紫の罠
王城の正面玄関。
アルは、衛兵に参上した旨を伝えた。
すると思いもかけない場所へ行くよう指示された。
「ギルバート殿下から伺っている。中央塔の執務室へ向かえ」
(……ギルバート殿下? いまさら、私に何の用だ?)
胸の中にどろりとした、嫌な予感が広がる。
アルは重い足取りで中央塔の暗い階段を上り、執務室の扉を叩いた。
「アルカイド・フォン・ベネトナシュ、お呼びと伺い参上しました」
「入れ」
「はっ、失礼いたします」
作法通りのお辞儀をして、アルは静かに部屋へと足を踏み入れた。
「久しぶりだな、アルカイド・フォン・ベネトナシュ。
いや、今はベネトナシュを名乗る資格は無かったか」
ギルバートのねっとりとした嫌味な声。
それに眉一つ動かさず、アルがすっと顔を上げると――豪華なソファに、先客がどっしりと腰を下ろしているのが目に入った。
その巨体と、重苦しい威圧感。アルの身体が一瞬にして強張る。
「だ、団長……?」
「よう、アルカイド。元気そうだな」
そこに座っていたのは、魔物退治を一手に担う騎士団のトップ、ヴォルフラム・バルツァー団長その人だった。
「はっ……団長も、ご壮健そうでなによりでございます」
「ははは! そうでもないがな」
バルツァー団長は豪快な笑い声を上げた。
だが、その目は一切笑っておらず、じっと冷たい光を湛えてアルの全身を上から下まで検分するように見ていた。
かつて第一線で戦っていたアルには、すぐに察しがついた。この二人がわざわざ自分を呼び出した理由。
それはおそらく――。
「単刀直入に言おう、アルカイド」
ギルバートは机に肘を立て、指を絡めると、そこに顎を載せた。
冷酷な笑みが浮かんでいる。
「前線の人手が足りんそうだ。
そこで、めでたく『赤』と『白』両方の魔法を使いこなせるようになったというお前に復帰してもらうことにした」
人手不足とは、戦況が悪化しているということだろう。
それはすなわち、『シルバー』の限界が近づいている証拠に他ならなかった……。
◇◇◇
私が昼寝から覚めても、アルは戻って来ていなかった。
「アル、遅いねぇ」
「そうね。そろそろ帰って来てもいいわよねぇ」
ポシェットにさまざまなものを入れたり出していたクロエが答えた。
私が浮かない顔をしていたんだろう、クロエがはしゃぐように提案してきた。
「ね、メイシー。畑を作らない?」
「畑?」
「そう、私、緑の使い手なんだけど、実はちょこっとだけ黄緑の魔法も使えるようになったの」
クロエはいたずらを目論む子どものように微笑んだ。
「クロエも二色使いだったのかい?」
「そんな大袈裟なものではないのよ。ほら、緑と黄緑は親和性が高いから。
それに私ね、ギルバート様に洗脳されていた間は魔法が使えなかったの」
クロエは声を落とした。
「たぶんなんだけど、もしかしたらその間、私の中で凝縮された魔力が変質したのかな? なんてね!」
照れくさそうに笑って見せるクロエ。
(そんな言い方……)
私は即座に決意し、クロエの手を取った。
「よし。クロエを立派な二色使いにしてやろうじゃないか」
「え? メ、メイシー?」
戸惑うクロエを尻目に、私はそっと魔力を送り始めた。
「ちょ、ちょっと! 違う色の魔力を入れるなんて……危険じゃない?」
不安そうなクロエに、私はニヤッと笑って見せた。
「大丈夫。私の魔力は特別らしいから痛くないよ。アルも平気だったし」
クロエの魔力回路にそっと金色の魔力を流す。
それに押し出されるように、緑と黄緑の魔法がまるで解き放たれたかのように、魔力回路の中を駆け巡り始めた。
クロエの瞳が黄緑色に光った。
「ふう、アルの時よりスムーズだったね」
クロエは体内の魔力を確かめるように目を閉じた。
「うん、確かに黄緑の魔力を感じるわ」
クロエの手を離そうとすると、クロエがギュッと握り返して来た。
「メイシー、ありがとう。今までのことも含めて、この恩は絶対忘れないわ」
「おやおや、家族なんだから、助け合うのは当たり前。持っているものを分かち合うのも当たり前。水臭いこと言わないでおくれ」
