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独り立ち

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 翌日ラインツは、昨夜の言葉はツァンに対しての警告だろうかと朝から悶々としていた。長く伸びた髪を弄りながら外を眺めていると、レイヴンに支度しろと命令された。


「どこへ行くんだ?」

「役所だ。と、その前にそのボロ雑巾みてえな見た目をマシにしてやる」


 ラインツは身に付けているものに目を落とす。下着以外はほとんど死体から剥ぎ取った、お世辞にも清潔とは言えないサイズの合わない外国の服だ。何ヵ月も着ているうちに最初の頃はあった気持ち悪いという感覚はとうに消えていた。確かに、この街は国の中心なだけあって文化レベルが高く栄えている。人々の奇異な視線は服装によるものだったのかもしれない。


「服だけじゃねえからな」

「わかってるよ!」



 最初に連れてこられたのは、フォグ屋の裏にある風呂屋(市街地ではフォグを焼くための焼き釜の余熱を利用した風呂が一般的)だった。どうやたレイヴンは、宿屋の食堂にある風呂釜は小さいうえに色んな匂いが混じって嫌だったらしい。実際、宿屋は正面出入り口との間は畳一枚分の小さな衝立しかなく、結構な確率で通りの往来に見られるのでプライバシーを一切気にしない老人くらいしか使っていなかった。


 風呂屋は朝一の客が身支度を済ませてちょうど入れ違う形出ていくところだった。目立つのは嫌なので混んでる時間を避けてよかったと胸を撫で下ろした。


 風呂屋には、必ず湯船の脇にあるスペースで体を洗ってから湯に浸かるきまりがあり、湯に浸かりながら髭を剃る者は二度と同じ風呂屋に入れないという厳しい世の中だ。


「ところでレイヴンはなんでしっかり髭剃らないんだ? 俺よりずっと不潔っぽく見えるじゃん」

「黙れ。俺様君の髭は男らしさを上げるためのアクセサリーだ」


 そう自慢気に顎を擦った彼の腕や背中には、古くてほとんど目立たない傷痕がいくつもある。ちょうど服を着たら隠れる箇所に多い。ラインツはレイヴンのことはほとんど知らない。レイヴンは生まれたときから強いという勝手なイメージが大きいため、最初に見たときは意外だと思った。


 たっぷりすくったお湯で体を流し、湯船に移ろうと腰を上げようとしたところで角を強く引っ張られる。


「……っあぶないだろ!」

「騒ぐなボロ雑巾。角の生え際に古い皮膚が引っ付いてやがる」


 レイヴンは常備してあるタワシを掴むとラインツの後ろに回り角を擦り始めた。少々乱暴だが最後に頭からお湯で流してもらうと、なんだか頭がすっきりした気分になった。鼻はツンとするけれど。


 湯船には先客がいたが、ラインツ達が入ると皆そそくさに出ていった。お湯の継ぎ足しに来た風呂屋の亭主は何度もラインツの体を見ては首を傾げている。まともな入浴はレイヴンと一緒でなければ今後も無理だろうなと軽くため息をついた。

 居心地はあまりよくない。が、腰まで伸びた髪が乾くまではまだ肌寒い外に出られそうにないため、休憩できるように設けられた広間で、しばらくレイヴンの爪の手入れをして風呂屋の中を過ごした。だんだん乾いてきた髪がハネてくる。


「お前また髪伸びたな」


 上からレイヴンの呟きがかかる。


「ああ……この前結構能力を使ったから」


 儀式のときは全く肩につかない短さだったのに一年でこれだけ伸びるのは異常だ。だが長さで言ったらレイヴンも大して差はない。白い肌に黒々とした長髪と髭。同じ黒い色をしているのに、レイヴンのそれは艶のある生き生きとした黒だ。対してラインツは肌も髪も角も、足の爪先から角のてっぺんまですべて墨で塗ったかのような暗闇だ。夜歩いていると自分まで闇になった気分になれる。むしろレイヴンを除くと誰も気付いてくれない。


 レイヴンがその長い髪を後ろで結っているのを見て、ラインツもなんとなく弄りたくなってきた。そうこうしているうちになんとか乾いたようだ。風呂屋からの帰り道、宿に戻ったら何をしようか、そんなことを考えていると、ふと宿屋とは別方向へ向かっていることに気が付く。

