魂付与
片方の鼓膜が破れているのか、ずっと頭が金槌で殴られた様に痛い。
三半規管が破壊されたのか、足がふらついてまともに立てなかった。
『姉さん、マリーナ…。』
片目に水が入ってきてまともに開けられない。もう片方の目を開けると、キアラの綺麗な寝顔が身体の下にあった。呼吸をしている事を確認して、マリーナの事を探すと見慣れたメイド服の袖がついた腕が血塗れで落ちている。
俺は其れを持っていないとマリーナにくっ付けて回復させる事が出来ないと思い急いで腕を取る。成人女性の腕は血が抜けて冷たく、ぶよぶよしていて、とても軽かった。
何がどうなっているのか分からないまま気絶しているキアラを背中に抱えて、マリーナの腕を握ったまま、ジュナイドを探して歩き出す。
見知った道も見知った店も、露店街も騎士見習い養成所も何もかもが倒壊している。薄暗い夜の空を塵や砂埃が覆い隠している。
瓦礫の山を足元を慎重に見ながらゆっくり、ゆっくりと前に。
ジュナイドが何とかしてくれる。ただそれだけに縋りながら、ジュナイドの気配に向けて歯を食いしばって歩き続けた。
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リンカネーターはジュナイドの前で一度だけ身震いした様に見えた。
ジュナイドの覚悟を読み取ったのか、リンカネーターは行動不能のライデンをそのままに身体から、影を無数に伸ばして臨戦態勢に入る。
ジュナイドは静かに魔力を増幅させる。無間と言われる、魔力増幅方法を行う。
魔力の増幅を見てとったリンカネーターは彼自身の魔力も瞬時に膨張させ始めた。
明確な知能を持った魔物が、近接でジュナイドに遅れを取ったのだ。当然魔力量による遠距離を選択する思考になる。魔力操作の発動をわざと見えせる事でリンカネーターの魔力による攻撃を誘いだす。
ジュナイドは動かずにリンカネーターの太陽に似たエネルギー圧縮された魔力を睨んだまま動かなかった。魔力圧縮による魔弾には圧縮の臨界点における魔力のプラズマ化により、その周囲の景色を一瞬だけ滲ませる変化を起こす。その臨界点を待っていた。
魔力操作、限り無く静止した魔力は未完成だった。竜の渓谷にいるジュナイドの師匠の教えにより、この世界の人の子が到達したとされる魔力操作の極地の技術。静止した魔力なら、プラズマ化した魔力すら完全に押し退けられるが、今のジュナイドの技術で近付けばどうなるかは賭けだ。剣に纏った限り無く静止した魔力で都市一つを瓦礫に変える魔力圧縮を切り裂けるかどうかはやってみなれば分からない。けれど勝機は間違いなく魔力圧縮の臨界点の隙に一縷の望みを賭けるしかなかった。
ジュナイドの常軌を逸した集中力により、性質上、運動エネルギーを持ち続ける魔力は一つ一つが操作されて、澱む事なく体の周りを流れる。
リンカネーターはジュナイドの変化に気付く事なく、唯全てを無に返すために全身全霊の魔力を圧縮し続け、遂に臨界点に到達した。圧縮された魔力がプラズマ化して、その周囲の景色を滲ませたその一瞬。リンカネーターもまた魔力を圧縮から、放出に切り替えるその隙をジュナイドは見逃さなかった。
中距離を高速で移動する重心歩法による高速の駆け抜けと、限り無く静止した魔力で剣を覆ってプラズマ化した魔力の核を的確に斬り裂いた。
切り裂かれた魔力がエネルギーの霧散により消失した。
リンカネーターは魔力と一緒に斬られた胴体から静かに魔物の黒い血を吹き出しながらもずっとジュナイドを睨んでいたが、直ぐ傷口を肉の膨張で止血すると、血塗れで倒れているライデンの方に這い出す。
全身の集中状態で満身創痍なジュナイドは息を切らしながらも、リンカネーターの張っている手を突き刺して止めた。
『どうやら魔力は殆ど尽きたようだな。』
突き刺さした手がもがいているが魔力の反応も影が体の周りを這いずる事もない。
ジュナイドは魔力を増大させ、リンカネーターを消滅させるために魔力を込めた剣撃を浴びせるかどうか思案した時、リンカネーターの驚愕の視線を追うと、その先にヘクティスが歩いてくるのが見えた。片手には誰かの腕を握りしめ、背中にキアラを背負っている。
その腕がマリーナのものであると認識した動揺の瞬間を見逃さなかったリンカネーターから影がヘクティスへと向かう。耳の長い銀髪の男の胴体は既に素体になった魔物の肉片に変わっている。
