夜明けの城伯
十万字超えるのが一つの目標だったので達成できてよかったです。毎話読んでくださる読者様に感謝いたします。
レイヴンは軽くため息をつき、やがて諦めたように老人を見た。彼はかなりの高齢だが年を感じさせないほどその身に強い意志が宿っている。香油で整えられた白髪にシワ一つない晴れ着。一体何が老衰間近の廃人をこれだけ奮い立たせたのだ。驚きよりも呆れに近いため息が出た。
「初めて会ったのがまるでつい最近のようだ。この八年長いようであっという間じゃった。あのとき子どもだった君はこんなに大きくなって……」
「ボケちまったんじゃねーのか? いっそ完全に正気失え」
「そうはゆかん。私を侮るではないぞ? これでも若い頃は城塞の最高司令官を務め、帝国を護ったのだからな」
「へえへえ、帝国の用済み城伯様の武勇伝はすごいですねえ」
「私の武勇伝ならこの直筆の自伝を読むとよい。全七巻でたっぷり楽しめるぞ」
鼻穴を膨らませながら分厚い本を見せつけるモルゲンロート城伯に何度目か分からないため息をはいて、適当に相槌を打った。彼は城伯という、帝国の軍事における最高位の地位に就いた数十年前のことをいつまでも誇りにしている時代遅れの人間なのだ。
「今、また長話が始まったと思ったじゃろう! 人の心などグラスのように丸見えじゃ。ふう、そろそろ喉乾いたな」
レイヴンは皮肉が通じず会話のペースを乱されていた。いつも己が主導権を握っているのに対し、目の前の彼の真意だけは到底考えが及ばない。読めない相手というのは難しい。
「さあこちらへ掛けたまえ、お茶菓子も出そう。その身なりじゃしばらく菓子など食していないであろう?」
老人はレイヴンをソファーへ勧め、彼が座ったのを確認してから向かいのソファーに腰を下ろし肘をつく。タイミングを見計らって給仕の者が書斎に入ってくる。
室内にふわりと焼きたての菓子の香りが広がる。中央に置かれたテーブルが茶器や色とりどりのお菓子で飾られてゆく。給仕が部屋を後にしてからレイヴンは口を開いた。
「…………なあ、あんたはほんとに俺に後継者になって欲しいのか? 誰かの作為じゃねえのか?」
「なんだ急に。もとより私に子はおらんし家族も皆とうに死んだ。他のどこの馬の骨とも知れぬ者が私の先祖の名を語るなど、想像するだけでおぞましい。私が君を選んだのだ」
城伯はレイヴンを指差し言葉を強調させて言い切ってから、まだ温かくやわらかい焼き菓子を咀嚼した。いつものレイヴンなら入れ歯のくせによく食うなと軽口を言うところだが、お茶にも一切手を出さずにうつむいて小さく唸った。
「俺は貴族でもなんでもない。 八年前襲撃したこの屋敷でたまたまあんたを見つけただけの盗賊だ」
──そうだ、俺はただの風来坊だ。
「もう盗賊は潰れたと聞いた。大方君が壊したんじゃろ。それに君は生まれながら才能を持っている。ほんの少しだけ、残り僅かな人生を送る老いぼれの我が儘に付き合ってくれればそれでいい。あとは君の好きなように生きてくれて構わんよ」
レイヴンは瞬きをした瞬間、カップの中のお茶の表面が揺れた気がした。
「卑怯だろそれ…………俺のこと知っててそう言うんなら、あんたの先祖が継いできたモルゲンロート家の名誉がどうなってもいいってことだよな? いいのか? 本当に三百年の歴史に泥塗っても!」
「くどい! 君を世に送り出すためなら家畜の糞まみれになろうと構うものか! そんなに私が信じられないのなら、これだけ先に伝えておく」
城伯はここで初めて怒鳴った。彼の剣幕にレイヴンの喉がごくりと鳴る。
「逃げるな。私は私がいない世界になっても君を信じている」
それを教えてくれた人達は、もうこの世にいないはずだった。この人の後継者になら、なっても構わない。そんな気持ちが湧いてくる。もしかしたら、ほんの少しの間なら、俺が生きてることがバレないかもしれない。
「少しくらいなら…………あんたの我が儘に付き合ってもいいぜ、ジジイ」
バンッ!!
