猛獣枠、予選一回戦開始
作中の“黒い奴隷”はラインツのことを指しています。
週末を迎えた朝。
夏は終わりかけというのに日差しは強く眩しく、まるで真夏のような快晴である。
武道大会前日。もとい猛獣枠戦当日。
大会が行われる会場となる競技場は城から少し離れた平野にある。競技場への本筋の通り道にはカラフルに染められた手拭いが連なるように飾られ、飲食を売る屋台が来場者の道しるべになっていた。また、その屋台の集客をあやかり、無許可で出店する者や物乞いの類いも多くいる。
だが誰も咎める者はいない。祭りとはそういうものだ。
街の衛兵も制服こそ着ているものの完全にお祭り気分である。
競技場は建物全体が楕円形状に作られており、中央の砂がひかれた闘技場を囲むように階段上に観覧席が設けられている。闘技場に近い最前列から大きく三段に分かれており、さらにその上が立ち見席となっていた。
つまり陸上運動場のような建築物である。
猛獣枠に出場する剣闘士の過半数はフックス卿の所有する奴隷で闘技場の地下施設で待機しており、他の出場者はエゼルの引く馬車に荷物のように詰め込まれ会場に運ばれる。アーノルド卿の黒い奴隷は彼のその豪華な装飾の施された屋根のある馬車に乗せられ会場に入った。
競技場の観覧席はすでに七割ほど埋まっていた。まだ大会は始まっていないものの、観客はその半数が浮かれた顔をしている。馬車の窓からその様子を見たアーノルド卿は彼らを小馬鹿にするように嫌みを呟く。
「この大会をただの祭りだと思って浮かれておるとは、頭の程度が知れる」
卿の独り言に賛同するように向かいの席に掛けていた秘書が頷く。
「ええ、全くです。毎年大会を盛り上げるためにご当主様がどれだけ苦労なされていることか」
アーノルド卿の機嫌を損ねないよういちいち反応しなくてはならない秘書を一瞥し、奴隷は視線を下に戻した。
奴隷はアーノルド卿の足元に踞るように床に座り込んでいた。頑丈な金属の首枷から伸びる鎖の先には卿の太い手があり、いつでも奴隷の首を絞めることが出来た。馬車の揺れでひっきりなしに鎖が音を立てる。段差のある通路を通ったとき一際大きく響き、苛立ち始めた卿は鎖を掴む手を引っ張った。
「ッ**……! …………!!」
「うるさい! この馬鹿者! 静かにすることも出来ないのか、これだから野蛮族は…………」
首元に首枷が食い込んだ痛みに耐えて背中を丸める奴隷を見下しながらブツブツと暴言を吐く。
「ご当主様、本当に大丈夫なんでしょうか。こんなどこの馬の骨かもわからぬ野蛮族の男で……」
「なに、心配はいらん。よおく調教したからな」
奴隷の背中を踏みつけ自慢気に言う主人を、初老の秘書は醒めた目で見ていた。
秘書は、剣闘士という名目で所有していた奴隷はすべてこの黒い奴隷に使い物にならなくされてしまったというのに、それを目の前の主人は忘れているのではと呆れていた。
言葉が通じず言うことを聞かないこの奴隷に腹を立てた主人が他の剣闘士達に殺めさせようとした結果、残ったのはたった一人だけ。恐れた主人は首に特殊な枷を付け鎖で繋ぎ少しでも動けば首が絞まるようにしたのだ。それまで力のあらん限り暴れていた奴隷は多少の抵抗心は見せるもののすっかり大人しくなり、主人の顔を見るだけで怯え、たった数日で性格が変わってしまった。一つしか開かない瞳は、最初こそ鋭い眼光を見せていたが今では覇気のない曇った色をしてる。
しかし、この奴隷の黒い男は強かった。普通の人間より遥かに筋力があり、戦い慣れているだけではなく怪我の治りが早く主人の鞭打ちにも一晩で回復してみせるという強靭ぶりを見せた。
「よいか、予選で踏み台にされるような真似したら一生首を絞め続けてやるから覚悟しておけ」
「……****!」
奴隷が首に手を置き怯える。訳のわからぬ言葉を発し、また鎖を引かれる。
