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予選一回戦 獣と群衆

今回は主人公以外の人々もメインです。少し哲学くさいです。

 一回戦が猛獣の餌食になることを大半の観客は知っていた。むしろそれこそが猛獣枠のメインとなる見世物だった。出場者もまた、自分達が獣に食われる可能性を知ってなお強制的に出場させられていたのだ。


 目をギラつかせたエーバーフントが唸りながら出場者達に近付く。その大きな爪の生えた太い足が一歩踏み出されるだけで、彼らは人を押し退け我先に逃げ出す。しかし、獣は四頭いる。そのすべてから逃れるのは至難の(わざ)だ。己以外の百人いる出場者は皆、自分優位に考えているのだ。

 やがて競技場(グラウンド)の中央に追い詰められた彼らは他人を外側へ追いやろうと押し合いを始める。もちろん誰もが猛獣に近い外側を拒み出場者同士の激しい喧嘩があっという間に広がった。

 観覧席からは、ちゃんと闘え、獣を殺せとブーイングが飛ばされる。様々な怒号(どごう)が飛び交う中、軽快な実況が会場全体に響き渡る。


『さあー今年も始まりました! このエーバーフント達は、死んだ同胞の血を飲ませているとのこと。昨年より狂暴さが倍増しております! 武器なくして猛獣を倒す有志はいるのかー!?』


 立ち見席で一回戦を見ていたミアは驚愕(きょうがく)と怒りで頭がいっぱいになった。


「なにこれ……ただの虐殺じゃない!」

「そうでもないよ~」

「ベル……!」


 いつの間にか隣に、エーバーフントをデフォルメしたような動物のお面を付けたベルゲンがいた。彼のゆるい喋りにミアは手すりを強く握っていることに気付き、ふっと力を抜く。


「売り子のお姉さん、トマテサンドのフォグくださいな」

「え、ええ、いいわよ。はい」


 注文を受けたミアは購買品を担いでいたのを思い出し、手前に背負った荷物の中から一つ掴んでベルゲンに渡した。


「ありがとー、僕トマテ好きなんだよね」


 フォグを受け取るとベルゲンはすぐにかぶりついた。顎を伝って溢れたトマテの汁を、舌をべろんと出して舐め取る。


「あんなの観ながらよく食べられるわね……」

「見慣れてるからね。それよりラインツなんか雰囲気変わったね、髪短いし。飼い主にいじめられたペットみたいな目してるよ」


 えっ、とミアが顔を上げるとベルゲンはどこにもいなかった。相変わらず神出鬼没な奴だと呆れてため息が出る。

 その時西側の観覧席からどよめきが起きた。人々の視線と指の先には、首に太く頑丈な首枷を付けた黒い奴隷がいた。今にも飛び掛かってきそうなエーバーフントの目の前にポツンと立ったまま動かず、逃げる素振りも見せない。エーバーフントは前進し、奴隷をすり抜けその先の出場者達の群れに突っ込んだ。悲鳴が上がる。奴隷は動かない。


「ラインツ……っ! 何やってんのよ、あいつ……」


 ミアは売り子をやっていることをすっかり忘れ、試合に夢中になってしまっていた。




 東側の一頭のエーバーフントが駆け出す。

 東側に近い者達はより中央へ行こうと無理やり他の出場者を引っ張り、押さえつけ踏みつける。そして起こる雪崩(なだ)れ。ドミノ倒しのように次々に転ぶ出場者。やめろと叫ぶ声が上がるが誰も聞こうとしない。

 己が生きるか死ぬかしか考えられないのだ。


「ちょっと、あなた達それでも剣闘士なの……!?」


 ククは冷静にこの場を切り抜けようとするが、周りは完全にパニックに陥っていることに気付き、どうするか考えていた。反対側でも同じ現象が起きていることに汗を滲ませる。


「食われるっ食われるよお!! 助けてくれえ!!」

「なっ!?」


 半狂乱の男に強く押され、つんのめりながらなんとか踏ん張るが中央の群れから追い出されしまった。


「しまった……っ!」


 目の前に飛び出してきたククに狙いを定めるエーバーフント。

 腹をくくるしかないと、深呼吸する。間を置いて獣が地面を(えぐ)るように大きく踏み出し突進してきた。

 ククは獣の動きをしっかり見極め軽やかなステップで避ける。突進の度に(かわ)してゆき、なかなか当たらないことに苛立ちを覚えた獣は牙を剥き出しさらに加速して襲いかかってくる。そして時折加勢するように体当たりしてくる別のエーバーフントにも注意を向ける。

 逃げ回ってては拉致(らち)が明かない。いつ他のエーバーフントが襲ってくるかも分からないこの状況で、逃げ続けるのは得策ではない。そう判断したククは、決心し姿勢を引くく構えた。

