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正気と狂気の間

※過度な暴力表現があるのでご注意ください。

 被害者という言葉に彼女は鼻で笑った。


「被害者って、あんた男でしょ。本当は何も知らないからそんな嘘が言えるのよ」


 一向に信じようとしないミアに、ラインツは覚悟を決めた。


「俺は教団の研究所の実験に使われた被検体だ。研究所から逃げてここまで来た。この街に入る前に、教団からは監視付きで自由を得ている」

「研究所って、シルタッハの北の山奥にあるという、あの…………」


 ミアが青ざめた顔で呟く。


「研究所についてはほとんど何も知らない。俺以外にも男の被検体はいたらしいが記憶にない…………お化けでも見てるような顔だけど、研究所はそんなに恐ろしいところなのか?」


 ラインツと目が合ったミアはさっと目を逸らした。そして長く息を吐き、再びラインツを見て喋り出す。


「……あんたの言う研究所は、教団の施設の中でも特に謎が多くて非人道的な実験が行われてる危ない(ヤバい)とこよ。実験に使われた人間は虚脱症候群(シャッテンマン)と呼ばれてる。実験で心が壊れてひたすら何かに怯えながら徘徊(はいかい)を繰り返すと聞いたわ。ずっと前に見掛けたことあるけど……森でそういった人達を見たことあるならそいつらよ。だからあんたみたいに意識がはっきりしてる被検体は初めて見る」


 両腕を抱え込むような姿勢で聞いていたラインツの肩にアレックスが優しく手を置く。


「こいつの監視で街にいた教団の連中と直接連絡とったついでにミアのことも聞いたんだ。そしたらお前にはもう用はないとのことだ」


 一拍おいてミアは口を開く。


「ふーん、ヤったとでも嘘ついたのね」

「君の名誉を汚すような真似をして申し訳ない」

「いいわよ別に、死ぬよりマシだし。それでこいつは何だったの? 聞いたんでしょ?」

「エルは、儀式で(にえ)にされたそうだ。そしてこの姿も儀式によるものらしい」


 ふーん、とラインツの角を半目で見て頷く。アレックスの説明にも納得いかない様子のミアにダメ押しで付け加える。


「今の俺は地底の世界と常に繋がっている状態だ。おそらくこの体の能力も古の(ウーア・)支配者(アルテヘルシャー)によるものだ」


 ここから先のことは言っても良いものか判断がつかず、信頼に頼るしかなかった。気を落ち着かせるためにラインツが腹部に手を置くと、彼女が少し気まずい表情で訊く。


「そう言えば、私が蹴った傷はどうしたの? 何ともなさそうにしてるけど」

「動くと少し痛いけどもうほとんど治った」


 アレックスが口笛鳴らす。折れた肋骨が一、二日で治っているのだ。


「それも支配者の能力か、すげえな」

「アレックス、あんたよくこんなに厄介者を受け入れるわね。でもこいつのことはやけに気に入ってるんだ」


 ミアの皮肉に対し期待の新人だとだけ答え、アレックスはラインツと向かい合うように立った。改まった空気にラインツは少し緊張する。


「ミアからおおよそ聞いてはいるがこの間の件の報告がまだだったな、今聞こう」

「計画通りにはいかなかったが、ムスカル子爵の嫡男ムシュルカの暗殺無事に終わった」

「そうか。エル、初めての単独任務おめでとう。よく頑張ったな」


 褒められたラインツは安堵と共に嬉しさと悲しさが込み上げてきた。だが不意に頭を撫でていたアレックスの手が止まる。


「けど最悪だ。刺し傷から犯人の身長と身体能力、武器の形状がモロバレだ。これだけでかなり犯人像が絞り込める。もう二度とヘマすんな」


 力の篭った右手で床に投げつけられた。傍にあった椅子を巻き込んで大きく音を立てて倒れる。痛みを堪えて上体を起こしたラインツの視線の先には冷徹な目で見下すアレックスの姿があった。


「い……アレックス……?」


 見上げた景色はどこか見覚えがあるのに何故か思い出せないもどかしさがラインツの頭の中をぐるぐる回った。冷たい床に拳を握る男の影。その既視感は苦くて甘い麻薬のようで、はっきりと意識すると下腹部が熱くなった。


「これ以上失敗を犯さないように躾てやる。逃げるなよ」


 ラインツの喉からヒッと息を飲む音が鳴る。

 アレックスは顔を強く殴り再び床に伏したラインツの角を引っ張り今度は壁に何度も打ち付ける。室内に大きくドンッドンッと響き渡る中、ミアだけがこの異常な空気に堪えられず異を唱えた。


「アレックスやり過ぎよ! 今までこんな処罰誰にもやらなかったじゃない、どうしたのよ!」


 彼女は恐怖に冷汗をかきアレックスを止めようとした。しかし当の本人は顔色一つ変えず答える。


「最初に甘いって言ったのは君のほうだろう? それとも(コルンブルー)のやり方に文句があると? こいつは世間知らずだからこうしてしっかり教育するんだ」


 容赦なく殴り続けるアレックス。まるで鬼に取り憑かれたかのような所業にどんどん血の気が引いてくミア。声を掛けることすら恐ろしくなった彼女は両手で耳を塞いで音が止むのを待った。アレックスの指示があるまでこの部屋から動けないのだ。これは己がやったことに対する罰なのだと、もう二度と彼を傷付けまいと何度も胸に刻んだ。