私はクロエの手を軽く叩き、ニッコリした。
「ううん、それでもちゃんとお礼を言いたいの。ありがとう」
クロエは真剣な顔つきで頷いた。
「うん、これでますます畑作りがはかどりそうだわ」
温かな日の差す我が家で、新しく手に入れた黄緑色の魔力に目を輝かせるクロエ。
そんな彼女の嬉そうな笑顔に、私も少しだけ救われるような気持ちになっていた。
だけど――窓の外を見上げれば、昼下がりの太陽はすでに傾き始めている。
私の胸の奥にある、鉛のような不穏なざわめきは、時間が経つごとにどんどん大きくなっていた。
◇◇◇
その頃、ギルバートの執務室は息が詰まるような重圧感に包まれていた。
「――前線へ赴け、と?」
アルは奥歯を噛みしめ、拳を握りしめた。
もう戦地には戻らないつもりだった。
それに、今のアルには命に代えても守らねばならない大切な『家族』がいるのだ。
命令に背くことなどできないことは承知の上で、アルは必死に冷静さを装い、声を絞り出した。
「……ギルバート殿下、バルツァー団長。
お言葉ですが、私には現在、『未知の金色魔法を持つ少女の警護』という重大な任務がございます。
彼女の動向から目を離すわけにはいきませ――」
それが、アルにできる精一杯の、ささやかな抵抗だった。
だが、その言葉を最後まで言い切る前に、ソファから凄まじい圧力が放たれた。
「――アルカイド!!」
地響きのような大声が執務室の壁を震わせる。
バルツァーがどっしりと座ったまま、その鋭い眼光でアルを射抜いた。
「そんな小娘の警護と、我が国の危機の、どちらが大事だと思っているのだ!
元、とはいえ、貴様は名門ベネトナシュ侯爵家の人間だろう!」
バルツァーの声には、一切の反論を許さない絶対的な威厳があった。
ふんと鼻を鳴らして言葉を続ける。
「だいたい、この件はギルバート王子殿下のご命令ぞ。まさか、逆らう気か?」
言い返すことなどできない。アルは喉の奥が張り付いたように言葉を失った。
その様子を眺めていたギルバートが、クスクスと底意地の悪い笑みを漏らす。
「ふーん……だいぶその小娘にご執心だね、アルカイド。
そこまで離れたくないというのなら、その小娘も一緒に戦地へ行ってもらってもいいんだぞ?」
「な……ッ!?」
アルの背中に、ドッと冷たい汗が流れた。
嫌味とも、脅しともとれるギルバートの言葉。
もしメイシーをこんな奴らの目が光る戦地へ連れて行ったとしたら、何をされるかわかったものではない。
アルの動揺を見て、バルツァーがガハハと下品に笑い声を上げた。
「おお、それは名案ですな!
何ならその小娘に、戦場の魔物どもを自慢の魔法で『掃除』してもらったらどうだ?
汚れと一緒に魔物もきれいさっぱり消えるかもしれんぞ、ははははは!」
ヴァーゴやクロエが報告したのであろうメイシーの魔法を、団長は子どもの使うちょっと便利な生活魔法だと完全に侮り、笑い草にしているのだ。
アルはきつく唇を噛みしめた。
これ以上拒めば、矛先が間違いなくメイシーに向かってしまう。
今は、耐えて、従うしかなかった。
「……し、承知いたしました。ご命令、謹んでお受けいたします」
アルは深く、深く頭を下げた。
密かに鎧の下につけている、メイシーが一晩かけて作ってくれたアスコットタイ。
受け取ったアルがお礼を言った時の、あのメイシーのはじけるような笑顔が脳裏に浮かび、胸が痛んだ。
打ちひしがれた表情で、アルが部屋を辞して行くのを横目で確認したバルツァーは、ニヤリと笑みを漏らした。
「殿下もお人が悪い。断れないのをわかっていてダメ押しですか……。
ずいぶんとしおれていたようですな」
「ふん。二色使いできるようになったからには、せいぜい『計画』に協力してもらわんとな」
「ええ、あの銀色の小僧がいるだけで、『裂け目』が現れますからな。
魔力多めのアルカイドが合流すれば、ますます増えるはず……」
「ついでに名誉の戦死でもしてくれれば、すっきりする」
「……本当に殿下はお人が悪い」
二人は目を見合わせると、声もなく、邪悪な笑いを漏らしたのであった。




