紫色の疑惑
クロエの部屋のドアが開いた気配を感じ取ったアルが、すかさず大声で呼びかけた。
「クロエ殿! 今日は『すきやき』だそうだ!
『とんじる』に勝るとも劣らない絶品ですぞ!」
覚えたての料理の名前を口にし、陽気に手招きをする。
クロエは相変わらず無表情なまま、とぼとぼと階段を下りてきた。
焦点の合わない生気のない瞳で、無言のままテーブルにつく。
(おや……なんだか、頭のモヤモヤが前より濃くなっているねぇ)
ねっとりとした紫の濃い靄が、クロエの頭を覆うようにまとわりついている。
私は彼女の髪をしげしげと観察した。
金色の粒がまだ残っているかを確認するためだ。
すると、クロエの右耳の脇のあたりに、健気にささやかな光を放っている一粒が見えた。
(よしよし、まだちゃんと残ってたね。
そんなモヤモヤ、おいしいものをたくさん食べて、こののどかな森の空気を吸っていれば、きれいに吹き飛んでいくだろうよ)
「さ、温かいうちにお食べ」
私はお椀に肉や野菜をたっぷり取り分け、クロエの前に置いた。
ついさっきまで、あれほど突っかかってきていたというのに、クロエは黙ったまま、のろのろしたスピードで、手と口を動かし始めた。
おいしいのか、口に合わないのか、その顔からは何も読み取れなかった。
やがて、鼻先が少し赤くなってきた。
口元にタレをつけ、熱々の肉と旨味の染みた野菜を、一心不乱に貪っている。
身体は、温かい食卓とおいしい料理を強烈に求めているのだろう。
その必死な姿が、余痛々しくて見ていられなかった。
やがて、自分の分をすべてきれいに平らげると、クロエはフォークをカチャリと置き、椅子を引いて立ち上がった。
「お代わりはいらないのかい?」
私の問いかけにも反応せず、何も言わずにまた二階の自分の部屋へと引きこもってしまった。
「……どうしたんですかねぇ、クロエ殿は」
パタンと閉まった扉を見上げながら、アルが心配そうに眉をひそめた。
「さっきまでは、怒ってばかりとはいえ、表情豊かだったと思うのですが……。
あの無表情がどうしても気になります」
「うん。なんだか、頭の周りの空気もどんよりと淀んでいる感じがするんだよ……」
私がフライパンに残ったキノコをつまみながら言うと、アルは何かを深く考え込むように押し黙った。
その真剣な横顔に、森の中で聞いた彼の過去がよぎる。
アルは、ギルバート王子と士官学校で同期だったと言っていた。
(クロエは『ギルバート様』に絶対服従している様子だし、あのモヤモヤは何か関係があるのだろうか……)
やがて、アルが意を決したように声を潜め、私に顔を近づけてきた。
「メイシー殿。……私の根拠のない推測で恐縮なのですが」
「なんだい?」
「クロエ殿はもしかすると……ギルバート殿下に『洗脳魔法』をかけられているのかもしれません」
「洗脳魔法……?」
私は箸を置き、アルを見つめた。
「はい。ギルバート殿下をはじめ、王族方や高位貴族が持つ『紫』の魔法は、【王者の支配】と呼ばれております。
他者の精神を侵食し、都合のいい人形のように操る、極めて強力な『洗脳』の魔法です。
相当の魔力を消費しますので、滅多に発動されることはないと伺っていますが、ギルバート殿下は魔力量が多いので、王宮では誰もがその力を恐れております……」
『紫』の魔法……洗脳……。
(あの子の頭の周りに見えている、あの気味の悪い紫色のモヤモヤは――まさか!?)
「……ギルバート殿下とその母上である王妃殿下は、『紫』至上主義です。
『紫』以外の色は認めません。
まして平民など、ご自身の欲望や権力を示すための道具とみなしています。
ですから、他人の心を操ることに躊躇などありません。
クロエ殿のあの無機質な瞳は、かつて殿下に逆らい、精神を壊された者たちと、あまりにも似ている……」
アルは辛そうに、唇を噛みしめた。
(その魔法で、人間の一番大事な感情も、おいしいと感じる心も奪い取ってるのかい?
王子様だか何だか知らんが、そんな好き勝手、許せるもんかね)
私の心の中で、怒りの炎がパチパチと音を立て燃え上がり始めていた。




