すき焼き
「さ、食べて食べて!」
久しぶりの我が家の食卓にドカンと据えられたのは、大きな鉄鍋。
今日の献立は、二人に食べさせたいと思っていた、あの極上の肉を使った『すき焼き』。
高級キャンディを粉々に砕いて作った、特製の甘い割り下も用意した。
鍋の下では、アルが自由自在に使いこなせるようになった火魔法を使って、絶妙な弱火をキープしてくれている。
さすがは騎士団でも指折りの騎士だったアルだ。コンロとしての性能も超一級品だね。
「アルさん、もうちょっとだけ強いほうがいいかな」
「このくらいですね」
息ピッタリに調理を進める私とアルを、お父さんとお母さんは不思議そうな顔で見ている。
しかも、アルは「お父さんへの手土産だ」と言って、上等なお酒まで調達してきてくれていた。
お父さんは「こんなに良いお酒、一生に一度もお目にかかれない!」と大感激しながら、アルと楽しそうに酌み交わし始めた。
グツグツと音を立てる鍋を囲み、みんなで食べるすき焼きのなんとおいしいことか。
「メイシーが、こんなお料理を作れるようになったなんてねぇ……」
お母さんがうっすらと涙を浮かべる。
「たくさんお食べ。こっちのお野菜もよく煮えてるわ」
「もう、お母さんったら。器から溢れちゃうよぉ」
次から次へと私に食べさせようとするお母さんの、痛いほどの愛情。
そんな様子を、とろけるような笑顔で見つめるお父さん。
私たちをじっと見つめていたクロエが、お母さんに勧められたお肉を、恐る恐る口に運んだ。
じゅわっと広がる柔らかいお肉の感触と、食欲をそそる香り。
そして、『子どもを無条件に愛する』というごく当たり前の家族の風景が、彼女に何かの変化を与えたようだ。
クロエの目から、一筋の涙が、頬を伝ってぽたりと落ちた。
「クロエ様、どうかされましたか?」
お母さんが心配そうにクロエを見やる。
「いいえ、なんでもありません。
すごくいいご家族だなって、ちょっと感動してしまって……」
恥ずかしそうに涙を拭うクロエの頭の周りから、あのしつこい紫のモヤモヤが、すき焼きの湯気に交じって消えていった。
(家族の温かさが洗脳に勝ったんだ!)
胸の奥がじんわりと熱くなる。
私はみんなの笑顔を見つめ、大ぶりに切った極上のお肉を勢いよく口に放り込んだ。
(ここにいるみんなは、私の大切な家族だ……)
――――――――――
「また来月、絶対に帰ってくるからねぇ!」
「メイシー、身体に気をつけるんだよぉ……!」
「アルカイド様、クロエ様、メイシーをよろしく頼みます」
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、別れの時。
涙を浮かべながらも、笑顔でいつまでも手を振るお父さんとお母さんを後に残し、私たちは再び荷馬車へと乗り込んだ。
私をまた膝に乗せようとしたアルの手を、クロエが止めた。
「アルカイドはお酒を飲んだでしょう? メイシーを落としたら大変よ」
(おやおや、やっと名前を呼んでくれたと思ったら呼び捨てかい)
「お疲れでしょうし、私の膝にどうぞ」
クロエは座面に毛布を広げ、膝枕をしてくれた。
確かに両親との再会にはしゃぎ過ぎたのか、少し眠い。
「王宮に着くまでお休みください。家に戻ったら、話があります」
(あそこを「家」と呼んでくれたのかい)
クロエはそれきり口を開くことはなかった。
なぜなら、御者もまた、王宮の人間。
こちらの会話にじっと聞き耳を立てていることを、彼女は百も承知だったからだ。
クロエの柔らかな膝でうとうとしていると、いつの間にか王宮に到着していた。
私たちは城門で降りると、そこからは薄暗い森の中を、三人で並んで歩いて帰った。
あの寂しかった森の道が、私たちの家に向かう道のりだと思うと、なんだか嬉しい。
パタンと家のドアを閉めた瞬間、クロエの雰囲気がガラリと変わった。
「アルカイド。今すぐ一番強い出力で結界を張ってちょうだい。
外に一切の音が漏れないように」
ただ事ではないクロエの気迫に、アルも表情を引き締めた。
「結界、遮音」
手を上げて呪文を唱えた。
結界が完成したのを見届けると、クロエは深く息を吐き出し、堰を切ったように告白を始めた。
自分の出自。
七歳で実の親からゴミのように捨てられたこと。
魔法研究所で奴隷のように働かされたこと。
そして、ギルバートの元で、反対勢力の失脚に暗躍していたこと。
淡々と話し続けるクロエ。
「なんと、公女様でいらっしゃいましたか」
アルが居住まいを正す。
「よしてよ。今じゃ家名のないただのクロエよ」
そして、アルが過去に魔法の同時発動で暴走してしまったあの悲劇すらも、アルの才能を妬んだギルバートが仕掛けた卑劣な罠だったことを、クロエは告げたのだった。
「……そうか。あの暴走は、ギルバート殿下の仕込みだったのか」
真実を知らされたアルは、一瞬だけ険しい顔をしたものの、すぐに哀れむようなため息をついた。
「王子としての誇りを守るために、そこまでして他人を陥れなければならなかったとは……。
殿下も、ひどく孤独で、可哀想な人だな」
その言葉を聞いたクロエは、呆れたように、だけどどこか得心がいったように、ふっと苦笑した。
「……はぁ。本当に、貴方って人はどこまでお人好しなのかしら。
そういう『すべてを見透かしたような、驕らない天才の余裕』こそが、あの誇り高きギルバート様の激しい嫉妬を煽るってことがわからない?」
王子ともあろう者が、アルの美徳にコンプレックスを刺激されて、いじめに走ったというわけだ。
(小学生以下だね、バカ王子)
私はまだ見たこともないギルバートを心から軽蔑した。
「まぁ、過去の因縁はさておきだよ」
私は腕を組み、トントンと足を踏み鳴らしながら二人の顔を見上げた。
「クロエさんの洗脳が解けたのは万々歳だけど、これから一体どうするんだい?」
三人の意見は、すぐに一致した。
今ここで、クロエの洗脳が解けたことをギルバートに知られれば、間違いなく彼女は『処分』される。
だから、これまで通り「従順な人形」のフリをして王宮に潜入し、二重スパイとして動くのが一番安全だ、と。
重い秘密を共有し、本当の意味で味方になってくれたクロエの横顔を見つめながら、私の胸の奥で、小さな、だけど消えない炎がパチパチと音を立てて燃え始めた。
(……この世界の仕組みは、ずいぶんと汚らしいもんだ)
身分の高さや色の違いだけで、親でさえ子どもを捨て、いいように使い、役に立たなくなったら処分。
(このままのんびり適当に過ごしていこうと思っていたけれど……)
この腐った王宮の、いや、この世界全体のドブ川みたいな仕組みを『お掃除』してやらなきゃ気が済まない。
前世で汚れを落とし続けた清掃員の私が、わざわざこんな規格外のお掃除魔法を持ってこの世界に生まれ変わったのは、「そうしてほしい」という女神さまの思し召しさね。
「よし。売られたケンカも、溜まったゴミも、全部まとめてきれいさっぱり『お掃除』してやるさね!」
私の宣言に、アルとクロエは顔を見合わせ、深く頷いた。
(まずはあのかわいそうな子どもも何とかしてやらないと……)
虚ろな瞳をした、あの銀髪の少年の姿が私の脳裏に浮かんでいた。




