城都ケーニッヒブルク
ただ飯食いに行ってるだけです。
城都ケーニッヒブルク。
豊かな資源に恵まれ軍事力にも富むヴェスティア帝国の首都であり、国境沿いに作られた広大な城壁に囲まれた最も栄えた城下町である。
その広さは国土の一割にも満たないが、城を守る要塞としては十分な面積であり、守備にあたる兵士達とその家族が多く暮らす人口密度の最も高い都市である。
身分階級はあれど街の住民はおおらかで、言葉が通じればどんな人種のどんな身分でも友人であれば自由に交流する。
しかし、どれほど栄えた街であろうと、人々の希望の裏には多くの闇が存在する。
その日ラインツとレイヴンは、旅の疲れを癒すためによく寝た。ラインツが同じ寝床でくっついて寝ていても文句を言わないくらいレイヴンは疲れが溜まっていた。もとよりごく普通の体力を持った人間である。未知の能力を保持するラインツの面倒を見ながらの生活は負担が大きかった。
宿屋の屋根裏部屋にあたる三階の小さな窓から覗く景色は、ラインツにとって新鮮で一日中見ていても飽きないものだった。城の敷地は高台にあるが、城下町自体は平地が多いため小さな宿屋でも案外広く見渡せた。大きく堅牢な城よりも、人々が行き交う街中のほうに興味をそそられていた。
「こんなに人がたくさん住んでるのを見るの、初めてだなあ」
彼はグレタと過ごした日々はおろか、野田恭兵として日本で生きた記憶もほとんど思い出さなくなっていた。今のラインツは地底の世界から召喚された怪物であり、いつ正気を失い凶暴化するか分からない爆弾のような存在だ。
今はただ゛グレタが好き゛という淡い感情だけを胸に仕舞い込み、レイヴンの後ろを歩いていくのが楽なのだ。失ったはずの左目が痛む限りラインツは己の生を肯定出来た。
朝起きてから一人でずっと外を眺めていたラインツは、だんだん街の人の様子が分かるようになってきた。
早朝は人通りが少ないが、日が昇ると労働者やフォグ(パンのような主食)を買いに行く女性がちらほら見え始め、色んな人の会話も聞こえてくるようになる。昼近くになると、労働者向けの軽食を売る荷台がいくつも通り、しばらく経つともと来た道を戻っていった。その様子を見て、ラインツは今まで見てきた地域のどの場所よりも治安が良く、そして人が多いことを改めて思い知らされた。
食べ物を持っていても盗られず、日中なら一人で出歩いても安全なのだ。もちろん乞食のような者や、子どもの集団スリは時々見掛ける。けれど誰も争ったり、侮蔑したりしないのだ。
街の人は大抵が普通の人間の姿で、よくよく見ると目や耳、骨格などに動物的特徴が色濃く出ている人達もいた。しかし、いくら探してもラインツのような黒い肌に角が生えた人種はいなかった。動物ではなく異世界の得体の知れない怪物だから、と容易に割り切れるほどラインツは大人ではない。事情を知ったレイヴンに゛精神年齢も四歳のガキ゛とレッテル貼られるくらい子どもっぽい性格である。
寝床の掛け布が擦れる音が聞こえた。レイヴンが関節を鳴らしながら背伸びをしている。ラインツが今朝、寝台のそばに置いておいた組み立て式のバケツの水で顔を洗っている彼に乾いた布を差し出す。
「あ? いたのか。なんか飯買ってきたか?」
「おはよう。今日はまだ外出てない」
「……ったく、気が利かねえなあ。いつも駄賃持たせてるだろ」
顔を拭きながら文句を言われたが、知らない街を一人で出歩いた試しがないラインツは毎回のやり取りに馴染みを感じ始めていた。
「しゃーねえ、俺様君が食わせてやっから支度しろ」
「えっレイヴンが!? っていうかこの街来たことあるんだ……」
一年前からあまり頻繁に食事を必要としなくなったラインツだが、食べることに対して興味を失ったわけでもなく、誰かと一緒に食事をするのは好きなままでいた。
「盗賊やる前はずっとここで暮らしてたからな、街のことは大体知ってる」
「ふーん……意外、ってえ!」
「早くしろ、置いてくぞ」
いつの間にか着替え終わっていたレイヴンに背後から靴を投げつけられ、背中を打たれた痛みに耐えながら急いで靴紐を結った。
宿屋を出たときにはすでに夕方に差し掛かっていた。
通りは仕事帰りの労働者で賑わっており、すでに一杯やっている集団も見掛けた。レイヴンのように普通の人間もいれば、獣のような耳や目、尻尾を持つ人もいる。だがそのような特徴を持つ人々の目からもラインツの素顔は奇異に映るらしい。通りすがりに何度も訝しげに睨まれ、次第に足元を見てレイヴンの背中にくっ付いて歩くようになった。
何度か角を曲がって元来た道が分からなくなった頃、狭い路地にある一軒の酒場の前でレイヴンは足を止めた。狭い入り口には地味な装飾が施された看板がかかっている。その看板をよく見ようと顔を近付けたら先にレイヴンが入り口を開けてさっと中へ入ってしまった。
「いらっしゃい! お一人……じゃなくてお二人だね。こっちのテーブルに掛けて待ってて!」