「わしは、今年こそあの忌々しいフックス卿を打ち負かすのだ。一般枠の優勝者を倒し、奴より多く金を持っているのはこの私だと周りに知らしめてやる」
鎖を強く握るアーノルド卿の瞳は欲にまみれていた。
馬車から降りた奴隷は手続きを済ませた後闘技場のほうへ連れていかれた。係員に先導してもらい細い通路を進んでいると、入場口の傍で二人の少女が神妙な顔つきで揉めていた。
一人は大人と変わらぬ体つきをしており、格好から察するに出場者のようだった。もう一人は美少女と呼ぶのに相応しい可憐な子ども。二人とも同じ茶色い獣の耳と太い尻尾を生やしており、容姿は違えど似た雰囲気を持っている。
「ねえ待ってよ、私のためにククお姉ちゃんが犠牲になることはないわ!」
美少女がもう一人の腕を掴み、入場口へ向かう年上の少女を必死で止めていた。姉と呼ばれた方は腕を引かれつつも一歩も動かず、意志を変えることのない肝のすわった瞳をしている。だが振り返って妹を見る目は優しいものだった。
「メメ、もう決めたことなの。それに私が負けたことなんてないでしょう? だから心配無用よ、さっ早くあいつのとこへ戻りなさい」
妹の頭を撫でなだめる。姉を止められぬ妹は半ベソになってもなお諦めずに引っ張る。
「でも……ククお姉ちゃんばっかりっ……」
「大丈夫よ私強いから。こんな大会すぐに優勝してやるわ! じゃあ、メメ。行ってきます」
「絶対……死なないでね、約束だよ! ククお姉ちゃん!」
見送ることしか出来ない少女は泣くのを堪えて手を振る。入場口へ入った瞬間目付きが変わった姉の背中を眺めながら黒い奴隷も続いて入ってゆく。鎖だけ取り外された首枷をつけて。
◇
パンッパンッと空に煙の塊を作り花火が上がる。
『これより猛獣枠予選一回戦を始める! 出場者は全員闘技場に集まれ!』
猛獣枠の主催を務めるフックス卿の号令により、出場者は次々に闘技場に入場した。武器を持たない手ぶらの状態で。ざっと百人はいるだろう。皆ピリピリした緊張感の中、開始合図の鐘の音が鳴るのを待つ。彼らの視線は闘技場の東西の入場口である。入場口周辺を避けるように離れて警戒している。中には両手を握りしめて神に祈る者もいた。
観客は皆、一回戦が始まるのを今か今かと待ち構えている。競技場に一番近い最前列は貴族や裕福な者が、中央と最後尾の列には一般の都民や遠方から応援に来た者で埋まっている。猛獣枠には、剣闘士としての奴隷の他に一般枠の選抜試験で落ちた者も出場できるのだ。
最後尾の列の後ろの立ち見席から、ミアはラインツを探していた。今はアーノルド卿の黒い奴隷として出場する彼を見張るのがミアの任務だ。
「あいつどこにいるのよ。あいつよりデカくて獣っぽい奴多すぎ……」
立ち見席からは競技場からかなり距離があるため出場者は豆粒のような小ささだった。
『予選一回戦始め!!』
拡声器からの号令の後に鐘が鳴り、わあと歓声が沸く。
競技場に二ヶ所ある、東西の入場口の奥から滑車のついた大きな檻が運ばれてきた。檻の扉が開けられ中の獣がゆっくり外へ出る。
低く不気味な唸り声が辺りに響く。獣は一頭だけではない。大きく鋭い爪で地面を引っ掻いて次々と競技場へと忍び寄り、会場全体を震わせる。
馬車を引くエゼルのように大きな体、狼の如く鋭い牙と爪、頭部の中央から巨大な角を生やすエーバーフントである。全身が焦げ茶色の固い体毛に覆われたそれは、唸りながら涎をだらだらと溢し、目の焦点が左右でバラバラに動いている。明らかに狂っていた。
丸腰の出場者がいる競技場にすべてのエーバーフント、狂った獣が四頭放たれた。
武道大会始まりました!
ここから二章最後までバトル続きとなります。予選一回戦はただの拷問っぽく見えますが、ちゃんと楽しい闘いになるよう執筆中です!