 低く吠える獣が前足で地面を削り、後ろ足を蹴り出す直前にククは二、三歩助走をつけて勢いよく跳んだ。


「ハアッ!!」


 ボゴッと音をたて獣の鼻先に強烈な一撃を加える。ククの蹴り技は獣の顔を変形させ、確実にダメージを与えた筈だった。


「グヴウウッ……!!」


 獣は倒れるどころかますます怒りを顕著にし前足で何度も地面を蹴る。


「やっぱり武器がないとダメか……でも諦めてたまるか、メメの命が懸かってるんだ!」


 距離を置いたククは再び構えた。獣が突進する。今度は獣の頭部目掛けて拳を突き出した。獣は己の勢いを利用され攻撃を真に受け、動きが鈍る。よし! とククは好機を手に入れたのを実感する。そして獣が回復する前に自慢の脚力で地面をダンッと踏み、獣の上空に跳んだ。宙で体の向きを変え、奴の首の付け根を狙って重力を最大限生かし右足を伸ばして急降下する。


「くらえええ!!」


 そのときククの左側から別のエーバーフントが突進してくるのが視界に飛び込んできた。このままでは下のエーバーフントを倒す前に自分が殺られてしまう。だが避けることは出来ない。奴の鼻の上に生える大きな角が脇腹のすぐ側に来ている。

 絶体絶命の危機に瀕した直後、突進するエーバーフントが消えた。


「っ!?」


 正確には何者かがものすごい勢いでエーバーフントを蹴り飛ばした。

 ドゴンッという何かが壊れる音に驚いたククは慌てて膨らんだ尻尾を身体にぴったりと沿わせ集中する。跳び蹴りが命中し、狙い通り首の骨が折れる感触がした。崩れ落ちるその大きな背に跨がり、伸ばした鋭い爪で喉を切り裂き絶命させる。


「やったぜ、嬢ちゃん!」

「思ったよりやれそうだぜ!」


 己が可愛いばかりにたった一人の少女にすべて押し付け、ただ見ているだけだった者達が口々に喋り出す。


 ククは返り血をボタボタと垂らしながら、荒い息のまま他のエーバーフントの動きを見た。先ほど大きな音がした方を見ると、競技場を囲む壁が一ヶ所大きく崩れていた。そして大量に散らばる破片と倒れている獣の変わり果てた姿に目を丸くする。その傍らには両耳の付け根から角を生やした黒い男が立っていた。


「あなたがやったの?」


 恐る恐る問いかけるが男は何も答えない。ククが歩み寄ると、男が僅かに顔を向けた。

 男は片目だけでこちらを見る。夜空のように深い紫色に金色の光彩がまばらに入った神秘的な瞳。思わず見とれてしまいそうに美しいのに、ククはどこか遠くを眺めているような意思のない空っぽの穴を見ている気分がした。


「あ、ねえ……」


 ククが話し掛ける前に、男は彼女の横を通り過ぎて行く。慌てて振り返り声を掛けた。


「礼を言うわ。あなたがこいつをやってくれなかったら私は予選落ちしてた。でも、悪いけど優勝するのは私よ」

「……*****」

「え……?」


 微かに耳に入ってきたのは、全く聞いたことのない不思議な言語だった。



 未だ一回戦は続いている。

 破片を手にした出場者達は残りの二頭に向かって投げる。ある者は目に命中させ、またある者は獣が痛がるのを笑っていた。投げて投げて、投げまくり、ついには獣のほうが退(しりぞ)き始める。


「おい見ろよ! あのデカブツ俺たちを怖がってるぞ!」

「ウハハハっざまあねえな!」


 つい先ほどまで死に怯え逃げ惑っていた者達が、今度は大勢でいじめる側に立って嘲笑っているのだ。出場者の大半が強制参加させられている社会的立場の低い者であるというのに。


『只今、武器を使っているという苦情が殺到してますが、壁が壊れたのは故意ではないため壁の破片を使うのは反則行為にならない。よって、今大会限り咎められないそうです!』


 実況による解説に出場者達から歓声が上がる。獣達は言葉が理解できるのか否か、実況を響かせる拡声器に向かって吠えた。


 武器を持って群れると途端に加虐心を剥き出しにする人間の(ごう)の深さ。弱い者達の矮小(わいしょう)な心と行為の醜悪(しゅうあく)さが競技場を中心に描き出されていた。



 ──この世界は醜い……


 誰かの言葉が脳裏(のうり)に浮かんだ。


「……***?」


 黒い奴隷は瞬きをして周りをキョロキョロ見る。誰かは近くにいないことが分かり視線を足元に戻した。少しでも変な動きをすればご主人様に首を絞められる。好奇心より恐怖のほうが勝っていた。



 制限時間まであともう少しだと、ククは額の汗を腕で拭う。

 躍起になって破片を投げ続ける出場者達。じりじりと後退しながら全身の毛を逆立てて威嚇をする二頭の獣。



『予選一回戦終了! 今立っている者だけが二回戦出場資格を持ちます!』



 暑い日射しと砂埃(すなぼこり)の中、けたたましい鐘の音が響いた。

前回初登場したククという少女に焦点を当てました。外見は15、6歳くらいの強い獣っ娘です。次話は彼女のエピソードを織り込んでます。

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