英雄の過去
「ねぇ、あの子はどうしたんだい?」
ボロ小屋への帰り道、あの男の子が気になってならない私は、隣を歩くアルに問いかけた。
「はぁ、私も詳しくは存じ上げないのですが……おそらく『シルバー』と呼ばれている少年だと思います」
「シルバー(銀)? まさか、あの子は……」
「はい、メイシー殿と同じく異色――『銀』の使い手と聞き及んでおります」
それを聞いて驚いた。
金(私)、銀(あの子)ときたら、そのうち銅の魔力を持った子も現れるんだろうか。
「あの子も、あのジメジメした部屋で魔石に魔力注入をさせられているのかい?」
「いえ、銀色の魔法はどうやら『反射』だそうです。それを買われて、あちこちの戦地へ駆り出されているのだとか」
「戦地って……魔獣や魔物と戦うんだよね? あんなに小さな子がかい?」
「はい、彼の場合は主に魔物が相手のようです」
アルの言葉に、私は胸が締め付けられるような思いがした。
「……今度、ゆっくり話を聞いてやりたいねぇ」
廊下ですれ違ったときの、あの光のない暗い目がどうしても頭から離れなかった。
足元の落ち葉がクシャリと音を立てる。
この国は、魔力があるとなったら大人も子どもも関係なく、都合のいい道具のように擦り切れるまで使い潰すのか。
アルは、私の無言の怒りに気づいたらしく、気遣うように優しく話しかけてきた。
「私は、国や人様を批判する資格も立場もない人間ですが……」
そこまで言って、一度、重いため息をつく。
「この世に生まれた以上……誰しもが幸せに生き、幸せに死ねるべきだ、と思っています。
あのような子どもが、絶望に目を曇らせて戦うなど、あってはならないことです」
(……それは、まさに私の前世の価値観そのものさね!)
アルの言葉に、私は目を見張った。
この世界に、こんなにも真っ当で、優しい心根を持った若者がいるなんて。
しかし――だからこそ、胸が痛む。
先ほどの噂話から察するに、アルは過去に火の魔法を暴走させ、多くの人を巻き込んでしまったのだろう。
優しい彼がその罪をどれだけ後悔し、苦しんできたのか――私には想像もつかなかった。
私はアルの大きな手を、両手でぎゅっと握りしめた。
「さっきは助けてくれて、ありがとうねぇ」
突然手を握られたアルは、驚いたように瞬きを繰り返したが、すぐに困ったような、照れくさそうな笑みを浮かべた。
「とんでもない。小さなあなたが、あの横暴なヴァーゴ所長に果敢に食ってかかったのを見て、私もつい……。それに」
アルはそこで言葉を区切り、愛おしそうな目で私を見つめた。
「あなたは、私に向けられた悪意に腹を立ててくれたのでしょう? ……お礼を言うのは、私の方です」
その言葉を皮切りに、アルは、自身の過去に何が起きたのかを、ぽつりぽつりと教えてくれたのだった。
◇◇◇
アルカイド・フォン・ベネトナシュは侯爵家の嫡男として生まれ育ち、七歳の『色彩の儀式』を迎えた。
現れたのは、非常に珍しい『白』と『赤』の二色。
彼は一族の期待を一身に背負い、神童ともてはやされた。
しかし、『白』の結界魔法はともかく、『赤』の火魔法はどうしても制御することができなかった。
やがて、ごく普通の『白』の使い手に過ぎないと見限られてしまった。
(ならば、剣の腕で身を立てるまで)
志願して士官学校に入ったアルは、血の滲むような努力を重ね、常に成績トップを維持した。
そして、その実直な人柄ゆえに、周りには自然と友人が集まっていたが、それが同学年の第一王子ギルバートのどす黒い嫉妬を買っていることに、真面目な彼は気づいていなかった。
卒業後は、率先して危険な魔物退治の任務に勤しんだ。
死線を潜り抜ける日々は充実していた。
騎士団だけでなく、貴族や平民の間でも彼の名声は高まっていった。
――だが、悪夢はある日、突然訪れた。
深い森での過酷な魔物との戦い。
押し寄せる群れを前に戦線が崩壊しかけたその時、同僚たちに強く唆されたのだ。
「アルカイド! お前の二色を同時に出せば、こんな魔物一網打尽にできるだろう!」
「国を、俺たちを救ってくれ!」
焦りと責任感から、アルは己の限界を超え、眠らせていた『白』と『赤』の魔法の同時発動を試みてしまった。
結果は、最悪だった。
二つの魔力は融合することなく反発し合い、アル自身が制御不能な巨大な炎の塊と化した。
凄まじい爆風と共に、魔物だけでなく、周囲の木々や大地を激しく燃やし尽くしていく。
同行していた白の魔法士たちが咄嗟に結界を張ったものの、その地獄のような猛火を防ぎきることはできず、何人もの兵が炎に呑まれ、悲鳴を上げて焼け焦げていった。
アル自身は、青緑の魔法士による強力な治癒魔法で、辛うじて一命を取り留めた。
しかし、病床で彼を待っていたのは、あまりにも残酷な現実だった。
貴族である騎士の治療が優先されたせいで、後回しにされた平民兵が何人も命を落としていたのだ。
その事実を知った時、アルの心は粉々に砕け散った。
(何ということをしてしまったんだ……。
この剣と魔法は、この国の民を守るための力だったはずなのに……っ!)
貴族の死者はゼロ。
アルカイドは「英雄」と称えられた。
しかし、平民兵からの恨みは強く、もう騎士団にいることには耐えられなかった。
アルカイドは自ら申し出て、王宮警護という名目の閑職に従事することにした。
高位の貴族騎士が就くのは異例のことだ。
父ベネトナシュ侯爵は激怒した。
侯爵家の敷地に二度と足を踏み入れるなという怒号とともに、家を追われた。
アルカイドは、決して消えることのない深い焦げ付きを心に残したまま、ただただ単調な日々をこの王宮で過ごしていたのだった。
◇◇◇
アルの独白を聞きながら、私はボロボロと大粒の涙を流していた。
彼の抱える深い痛みと悲しみ、そしてすべてを諦めてしまったような絶望の気持ちが、痛いほど伝わってきたのだ。
「……幼いあなたに、このような話を聞かせるべきではなかったですね」
私の涙を見たアルは、どこか申し訳なさそうに、寂しく微笑んだ。
私はアルを真っ直ぐに見据えた。
「いいや、私たちは一つ屋根の下に暮らす、いわば家族だろう?
家族ってものはねぇ、喜びも悲しみも全部、分かち合うものなんだよ」
その瞬間、アルの目にも、堪えきれなくなった涙がじんわりと浮かんだ。
「その苦しみと痛みは、自分への戒めとしてずっと持っておくがいいさね。
でもね……耐えられない時は、こうして大声で泣けばスッキリするんだよ!」
私はそう言うと、アルの大きな身体に飛びつき、ぎゅっと抱きついて、おんおんと大声をあげて泣いた。
硬く冷たい鎧の隙間から、私の体温がアルに伝わっていく。
アルの張り詰めていた心の決壊が、ついに音を立てて崩れた。
「――ぁ、あああ……っ……!」
アルもまた、私の背中に腕を回して強く抱きしめ、子どものように声を上げて激しく泣きじゃくった。
ひっそりと人気のない森の中、二人の泣き声だけが、優しく響き渡っていた。




