の胸を容赦なく締め付ける。
私は向かいに座るアルを見上げた。
彼はいつもと同じように、温かく微笑んで私を見つめていた。
その刹那、心の奥底にしまい込んでいた記憶の箱が開いた……。




