鍵の印
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「これは飽くまでヨハネの仮説なんだけど、…………私は儀式で間違いなく地底の世界への鍵穴を開けた。けれど実際に召喚されたのはあなただった。ラインツは地底の世界の住民ではなく、支配者が創造した空間の中で生まれた擬似的な人間なんじゃないかな?」
「そんな、無茶苦茶なこと言われても信じられないよっ」
「うん、そうだよね。そうだけどラインツは地底の世界から来たのは確実なの。地球とか日本とか、所詮支配者が与えた玩具に過ぎないのでしょうね」
グレタは立ち上がり、早く本題に入りましょう、とスカートについた灰をはたき落とす。その灰がかつて彼女がラインツに与えたものだったことなどどうでも良いと言うかのように。
「さっきラインツも鍵になれるって言ったよね。鍵になれる条件は、わたしの一族の血肉でできた子宮が身体にあること。それを移植した人間は一族の人間のみならず、男でも鍵としての条件を満たせる」
ラインツは無意識に己の腹に目が行く。これ以上聞いてしまえば後に戻れない、そんな気がするのに話を止めることができず手に汗を握る。心臓の鼓動が、頭に響く。
「わたしのお腹にもラインツと同じ縫合跡があるんだ。そう、わたしの子宮をラインツの体内に移植したんだよ」
「っは……あ、…………嘘だろ、グレタの……子宮が……」
「嘘じゃない、ほら」
グレタはスカートの裾をたくしあげ、滑らかな白い肌を覗かせる。顔を赤くしたラインツが瞬きもせず目を見張るその先には、慎ましい下着の中まで伸びる縫合跡があった。ラインツのものとそっくりのものが。
呻き声を上げたラインツは喉元まで戻し掛けたものを飲み込んで、思わず咳き込んだ。
「うえ……なんで、何のためにこんなこと……っ!」
「理由? 女性より男性のほうが身体が丈夫だからかな? わたしも詳しいことはよく知らないよ」
スカートを戻したグレタはただ、と付け加えて続けた。
「わたしの一族は一生にたった一度しか鍵になれない。けれど子宮を移植した男性では何度でも鍵としての機能を果たせることが実験でわかった。だから、より健康で丈夫な身体を持つ成人男性を育てたんだよ。それに、ラインツは古の支配者が封印されている地底の世界と繋がりがある人間。鍵としても贄としても充分な素材なんだ」
ラインツは、彼女の説明が途中から頭に入っていかなくなっていた。ただ荒い呼吸を繰り返し、グレタの赤い瞳を凝視していた。
「儀式を行った後贄はどうなるの……?」
恐る恐る聞く。
「簡潔に言うと、皆死んだよ」
まるで夕飯のおかずを聞かれたかのような応答に、鳥肌が立った。そこに嘘はないようで、ますます気味が悪い。
「今回は異例中の異例で、鍵と贄の両方を一人で兼任してもらうんだ。だからラインツ、わたし達組織のために頑張ってね」
笑顔で締め括ろうとしたグレタに、ラインツは食い下がる。
「待ってくれ、そもそも支配者ってなんなんだ! その組織は何のために支配者を召喚するんだ!」
「うーん頭の悪いラインツにもわかるように言うと、とても大きな力を持つ怪物にこの腐った世界を破壊してもらって新しい時代をつくるためだよ。この世界はね、とっても醜いの。家畜の糞のほうがマシなくらいね。……やっぱりわからない? まあ、檻の中で大切に育てられれば誰だって平和ボケしちゃうよね」
世界を壊すだって…………?
