恐怖
「――ダメね、全く話にならないわ。ずっと思っていたことだけど、進歩が感じられないどころか、以前にもましてダメになってる。最初の頃は、まだ救いがあったのですけどね」
「……申し訳ありません、姫君」
それから、数ヶ月後。
四階建ての楼の最上階にて、俺の絵を見るやいなやひどく冷めた瞳で評価を下す姫君。そして、いつもの通り寸分の躊躇もなく火に入れる。そして、その様子をさしたる感情もなく見つめる俺。……それにしても、不思議なものだ。これほどに酷評を続けておきながら、どうして俺に暇を出そうとしないのか。見込みなどなく、もうとうに不要だろうに。
「……その、気にしないでね斎月さん。いつも言ってるけど、私はいいと思うからね? 斎月さんの絵」
「……ああ、俺は気にしちゃいない。俺もいつも言っているが、お前も気にする必要などない」
その日の夜のこと。
小屋の中にて、囲炉裏の向こうからいつもの如く俺を気遣ってくれる端整な少女。だが、当然ながらこいつが気にすることではない。そもそも、当の俺自身もさして気にしていない。
ともあれ、食事が終わりしばし経過。だが、いつもはもう帰っているはずの丹子が、まだここに留まり俺の隣に腰掛けている。……まあ、だからと言って不都合はない。むしろ、好都合と言えよう。なにせ――
「……お前には言っておこうと思うが、明日にはここを出ていくつもりだ」
そう、些か躊躇いつつ告げる。尤も、こいつに報告する必要もないのだろうが……それでも、これだけ世話になった以上、何も告げずに去るというのは不義理というも――
「…………っ!!」
刹那、思考が止まる。何故なら……卒然、丹子がぐっと距離を詰め俺を抱きしめたからで。……いったい、どういうつも――
「……ねえ、斎月さん……私を、抱いて?」
「……どういう、ことだ」
徐々に思考が戻るも、尚も戸惑いつつ丹子へと問い掛ける。……いったい、何を言っているんだ? 丹子を抱く? 俺が? いったい、どういう――
「……どうって、言葉の通りだよ。もちろん、斎月さんの気持ちは分かってるつもり。嫌になるよね。あんな酷い仕打ちを、ずっと受け続けてたら。だから、出ていくのはしょうがないと思う。でも……だったら、その前に私を抱いてほしいの」
「……いったい、お前は何を……」
「……私とは、嫌? やっぱり、姫さまがいい?」
「……いや、決してそういうわけでは……」
すると、じっと覗き込むように見つめ尋ねる丹子。そのつぶらな瞳には、どこか必死さが――そして、深い恐怖が見て取れる。俺に対する恐怖――ではなく、俺に拒絶されることに対する恐怖が。俺の返事次第で、こいつは死んでしまう――そんな恐怖が、どうしてか確信を以て俺の胸に迫っていた。だから――
「……後悔、するなよ?」
「……っ!! うん、もちろん!」
そう問うと、弾けるような笑顔で答える丹子。慣れていないためか、共にぎこちない動作でゆっくりと肌を重ねていく。見ると、腕の中で幸せそうに微笑む丹子の姿が。……きっと、これでいい。こんなことで、これまでの恩を返せるなどとは思っていないが……今、俺が丹子のためにできることがあるとしたら、きっとこれだけだろうから。
それから、翌日のことだった――丹子が、自ら生命を絶ったと聞かされたのは。