 ラインツは一度も避けなかった。傷の治りが人より早いとはいえ痛みは相応で、同じ箇所を繰り返し殴られる度に歯を食い縛り、血の混じった唾液で口回りを汚していく。一言も制止を求める声を上げずひたすら耐えていた。苦し気に漏れる呻き声はどこか上の空で、時々意識が飛んでいるようにも見える。


 いつの間にか雨は上がっていた。

 どんよりとした空は枯れかけた植物の葉のような生気の薄い緑色で、ミアは覗いた窓を閉めた。


「俺はこれから仕事に行ってくる。ミア、あとは任せる」


 アレックスはそう言うと、血だらけになった手を拭いて何事もなかったように部屋を出ていく。その後ろ姿はいつもの機敏さはなく、ぎこちないようにも感じられた。


 扉が完全に閉まってから、ミアは恐る恐る床に(うずくま)ったままのラインツに近寄る。絵画のように整った容姿は(あざ)をいくつも作り、傷んだ髪がほどけて汗で(まと)わり付き見るも無惨な姿になっていた。腫れた右目は潤み頬を赤く染め、肩で息をする彼の虚ろな表情に思わず見惚れてしまい、はっと気付いて顔を背ける。

 深呼吸をして再びラインツに目を向けると、今度は股間が膨らんでいるのが視界に入ってきた。


「なに興奮してんの、家はどこ? 送ってくわ」


 渇いた口から出た声は頼りなくてさらに焦りを感じたが、逆に心配されるのが嫌で平常心を装う振りを貫き通した。





「肌が黒いから今気付いたけどひどい顔よ、ちゃんと目見えてる?」

「見えるけど……開けるの辛いからしばらく閉じる。見えなくても歩けるから……」


 ミアはふと、普段髪で隠している左目は殴られていないことに気付く。


「左目は無事みたいだけど……」

「そっちは元々見えない」

「ごめんなさい、野暮なこと聞いたわね」



 ラインツはミアに寄りかかるようにしてゆっくり進み、ときおり転びそうになりながら丘の上の家まで歩いた。昼が過ぎ、雨が止んでから時間が経っていたがまだ地面がぬかるんでいて歩きにくくなっていた。丘を少し登ったところでラインツはミアに貸して貰っている肩から腕を外そうと身じろく。


「ここまでで大丈夫。手を貸してくれてありがとう」


 (いく)ばくか痛みが引いた為かラインツは一人で帰ろうとする。しかしミアは彼の腕を掴み自分の肩にしっかり掛けて言った。


「まだふらついてるじゃない、家の中までついていくわ」

「……嫌じゃないのか?」

「好き嫌いの問題じゃないでしょう! ……それに私のせいでもあるし…………」


 怒りながらだんだん小さな声になって聞き取れなかったが、今のミアからは殺意を感じられないのがラインツを安堵させた。

 ようやく家の前に着き、礼を言うとミアが訊ねる。


「そういえば何人家族なの?」

「? 俺とキャビンの二人……キャビンは動物だけど」

「そう、じゃあこの家には今誰がいるの?」


 警戒体勢に入るミアに、ラインツも集中して耳をすますと階段を降りる足音が聴こえてきた。刺客ではない、隠れる様子がないのだ。足音は一階の出入り口に近付き、姿を現す。


「ラインツ! なんだその顔、喧嘩に巻き込まれたのか?」


 謎の足音の正体は工具箱を手にしたケイだった。





「この家、古くて雨漏りしてるかもしれないので様子を見に来たんです」


 ケイは開口一番に勝手に家の中に入ったことを謝った。彼はつい先程まで屋根裏に登って点検していたのだ。雨漏りの痕跡は見られなかったが隙間の大きい箇所に綿を詰めて補修をしたとラインツに告げた。警戒心の強いはずのキャビンはケイだと分かると逆に愛撫を求めてきたらしい。

 ラインツが礼を述べると、ケイは先生の頼みですからと謙遜した。


 そしてミアは彼と簡単な挨拶を交わすとあっさり帰ってしまった。


「ちゃんとキャビンを紹介したかったな」


 血で汚れた服を替えていると、ケイが水の入った桶を持って部屋に入って来た。


「なにもないけど応急処置はしますよ」


 二人は向かい合う形で椅子に座った。まだ使われていない清潔な布を水で固く絞り、傷付いた箇所を丁寧に拭いていくケイの手付きはどこか慣れているようにみえた。顔、手、上半身と血や汗を拭っていく。ラインツはその手をじっと静かに眺めていた。


「何か喋ったらどうですか? さっきからずっと私が一人で人形遊びしてるみたいじゃないですか」


 黙ったまま手当てを受けるラインツに痺れを切らしたケイが呼び掛ける。


「……ええっと、敬語使わなくていいけど」

「一応お客様ですので」

「でもケイは友達だろ」


 ケイは一旦手を止めて、ではタメ口で失礼しますと前置きをしてラインツの目を真っ直ぐ見た。


「友達ならちゃんと助けを求めろ、辛いならそう言え。じゃないと一生言えない人間になってしまうぞ。……寂しいだろ、お互い助け合えないなんて」


 大声ではないが、真剣に怒っている口調にラインツはやや驚いた。彼は本気で心配してくれているのだ。


「やっぱりケイは良い奴だ、でも今はこうやって一緒にいてくれるだけでいい」

「本当に大丈夫か?」

「うん……ああそうだ、なんだか眠いから肩貸して」

「ちゃんと寝台(ベット)で寝ろよ」


 雲の合間から日の光が射し、二人が佇む部屋の中にも明るい黄緑色の光線がいくつも入ってきた。

暑い。

まだ5月なのに暑くて暑いです。

只今マリーの設定図描いてます。

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