お掃除魔法の目覚め
昨日まで当たり前に過ごしていた我が家。
部屋の隅に転がっていた黒ずんだ古ぞうきんを手に取り、改めて部屋の中を見渡してみる。
すると、前世で清掃員をしていた私の目には、いろんな汚れが飛び込んできた。
すりガラスの窓は、煤けて真っ黒。
二階へと続く木造の階段の端には、埃がうっすらと積もっている。
腹の中のお掃除魂が、ムズムズと動き出した。
(ふむ……なかなかやりがいのあるお家さね。
せめてこの部屋を明るくして、お母さんが少しでも気持ちよく、楽にお仕事できるようにしてあげようかね)
私は手の中の古ぞうきんを見つめた。
(掃除するにしても、まずはこのぞうきんを洗わないとだねぇ)
しかし、お母さんが一生懸命に作った貴重な水を使うわけにはいかないし、子どもが一人で川に行くのは禁じられている。
(何とかならんかねぇ。
ぞうきんよ、ぞうきんよ、きれいになぁれ、きれいになぁれ……)
私は童話に出てくる魔法使いのおばあさんをイメージした。
(ちちんぷいぷいできれいになる……。
なんて、そんな都合の良い話はあるわけないか)
ぷっと小さく笑いがこぼれる。
だがやがて、手のひらがじんわりと温かくなってきた。
「おや……?」
見つめていると、手のひらから、まるで陽だまりのような優しい金色の光が溢れ出した。
光が収まった時、そこにあったのは――まるでおろしたてのように、真っ白でふんわりとしたぞうきんだった。
(おや、呪文が効いたのかい?
そうか。この金色は、汚れたぞうきんをきれいにしてくれる魔法だったのか)
汚れても汚れても、あっという間にきれいにできるなら、バケツも水もいらない。お掃除の効率がぐんと良くなる。
(便利な魔法じゃないか!)
私はさっそく、真っ白になったぞうきんを握りしめ、黒ずんだ窓ガラスへと腕を伸ばした。
小さな身体では手の届く範囲も狭く、思うようにはいかないはず――だった。
しかし、なんということか。
窓にぞうきんを軽く当て、滑らせただけで、窓ガラスの汚れが一瞬で消え去り、外の景色が鮮やかに透けて見えてきた。
部屋の中に、お日様の光がパッと差し込んでくる。
(これは……清掃の必需品『マイクロファイバークロス』以上の威力だ!)
ぞうきんの効果に感心しながら、光にかざして眺めていると――バタンッ!と勢いよく扉が開いた。
お父さんが帰ってきたのだ。
「ただいま! メイシー、今日は一緒に行ってやれなくてごめんな」
大きくゴツゴツした手が、私の頭をわしゃわしゃとかき乱す。
「親方が急ぎの仕事があるって言うから、そっちを手伝っていたんだが……悪かったな。
代わりにご馳走をもらってきたぞ!」
お父さんは右手に抱えていた、おいしそうな匂いのする包みをドサッとテーブルに置いた。
お父さんは『橙』の使い手で、街の鍛冶場で働いている。
魔力量は少ないが、持ち前の明るさと真面目さで、親方には気に入られているらしい。
「ルシェンダ、飯にしよう」
お父さんが、お母さんの名前を呼んだ。
ふらりと振り返ったお母さんの顔は、血の気が失せて真っ白だった。
「……おいおい、魔力切れ寸前じゃないか。あまり頑張りすぎないでくれよな」
お父さんはお母さんに寄り添うと、そっと手を取り、ゆっくりと立ち上がらせた。
「俺の稼ぎが悪いばっかりに、苦労かけてすまないなぁ」
「そんなことないわ。
あなただって、一生懸命働いているからこそ、親方さんも良くしてくれるんでしょう」
「うんうん、本当にいい親方でありがたいよなぁ」
二人は互いに労いの言葉をかけあっている。
(なんだか、古き良き時代劇を見ているようだねぇ……)
私の胸の奥が、じんわりと熱くなる。
お金のない辛さは私も前世で嫌というほど味わってきたけれど、こんな風に互いを思い合える温かい家族なら、それだけで十分に幸せというもんだ。
「さぁメイシー、冷めないうちにいただきましょうか」
お母さんが食器を並べ始めたその時、扉が激しく揺れた。
ドンドン!
「……誰か来たのかしら?」
お母さんが扉を開ける。
すると、紫のマントを羽織った、鋭い目つきの男たちが、押し入るように雪崩れ込んできた。
「なんだい、アンタらは!」
お父さんが咄嗟に私とお母さんを背中に庇い、怒号を飛ばす。
「お前なんぞに用はない。その子どもを『回収』しにきただけだ」
リーダー格の男が、冷徹な声で言い放った。
「回収だと……? 俺の娘に向かってなんて言い草だ! ふざけるな!」
お父さんは激昂し、拳に橙色の熱気を纏わせて男へ殴りかかった。
即座に男の背後にいた別の男が呪文を唱え、指先からパチパチと雷を走らせた。
激しい衝撃と共に、お父さんの大きな身体が床へと弾き飛ばされる。
「あなた!」「お父さん!」
私とお母さんは慌ててお父さんの元へ駆け寄った。
お父さんの全身は小さく痙攣し、起き上がることができない。
「なんてことをするんですか。人殺し!」
お母さんは叫びながら男に食ってかかる。
「お父さんをいじめるな!」
私もお母さんの背後から男たちを睨み、声を張り上げる。
「メイシー……ルシェンダ……止めるんだ……そいつは黄色の使い手だ。今は手加減してくれたみたいだが……」
お父さんが身体を震わせながら、必死に声を振り絞る。
「いいえ! 家族を傷つけるものは絶対に許さない!
メイシーを渡すものですか!」
普段の穏やかな姿からは想像もできないほどの激しさで、お母さんが立ちはだかった。
両手を広げ、私とお父さんを庇うその背中が、恐怖で小刻みに震えている。
「チッ、抵抗するなら仕方あるまい」
リーダー格の男が顎で合図をすると、背後の男が再び不穏な呪文を唱え始めた。
(――ダメ! 私のために、この優しい二人を傷つけることは、絶対に許さない!)
私はお母さんの前に、一歩、踏み出した。
怖くないはずはなかった。
それでも、前世で三人の子どもを命がけで守り育ててきた「母親」としての誇りが、こんな横暴を許せるはずがない。
「ついて行くから、もう止めて!
これ以上、お父さんとお母さんをいじめるな!」
声の震えを押さえながら、私は力いっぱい叫んだ。
呪文を唱えていた男が、リーダーの顔を窺いながら詠唱を止めた。
私はリーダー格の男の目をキッと睨みつけた。
「お父さん、お母さん。私、このおじさんについて行く!」
「ああん!? 誰がおじさんだ! このクソガキ……!
俺は高貴な魔法研究所の――」
青筋を立てる男の言葉をサッと無視し、私は振り返った。
両親が、怯えた顔で私と男を見つめていた。
「お母さん……」
私はお母さんに抱きつくと、いつもの優しい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
こわばっていた身体から、少しだけ力が抜けた。
「せっかくのご馳走、一緒に食べられなくてごめんなさい。
でも、心配しないで。私はお父さんとお母さんの子だもの、絶対に大丈夫!」
「メイシーッ……!」
お母さんは私の背中をギュッと抱きしめた。
お父さんは悔しそうに床を叩いている。
私は涙を押さえ立ち上がると、二人をあとに残し、家の前に置かれた荷馬車へと乗り込んだ。