城伯の右手がテーブルを叩く。食器の重なる音が響き渡る。
「言葉遣いくらい直さんか! 知っておるじゃろ!」
「こっちが一万歩譲って受けてるんだから文句言うなクソハゲジジイ!!」
両者はテーブルを挟んで仁王立ちし、言葉のぶつけ合いを始めた。
「ハゲは大人の印じゃこの青二才! 不良言葉似合わん癖に一丁前に使いおって!!」
「うるせえ! 俺だって好きで使ってた訳じゃねえ! 仕方無かったんだ……!」
次第に涙声になるレイヴンに、城伯は優しく肩をさすった。
「君がどんな人生を送ってきたのかはほとんど知らない。知らないまま私は死んでしまうだろう。しかし君の人生はまだまだ続く。今君の隣にいる者は将来きっと、かけがいのない友となる。大事にしなさい」
城伯の言葉が、俯くレイヴンの胸に響く。頭に浮かぶのは、つい先日自立を促した黒い角の泣き虫野郎。
肩にある城伯の手に自分の手のひらを重ねる。
「お言葉しかと受けとめました。けれどそんな死亡フラグ立てないでください。……あと数年は長生きしてーんだろ、欲張りジジイ!」
レイヴンが語尾を強調させてニヤリと笑うと城伯は一瞬唖然とし、ぐっと歯を噛み締め拳骨を食らわすのだった。
それから二人はしばらく書斎でゆっくり語り合った。レイヴンは己の過去を話さないが、これからの方針について城伯と話した。そして二人の気づかぬ間に空は明るくなっていた。
◆
「この別荘はボケた爺さんが一人で管理してるだけだ、派手にやっちまえっ!」
「了解っす兄貴!」
「久々のお宝漁り放題だぜ!」
月明かりの乏しい曇り空の真夜中。数十人の盗賊の一団が一斉に鬱蒼と木々が繁る建物に乗り込む。彼らは普段街の外で活動しているが、この屋敷の情報を聞き付けた盗賊頭の指示で深夜の街中で大胆に行われた。
「本当にこの計画は大丈夫なのか……」
「なんだよお前ビビってんのか? へっさすが新入りだぜ!」
まだ賊に入りたての少年は、仲間とまともに取り合うことができなかった。もし頭の機嫌を損ねるような発言や仕草をすれば、明日まで生きていられる保証はない。
入った当初から生意気だとガンつけられ、少年はいつも見張りの役だった。
広い屋敷の中、周りの者が皆財宝に目を奪われ、一目散に漁っている間も少年は気が気じゃなかった。しかし己も盗賊の端くれ。ただ立っているだけでは飯も食えぬ。
「俺向こうの部屋見てきます!」
「おう! 人を見つけたらすぐ知らせろ!」
少年は埃の積もった長い廊下を足音をたてないように走った。いくつかある部屋のうち、ちょうど廊下の中央にある扉の前で立ち止まり、じっと見る。出来れば誰もいませんように。そう願いながら両手を押して扉をゆっくり開けた。
ギィ キィイイ──
覗いた部屋の中は暗くてほとんど何も見えない。何も聞こえないことを確認してからそっと中へ入る。
部屋の奥、窓の前に大きな机があり、物置のようにたくさん物が積まれていた。よかった、もう使われていない部屋みたいだ。ほっと胸を撫で下ろし、念のためにと僅かな月明かりを頼りに部屋の中を探索する。元々書斎で、屋敷の持ち主が仕事に使っていたようであまり下町で売れそうなものは見つからない。
そろそろ引き上げようと部屋を出る前に一度振り返る。
ゴトッ
「っ!?」
物置になってる机が蠢いている。少年はしばらく動揺して扉に手を掛けたまま動けなかった。動物の死骸と思ったものは老人の白髪頭だったのだ。
「う、ううん……、ワシ以外誰もいないはずじゃのに、うろんな客でも来たか?」
ぼさぼさ頭の老人が立ち上がり、中途半端に開けられた扉に気付く。
「うぬ、閉め忘れか。近頃ますます物忘れが……」
「…………ぅ!」
窓から射し込む澄んだ月光が少年を照らし出す。
「おや? 君は、」
「っ……」
老人は机から首を伸ばして少年の姿をじっと凝視し、やがて瞼に埋もれた目をカッと開いて驚きを露にした。
──この少年は……あのお御髪と藍色の瞳、まさか……!
