名前を無くす日
前回一週間以上経ってしまったので今回更新早めました。
翌日早朝にラインツはケイを家に誘った。任務の間は帰宅できないため彼にキャビンの世話を頼むためだ。
「悪い、こんなこと押し付けて……」
「平気だよ、ほらっキャビンも俺に会えて嬉しいってさ」
ラインツの家に度々遊びに来ていたケイは、毎回キャビンを可愛がっていたためキャビンもケイによくなつくようになっていた。今もだらりと足を投げ出して耳の裏をかいてもらっている。
「前に叔母さんを助けてくれただろ。あのときラインツが病院まで叔母さんを担いで走ってくれなきゃ間に合わなかった。そのお礼とでも思ってくれればいいよ」
「そうする。……キャビン、ケイの言うことを聞くんだぞ。大丈夫、また戻ってくるから」
夏毛で地肌が所々見えているキャビンは、見た目は貧相だが以前より逞しい雰囲気をしていた。その大きな体を抱き寄せてしっかり撫でる。撫でる回数も、一回一回長い時間を掛けているが一日五回で済むようになったため大分人に世話を頼みやすくなったのである。
「……ケイ、来週の武道大会って観に行く?」
「なんだ急に。誘われたら行くけど俺あんまりああいうの好きじゃないよ」
「ケイは優しいからな」
「? まいいや。ラインツ、気をつけてな」
唐突な話題にケイは少し怪訝な顔をしたが、玄関に向かうラインツを見送った。その優しい笑みにラインツは僅かに微笑み返す。
「行ってくる」
丘を下りながら、ラインツはなんとなくマリーの店の匂いが恋しくなった。乾燥させた草花の柔らかい香りと、微かに漂うお菓子の甘い匂い。マリーは甘いものが好きでお茶を飲むときは必ずお菓子を食べている。
気付くとラインツの足は彼女の店のほうに向いていた。
街はいつもと変わらない風景で、ゆっくり時間が流れている。通りすがりに祭りの話をする人々の顔は皆楽しみで仕方ないといった笑顔であった。
◇
「貴方馬鹿ですか。だから最初に忠告したのに……」
彼女の口から馬鹿という言葉が出るとは予想もしていなかった。
久々に『クロビエール』でマリーとお茶を飲んでいたラインツは、彼女に任務について、武道大会に出場することをそのまま話してしまったのだ。怒られて気まずくなったラインツは手持ち無沙汰に、乾燥させた果物を浮かべたお茶を匙で何度もかき混ぜた。ぐるぐる回る果物の欠片がお茶に溺れる様子をぼーっと眺める。
しばらく沈黙が続いた後、マリーがため息をついてカップを作業台の空いてるスペースに置いた。
「今のラインツさんはリーダーの良いように飼い殺されているだけです。これ以上自分の心を無くすような真似はしないでください。一度失った心はたとえ回復しても二度と元の状態には戻らないのですよ」
ラインツはかき混ぜるのをやめて目を曇らせた。
「知ってる。でもアレックスはこんな俺を一流に育ててくれると約束してくれた。そのためなら心ぐらい……」
「何を信じるかはその人の自由ですが、貴方はアレックスを信用し過ぎです。死者への手向け花も弔いも、笑うこともやめて、貴方が貴方である意義を捨てさせた男に今度は人権まで捧げて何になるんですか?」
ラインツが顔をあげると正面に座っているマリーが無表情のまま見つめていた。めったに他人と目を合わせない彼女がここまで感情的になる理由が分からずラインツはつい聞いてしまう。
「マリーはなぜこんなに怒ってるの? コルンブルーの仲間だから?」
「…………同じ組織の一員である前に、友達だからです」
「友達?」
わからないのですか?とマリーは目配せをする。
「一緒にお茶を飲んでお話しする仲ということです」
彼女はそれ以上何も言わなかった。
ラインツが店を出ていった後、乾いた拍手と共にアレックスが部屋に現れる。
「婦女子の覗きとは悪趣味です」
マリーは顔も合わせず毒を吐いた。
「いいじゃないか、これは監督なんだから。それにしても見事な演技だったよマリー。やはり君は天才だ」
「おだてても何も出ませんよ、ボーナスならそこの作業台に置いといてください。片付けの邪魔です」
食器を棚に仕舞うマリーに半ば追い出されるようにしてアレックスは去る。
静まり返った店の中でマリーは祈るように呟いた。
「ラインツさん、貴方の救世主は他の誰かがいる筈です。どうか完全に闇に堕ちる前に気付いて。私ではあまりにも非力過ぎる……」
ラインツがアジトへ戻るとまだ誰もいなかった。
手持ち無沙汰になったラインツは部屋に置いてあったハサミを掴むと、三つ編みにした長い髪を無造作に切っていく。床から髪紐だけ拾うとポケットの中に入れていると、玄関の開く音が聴こえてきた。
「もっと男前にしてやるよ」
指を鳴らしながら歩み寄ったアレックスはラインツを思いっきり殴り飛ばす。その手加減のない拳骨をまともに食らったラインツは床に倒れ、口の中の痛みと血の味に股間を熱くした。
◇
日が暮れてどっぷりと闇に染まる夜、とある豪邸に布が覆い被さった木組みの檻が運ばれた。それは大人が一人踞ってようやく入る大きさだった。
光るほど磨かれた石の床に置かれた檻の前には二人の男がいた。一人は檻の傍で笑みを浮かべる出っ歯の青年。もう一人は立派な髭を蓄え豪勢な衣服に身を包むずんぐりとした男。
「それは本当にギルフォードの替わりになるほどの男なんだろうな」
髭の男は眉間に皺を刻み、苛ついた声で念押しをする。
「もちろんですアーノルド卿。なんたってこの城都一の腕利き仲介屋の私が国中を探して見つけたのですから。さあ、どうぞご審査ください!」
仲介屋が檻に被せていた布を勢いよく取り払い、中のものが姿を表す。
「ヒヒッ、ふはははは! これはまるで本物の悪魔のようだ、面白い!」
豪快に笑うアーノルド卿に、仲介屋は揉み手をしながら大きく頷く。
「ええ、ええ! それはもう悪魔の如き狂暴で粗悪な奴でして、とある村の集落で暴れていたのを数人掛かりでやっと捕まえた野蛮族ですよ。強さは私が保証いたします!」
「醜男の貴様が保証とはな! ならば早速試してみるか。猛獣の王になりえるのかを!」
下品た笑みを浮かべる男達を、狭い檻の中から両手足を鎖で繋がれた黒い男がじっと睨んでいた。
出っ歯はもちろんツァンです。
次話から武道大会となります。擬音語や叫び声を多用しすぎないよう気を付けます。