「本気で言ってるの? …………ねえグレタ、貴女が教えてくれたんだ。生き物の尊さ、人を思いやることの大切さ、みんなグレタが教えてくれたんだ! なのになぜ……! なんでなんだ!! グレタ!! 」
ラインツの必死な訴えに、グレタは薄ら笑いを浮かべて応えた。
「そんなの全部嘘だよ」
ラインツは今まで信じてきたものを否定され、どうしていいのかわからなくなった。
「案外簡単だったな、身寄りのない怪我人を介抱する優しい賢女様を演じるのは。村人も、シルタッハの村長も、軍も皆知ってたよ。君だけが何も知らずに生かされていた。それなのに君は、わたしのために強くなりたいって鍛えたりして……、ひどく滑稽だったわ」
「皆グルだったのか……? シルタッハの人も、エルナも、トキナーも皆、皆騙してっ……!」
ラインツは言葉に詰まらせ、嗚咽を繰り返した。村の住民として受け入れてくれた村人たち、笑顔で迎えてくれるクララ、いつも厳しく真剣に指導してくれたエレナ、ラインツが勇気を出して輪を広げて作ってきた人間関係はラインツの思い込みに過ぎなかった。すべてが偽物の世界。それでもラインツにとっては美しかった。この思いだけは真実なのだ。
「俺にとっては、この世界がすごく綺麗だよ。黄緑色の青空に深い紫の星空。見たことのない動物や植物。シルタッハの人たちも、みんな優しくて素敵で、すごく大事なんだ。すべてが嘘なわけがない」
呟くようなラインツの言葉に、グレタに眉を潜める。
「いつまで絵空事を並べているの? いい加減このしゃべり方も飽きたな……ラインツェールトなんて大層な名前つける親バカもいるし、ほんと馬鹿ばかりで嫌になるわ」
苛ついた口調になりつつも、腕を組んで落ち着かせて再び口を開く。
「いい? あなたは私の子宮を移植した貴重な被検体なの。儀式が成功するよう鍵としてしっかり努めなさい。儀式は今日の日没前。それまで生きていることをしっかり味わうことね」
グレタはスカートを翻し、扉の奥へと消えていった。
一人残されたラインツはしばらく浅く短い呼吸を繰り返していたが、扉の向こう側から人の気配が消えると、胃の中のものを一気に吐瀉した。
◇
グレタが去って、どれくらい経つのだろう。
吐いたもので汚れた服は冷たく、寒気が走っていた。冬だからまだマシなのだろう。窓が塞がれている部屋は眼帯が焦げた臭いと、酸っぱいようなつんとする臭いで充満していた。それでもラインツは部屋から出ることが敵わない。
彼はもう、グレタとの平穏な日々が戻ってくるなどとは考えていなかった。エルと呼ばれたときから、僅かながらも断片的に記憶が甦ってきていたのだ。どこか隔離されたベットの上、引き吊る腹部の痛み、大きくて暖かい手…………ヨハネはラインツが何かを思い出そうとする度にそれを阻止していた。なぜ疑問に思わなかったのだろう、今さら後悔しても遅い。薄暗い部屋の中は静かに冷えていった。
日が下がり始めた頃、窓の隙間から漏れる弱々しい黄緑色の日差しをぼーっと眺めていたラインツの耳に、妙な音が入ってきた。
ちょうど頭上である。しかしラインツは気に留めようとしなかった。と、そのとき目の前に何かが降ってきた。その何かは足音をほとんど立てずに着地すると、すっと立ち上がった。
「おえっ臭え! きったねえなあオイ、てめえが吐いたんか」
話し掛けられているようだが、あえて沈黙を決め込む。
気付くと、二つの鋭い眼光がラインツの顔を覗き込んでいた。その男の顔には見覚えがあった。この世界に来たばかりのときに最悪な出会いをした、やたら顔を歪ませて笑う髭面男。
「いい目してんじゃねえか、なんでこんなところで遊んでるんだ?」
「………………」
「まいっか、偶然寄ってみただけだし俺様君には関係ねえことだ。」
「………………」
「気が向いたら拾ってやるよ」
ニヤリと笑うと男はあっという間に天井にかけ上がり、屋根裏へ消えていった。
こういうのを裏切り系ヒロインというのでしょうか……この作品の最後までグレタはずっとヒロインなので読み続けて頂けるとたいへん嬉しいです。
さて、最後に登場した男は今後キーパーソンになってきます。次の章まであと一息!お付き合いください!