月明かりの反射で鱗粉のようにキラキラと埃が舞う空間で両者は銅像のように動かず言葉を失った。その沈黙を破ったのは廊下の向こうから少年を呼ぶ怒鳴り声。
「おーい! いつまでかかってるんだ! 返事しろ!」
はっと正気に戻り少年は戸惑う。見張り役の仲間が追ってきたのだ。先輩達の言いつけを守らないとどんな目に遭わされるかすでに知っているため、恐怖に怯えながらも必死に平静を装う。
「賊か。人の家に汚い足で踏み荒らしおって」
老人は舌打ちして扉の向こうを睨んだ。
「君も奴らの仲間か?」
「あ、ああ」
少年はぎこちなく頷く。僅かに目を逸らしたその細い体には、暗い室内でも分かるほどに痣が斑に出来ていた。
「この別荘には大したもん置いとらん。いくらでもくれてやる。だがもし君がもう一度私に会いに来てくれたら、そのときは私の後継者になってくれ」
「……は? あんたの息子になれってこと?」
「左様。私の持つ財産と権力すべてを譲ると誓おう」
「あんた何言ってるんだ! 盗賊のガキに、……頭おかしいぞ!」
少年は今度こそ混乱した。この老人は完全に呆けてしまっているのではないかと疑ってみたが、有無を言わさぬ威圧を放っていた。この老人は本気だ。
「私はジークムント・ツヴェル・モルゲンロート。モルゲンロート城伯だ。と言っても今となってはただの隠居じゃがな、ははっ! 私はいつでも君を待っているぞ!」
城伯と名乗った埃まみれの老人は、一度だけ振り返って書斎から出ていく少年を見送った。
複数の足音がすぐ近くまで迫ってきていることに慌てた少年は、廊下で適当な棚を見つけると、力一杯床に倒した。中身が飛び出し派手な音が響く。
「おいなに勝手に漁っている。お前誰のおかげで飯食えてんと思ってんだ?」
「……お頭と、皆さんのおかげです」
「ならその不始末どう言い訳するつもりだ、ああん?」
「申し訳ありませんっもう二度としません!」
降りかかってくる拳を避けずに何度も受けた少年は、ひたすら土下座の格好で謝罪の言葉を繰り返した。
この男は長年下っ端で、自分より弱い者を痛めつけることで日頃の鬱憤を晴らしていた。ようやく殴ることに飽きた見張り役は少年を蹴りあげると、
「ちっもういい、さっさと戻れ!」
盛大に舌打ちを鳴らして元来た方へ引き返していった。
手加減のない暴力を受けた少年はしばらく動けなかった。痛みをこらえて床に膝と手をついて上体を起こす。苛立って床を叩いてみるが、ペチンという小さな音しか出ない。
少年は無力だった。けれど決して涙を流さなかった。
「ちくしょうっ! どいつもこいつも勝手なことばかり…………フフッハハハッ! ああ分かったよ、誰の力も借りずに俺一人でこの地獄をぶっ壊してやる」
やがて少年は盗賊団の頭領にのし上がり、田舎の小さな村を大声で笑いながら襲う悪党になるのだった。
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夢中になって書いたらレイヴンの過去がメインになってました。レイヴンはこれからどんどん活躍しますので、彼を応援して頂けると嬉しいです。