ジュナイドはヘクティスへ向かう影に気付いて反応するが、追いつけるような速度ではなかった。
『ヘクティスっ!』
ジュナイドの叫びも虚しく、気が動転しているのか、ふらふらで歩いてきているヘクティスは反応する事もなく呆気なく影がヘクティスに纏わり付き足先から絞めるように首まで回っていくと口無理矢理に開けてその中に這いずるように入っていく。
ヘクティスは苦しそうに白目を剥いたまま影の縛りに必死に抵抗しようともがいてるが、時期にばとりと倒れ込む。
『んっ…えっ?』
ヘクティスの背中から落ちた衝撃でキアラが目を覚ます。キアラは瓦礫の山に変わった景色に夢でも見ているかの様に周りを確認する。
ジュナイドは倒れたまま様子のわからないヘクティスと呆けるキアラの間に入る。
『師匠そういう事なのか…。』
キアラの無事な様子を確認しながらジュナイドは師匠の言葉を思い出していた。
未来と過去を内包した竜人、次元の狭間にある竜の渓谷の防人にして異端者。師匠はジュナイドに剣術と魔力操作を一通り教えおえると言った。
"咎人じゃないお前に一つ贈り物をやろう。今から言う事はお前の未来に起きる最大にして最悪な選択肢だ。心して聞きな。"
師匠は何気ない風に前置きするとその緋色の目の中が遠くを見つめる様に細められ、その瞳の中に幾つもの情景が流れる様に消えていくと視点定めて、ジュナイドの目をしっかり見つめた。
"大切なものを失わない為にお前は命を手放す。大切なものを失う事でお前はお前の命以外の全てを失う。"
師匠の哀れみの表情は筆舌に尽くし難いほどに彼女の威厳を損なってしまっていて、その未来をずっと恐れてきた。恐れてきたはずなのに、目の前にしてみれば覚悟は一瞬で決まっていた。
まだ混乱しているのか、地面に倒れて痙攣するヘクティスを呆然と見つめるキアラを抱きしめると両手で頬を挟み焦点を合わせる。
『キアラ、ヘクティスに何かあれば竜の渓谷を目指せ。』
ジュナイドはそれだけいうと突っ伏しているヘクティスを仰向けにする。白目で体が痙攣して、影が心臓あたりから身体中に伸びようとしている。
『私が大切なものを失うというのはこれだったのか。家族みたいな幸せな時間を失う。確かに私には無理だったな…。』
ヘクティスの心臓に手を翳し、ジュナイドは目を閉じた。影が人に寄生するなど見た事も聞いた事もない。けれど、師匠の教えてくれた魔力操作の中には生命力を自身の魔力に乗せて他者のに献上する技があった。
師匠は魂付与と呼んでいた。500年前の混迷期に生まれた魔法だと教えてくれていた。
ジュナイドはヘクティスの中に魔力の投与して、ヘクティスの少ない魔力を自分の魔力で覆いつくした。
影の動きが鈍り確信する。恐らく影がしようとしているのも、魂付与と同類のものだ。
『ヘクティス。私はお前の中で戦い続ける。だから、お前も夢を追いかけ続けてくれ。魂付与。』
ジュナイドの魔力の光が完全に消え、ヘクティスの影身体中に伸びていた影が消える。
そしてジュナイドの目から光が消え、呼吸音が消え、鼓動が消える。
ヘクティスの落ちいついた寝息が夜明けえと向かう明けがたの朝に寂しく響いていた。
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『ジュナイド?ねえ、ジュナイド?ねぇ!!』
ヘクティスの胸に手を置いて動かなくなったジュナイドに痺れを切らして肩を揺すると、軽い体はばたりと力なく倒れる。
キアラは慌ててジュナイドを支えるが、その体の冷たさにびくりと体を震わせる。
震えながらも呼吸を確かめて、胸に耳を当てて鼓動を確認する。動かないジュナイドの身体を丁寧に寝かせると、目線の先にマリーナが付けていたのと同じ袖口のついた腕が転がっている。泣きじゃくるでもなく涙が視界を歪め丸まろうとした時、ヘクティスの寝息が聞こえた。
縋るような気持ちでヘクティスの肩を少し強く動かす。誰かと一緒にいたかった。一人でここに起きてたくなかった。そんな気持ちを知る由もなくヘクティスは寝言だけは言いつつも起きてはくれなかった。
『ま…修行…します…zzz。』
キアラは寒い体を温めようとマリーナ腕を抱えたまま、死体のジュナイドを抱き寄せヘクティスに抱きつく様にして目を閉じる。
この悪夢が夢でありますようにと、涙も拭かずに悪夢に魘されるように必死に目を閉じ続けた。




