第10話:選ばない選択
王都の夜は、静かに動く。
誰もが眠っているように見えて、
その実、最も多くの“意図”が交差する時間。
「殿下は、あの娘をどう使うおつもりで?」
薄暗い執務室。
ローデリック侯爵は、静かに問いかけた。
「使う、か」
第一王子は椅子に深く腰掛けたまま、軽く笑う。
「言い方が露骨だな」
「事実でしょう」
侯爵の声には、わずかな揺らぎもない。
「……試すつもりだ」
王子はやがて、そう言った。
「小さな役目を与え、その結果で判断する」
「なるほど」
侯爵は頷く。
だがその目は、すでに別のことを考えていた。
(“小さな役目”ね)
王子のやり方は分かっている。
成果を出せば取り込む。
失敗すれば切り捨てる。
(だが――それでは遅い)
キャルロットという存在は、すでにその段階を越えている。
試している間に、手の外へ出る。
「では、その役目は?」
自然な流れで問いを重ねる。
王子は一瞬だけ考え、そして答えた。
「北方の小領地で、不穏な動きがある」
「ほう」
「税の流れが不自然だ。だが証拠がない」
侯爵の目が、わずかに細められる。
「彼女に、それを見に行かせる」
王子は続けた。
「表向きは視察。実際は――調査だ」
(……甘い)
侯爵は内心で呟いた。
それではただの“試験”だ。
だが――
(使える)
「良い判断かと」
穏やかに同意する。
「では、その手配は私が」
「任せよう」
――その瞬間。
盤が、静かに歪んだ。
数日後。
「キャロ様、王都より正式な依頼が」
差し出された書状。
内容は、王子の言った通り。
北方領の視察。
(来た)
キャルロットは、目を細める。
だが同時に――
(もう一つ、ある)
紙の質。
文の癖。
そして――“整い方”。
(これは、二重構造)
表は王子。
だが裏に、もう一人いる。
「お受けいたします」
迷いなく答える。
断る理由はない。
そして――
(断らない方が、面白い)
出発前夜。
キャルロットのもとに、もう一通の手紙が届いた。
差出人の名は、ない。
だが。
(……やはり)
中身は、簡潔だった。
『北方領の監査官は、すでに買収されている』
それだけ。
説明も、署名もない。
だが――
(十分すぎる)
キャルロットは、ふっと笑った。
「なるほど」
王子は“不正を暴けるか”を見ている。
だが侯爵は――
(“暴いた後”を見ている)
もし不正を見つければ。
監査官は敵。
領主も敵。
そして、その背後には――
(王子の目が届かない構造)
(これは“試験”じゃない)
(“踏み絵”)
どこまで踏み込むか。
どこで引くか。
誰を切るか。
一歩間違えれば。
成果を出しても、消される。
「……面白いですね」
キャルロットは静かに呟いた。
そして、ペンを取る。
(なら――両方、出し抜く)
翌朝。
彼女は、何も知らない顔で出発した。
一方、その頃。
「情報は渡したのですか」
側近が小声で問う。
ローデリック侯爵は、窓の外を見たまま答えた。
「少しだけ、ね」
「殿下の意向に反しますが」
「だからこそだ」
静かな声。
「彼女が“気づくかどうか”」
「そして――」
ゆっくりと振り返る。
その目には、はっきりとした興味。
「気づいた上で、どう動くか」
それが分かれば。
もはや“駒”ではない。
「盤を任せる価値があるか、判断できる」
夜の王都。
それぞれの思惑が、静かに絡み合う。
王子は“試す”。
侯爵は“測る”。
そしてキャルロットは――
(利用する)
北へ向かう馬車の中。
彼女は目を閉じ、静かに思考を巡らせていた。
(監査官は敵)
(領主も怪しい)
(そして背後には、さらに上)
だが。
その唇は、わずかに緩む。
(なら――全部、使える)
盤面は、さらに複雑になった。
だがそれは同時に。
(手の打ちようが、増えたということ)
風が、強くなる。
嵐の前触れのように。