 レイヴンは露店が並ぶ狭い通りに入っていく。勘の鈍いラインツにもようやくわかってきた。男物がたくさん吊るしてある古着屋の前でラインツを置いてゆくと、後で大通りの広場へ向かうよう伝えてどこかへ行ってしまった。

 残されたラインツは、露店の主人と目が合うと何か喋らなくてはと焦り、若干キョドりながら訊ねた。


「あの、角が引っ掛からない服ってありますか?」







 レイヴンは大広場の街灯にもたれて待っていた。想定より遅いがあいつのことだ、言いつけを破るほど馬鹿ではない。少なくとも日が暮れるまでには来る。しばらく腕を組んで考え事をしていると、雑踏の中に聞き覚えのある靴音が聴こえてきた。やっと来たかと顔を上げるとこざっぱりとした奴がいた。


 黒い肌が映えるような染め物じゃないトップスに、タイトなパンツ。左目を覆うように編み込まれた髪が尖った耳と大きな角の印象を和らげている。極めつけは、レイヴンに向けられた笑顔。


 やれば出来るじゃないか、そう褒めようと開きかけた口を一旦閉じ、いつものように叱った。


「いつまで待たせるんだ。ったく、謝罪もできねえのかてめえは」

「ごめんなさい。でもちゃんと買えたよ!」


 初めておつかいを頼まれて帰ってきた子どものような顔つきに、レイヴンは半ば呆れ気味に相づちを打った。そして斜め後ろをついていくラインツの長い髪が首回りにまとわりついているのを見かねて、普段自分が使っている髪紐を彼に押し付けた。淡い藤色の(あで)やかな紐を手にして、ラインツは目を見開いて驚く。


「今日のレイヴン、ほんとにレイヴン? シルタッハの村を襲ったレイヴン?」

「うるせえっ……つかお前こそ図に乗んな」


 怪物になったとき、身体の傷がすべて消えてしまったのだが、ラインツは未だに気付いていない。だがレイヴンはあえてラインツが左目に傷痕があると思い込んでいるままにしていた。


 レイヴンはラインツを役所へ連れていくと、戸籍の手続きを行った。いくつかの書類にサインをして、しばらく待合室のような部屋で待たされる。

 役所は簡素で殺風景だが石造りの広くて立派な建物である。防犯のためか、各フロアごとの入り口に警備員が立っていた。


 この世界で、ラインツェールトとして生きる。実感がわかなくて何度も手を握ったり開いたりした。また騙されるのではないかという杞憂もあった。けれど今度こそは大丈夫。レイヴンの隣に座っていると、そんな気がしてきた。


 名前を呼ばれて中へ戻り、ようやく戸籍抄本(こせきしょうほん)が発行された。役所の担当の人によれば、身元不明者が帝国民になるにはかなり厳しい条件が必要だそうだが、今回はブルツァネッカ商会の口添えのおかげでこのような短期間で用意出来たそうだ。


「おめでとうございます。本日からあなたもヴェスティア帝国の国民です。愛国心を持って帝国のため働き、貢献し、そして躍進してください」


 担当者から祝言をもらい、ラインツはようやくほっとした。


「ありがとうございます! これからこの国のこと、精一杯愛してみます」

「良い心掛けです。早速ですが、戸籍発行手続き費及び、今月の国民税と住民税は当窓口でお支払い可能ですが、いかがされますでしょうか?」


 笑顔で税金を請求された。



「税金払ったの………初めて……」

「今後は両替商に金預けとけば勝手に納めといてくれるさ。いいか、ちゃんと働けよ」

「わかった」


 役所を出て、二人で歩きながらラインツはこれからの暮らしを想像していた。レイヴンと色んな仕事をやってみたい。自分たちの家に住んでみたい。一人の国民として前向きに生きていこう。気分が上がると自然と周りの目は気にならなかった。


「レイヴン、二人で住むとしたらどんなところがいい?」

「何言ってんだ? これからは一人で生きていくんだよ、成人した帝国民だろ。じゃあな」


 あっさり別れを告げられてラインツは一人道端に残されてしまった。


「へ…………?」


 あまりの予想外に呆然と立ちすくむ。

 追いかけようにも彼はレイヴンの決断には逆らえない。終に何も言えないまま、毛先に結んだ髪紐を強く握り込んだ。

人に物あげるってフラグですねー。

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