よく通る声で店の女性が料理を運びながら案内する。レイヴンを見て一瞬驚いたかのように目を大きくさせたのは気のせいだろうか、ラインツは首を捻ったがとりあえず上着を脱いで腰を掛けた。すごい、ちゃんと椅子がある。
四人掛けのテーブルが四つ、立ち食いできるスペースが少々と、店内はこじんまりとしており、客の数も十人ほどと決して多くはないが穏やかな雰囲気で満ちていた。
しばらくして、レイヴンが何かしら注文した料理がテーブルに置かれる。向かいの席についたレイヴンは水差しで手を洗うと湯気を立てている料理の盛られたブランフォグ(器状に中央がくりぬいてある硬いフォグ。主に深皿として使われている。ちなみに店によってはかじったり割ったりすると怒られる。食器はどこの国でもあまり見掛けない。つまりグレタの持っていた茶器は超のつくほど珍品で高級品なのである)を寄せて料理をかき混ぜ始めた。
「それなんていうの?」
「ジーフンだなたぶん。こうすると芋と香辛料がよく混ざって美味い。お前熱い料理好きだろ、食え」
どうやらラインツのためにわざわざ昼に食べるような料理を注文してくれたらしい。どういう風の吹き回しなんだろうかと不安になったが、目の前の食べ物に集中することにした。
ゴロゴロとした芋、ジャガイモのようなものとクタクタになってる野菜の漬け物の、汁気の少ないスープにザラザラした茶色っぽいソースが乗っている。見た目はあれだが香りはすごくいい。一口掬ってみる。
「やわらかい……あ、肉入ってる!」
茶色のソースがお酢のようにツンとするのが美味しい。とくに口の中ですぐ崩れる芋とのマッチがすごくいい。つい指を舐めてしまう。そして二、三切れ入っていた燻製肉はすべてラインツの腹に入ってしまった。
普段から邪険に扱っているようではあるが、レイヴンは誰よりもラインツのことをよく見ているのだ。
ビーア(ビール)が運ばれてくる。飲む。また運ばれてくる。飲む。三度目にビーアを運んで来た店の女性がレイヴンに声を掛けた。
「ねえ、あなた以前もうちに来たことある?」
「いや初めてだ」
「そっか、人違いかな、ごめんね。ゆっくりしていって」
何か言いたそうにした女性は空になったブランフォグを下げて店の奥へ入っていった。レイヴンはすでに四杯目のビーアを煽っている。そして店の中はアルコールの回った客でいっぱいになっていた。他のテーブルへふらふらと寄っては自慢話をする陽気な者もいる。
追加で来た真っ黒に乾燥した薫製肉を咀嚼していると、横から急に知らない声がした。
「ああ、すまない。驚かすつもりはなかったんだ、許してほしい」
その男は肉を頬張ったまま固まるラインツに苦笑いを浮かべて謝った。人よりも出っ張った口と大きな鼻はどことなく馬の顔を連想させる。馬に似ているが馬面じゃない。身なりは平凡ながら清潔感のあるやや年上の男は空いている椅子も引いて座った。そしてそのまま会話を進めるようだ。
「初めまして、俺はツァン。よろしく。君のその立派な角格好いいね」
「…………あの、どうも、ありがとう。俺はラインツ……」
動揺しつつなんとか返すラインツ。レイヴンを見るが助けてくれる気配は微塵も感じられない。口の中に唾液が溜まっていく。
「この街は初めてかな。俺は街の派遣屋……まあ職場を紹介したりする仕事を生業としているんだ。もしよかったら俺に何でも聞いてくれ。悪いようにはしないよ」
ツァンはラインツの肩を叩いて去っていった。
なんだか怪しい。それが彼に抱いた感想だった。噛みきれなかった肉をビーアで飲み込む。レイヴンもちょうど飲み干したようだ。
「酒と料理、どっちも美味かった」
珍しく他人を褒めたレイヴンがきっちり二人分の食事代を払う。すぐに出入り口へ向かってしまうレイヴンの後を追いかけながらラインツも「ごちそうさま」と早口に言って外に出た。
腹を満たし、酒とつまみを空にした二人は汗ばんだ格好のまま酒場を後にした。
街はすっかり日が暮れて至るところに明かりが灯っていた。しかしそれは大通りに面した建物だけで、狭い路地を見やると暗闇の中ごそごそと蠢く浮浪者の姿もあった。こちらへ視線を向けられ慌てて目をそらす。
「……あのさ、レイヴン。今日はごちそうさま。……ありがとう」
改めて礼を言うと恥ずかしくなってきた。しかし肝心のレイヴンは無表情のまま歩き続ける。何か深刻なことでもあったのだろうかと想像していると、人気がない場所で立ち止まる。そして徐に振り返り冴えた目でこう言った。
「お優しい俺様君が助言しておくがな、初対面でなんの脈絡もなく話し掛けてくる奴はよっぽどのお人好しか、ただの馬鹿か詐欺師だけだ」
結局その後、たくさん飲み食いをした二人は真っ直ぐ宿に帰ると言葉を交わさないうちに眠ってしまっていた。
酒場というより小規模な居酒屋ですね、あとで直すかもしれないです。




