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輝く希望、儚き笑顔

前話一部修正しました。

 夜中の診療所に二人の陰。


「それで、準備は滞りなく出来ていると」

「ああ、わざわざ来てもらって悪いね」


 もう一人の陰は寝息をたてている。


「夜中に呼び出されて何かと思えば、……まったく。一応聞くが性交は行っていないな?」

「もちろん。信用できないなら彼の身体を調べればいい」


 エルナは冷めた目つきでため息をつくと、その必要はないと首を振った。寝台の上のラインツは深い眠りにつき、そうそう起きそうにない。

 相も変わらず飄々とした表情を浮かべるヨハネに、エルナは冷たい夜風に当たって苛立ちを抑えようと寝室の窓の取っ手に手を掛ける。


「ああ、開けてしまったら彼の身体を冷やしてしまう」


バタァンッッ!!


「臭いんだ!! 男二人分はとくにな!!」

「あれ、そんなこともわかっちゃうんだ。君の嗅覚は動物並にすごいね」


 ギロッと睨まれ咄嗟にヨハネは蹴られる衝撃に備えたが、予測に反して彼女は冷静だった。 深い紫色の夜空に青く光る星々を眺めながら硬い声色で言った。


「儀式は明日だ。くれぐれも悟られぬよう無意味な行動は慎め」

「ほう……年上の先輩に対して命令か。君も偉くなったものだ」

「私は依頼を遂行するだけだ。そもそも貴様とは所属している組織が違う」


 それに、と続けてヨハネのほうへ振り向く。


「彼は実験体であって貴様の愛玩動物ではない。一人の人間であることを忘れないで頂きたい」


 ヨハネは一瞬思考を停止させたが、やがて彼女の矛盾した言葉に失笑した。


「はははっ、いつからそんな冗談言うようになったんだい? それとも、この子の影響で()()変わってしまったのかい?」


 彼の嘲笑うかのような言葉に、エルナは眉間に皺をよせた。


「次からは私ではなく私の部下に言付けを預けろ。明日まで絶対顔を見せるな」

「……了解」


 エルナは返事を背中で聞き、カツカツとわざと軍靴の踵を鳴らして診療所を去った。



 暗闇の中、彼は自分がどこを歩いているのかわからなかった。一歩一歩ゆっくり踏み出す。真っ黒な地面の上に立つ己の身体だけ妙にはっきり見えるのが、これが夢の中だとわからされているようだった。

 さわさわと左瞼を撫でる。もう一生見ることが敵わない左目。閉じた瞼の周りは化膿した跡が所々残り、赤らんでいる。


 一度村で眼帯が外れてしまったことがある。偶然傍にいた女性は彼の顔を見るなりぐちゃっと顔を歪め、慌てて自分の子どもの手をひっ掴んで速歩きで離れていった。

 おぼつかない足取りで家の中へ入り、ふと気付くと眼帯がない。探そうと思っても身体が動かない。ようやっと玄関の前まで来ると、玄関から漏れる光が恐ろしくて扉に近寄れなかった。

 夕日が射して、家々の煙突から煙が空に伸びる頃。玄関の前で膝を抱えていた彼の背に上着が被せられる。


「ずっとここにいたら冷えちゃうよ」


 彼女の優しい声が聞こえた。

 それでもなかなか身体は動かない。


「ラインツ、泣いていいんだよ。辛かったら、辛いって言っていいんだよ」


 背後から優しく、強く抱き締められた。


「だって、ラインツはこんなに一生懸命生きてる。辛いときはたくさん泣いて、それからゆっくり立ち上がればいい。それを責める人なんかこの世に存在しないのだから」


 気付いたら、右目から熱い涙が流れて服に染み込んでいた。彼女の言葉が胸にストンと落ちて心が軽くなるようだった。


「グレタも、辛いことがあったらいつでも俺を頼って。何が出来るかわからないけど……どこにいても全力で駆けつけるから!」

「ラインツったら、急に大人ぶっちゃって、…………でもありがとう。その気持ちだけで私充分幸せだよ」


 しばらく、暗い玄関でお互い抱き締め合った。


 それから彼は、よりいっそう鍛練に励んだ。

 家から出るときは必ず眼帯の上に伸びっぱなしの前髪を編んで髪をセットする。弱い自分も傷付いた顔もすぐに治せないのなら、仮面の数を増やせばいい。これは戦化粧なのだ。己の力ではどうしようもないときだけ誰かに手を貸してもらう。

 以前よりずっと自信がついた。以前よりずっと勇気が湧いてくる。どんな暗闇の中も彼女の声を思い出せば前へ進める。暗闇の向こうに光る白い希望が、自分を照らしているのだ。


 だから例え夢の中だろうと、今日もラインツは進み続ける。





 翌朝大寝坊をしたラインツは、眼帯と服を身体に引っ掛けて診療所から飛び出した。服を着ながら丘を駆け降り、脇目も降らず全力疾走する。



 バタンッと大きく音をたててラインツは慌てて家の中に入った。


「グレタ! ごめん、遅くなって、って……あれ? グレタ……?」


 荒い息を吐きながら居間を見渡すと、誰もいない。

 

「裏か……!」


 即座に裏庭の薬草畑に向かうと、案の定赤い髪の後ろ姿が見えた。どうやら畑の面倒を見ていたようだ。ラインツはほっと息を吐き、声を掛けた。


「グレタ、その、ごめん。もうお昼近いね……」


 二人の間に沈黙が流れる。ラインツは気まずさにどうすることも出来ず、まだ結っていない前髪の毛先をいじる。

 ようやくグレタが立ち上がり、ラインツはいじる手を止めた。


「なんで謝るの?」

「…………え?」

 

 ぽつりと出した彼女の声は、まるで何日も会っていなかったかのようにどこか遠く感じた。


「ラインツ、わたし家族と話すとき、その日の一番最初の言葉で謝罪なんか聞きたくない」

「グレタ……?」


 振り返った彼女の瞳は、まるで置いていかれた幼い子どものようにとても寂しそうな色をしていた。今でもラインツはこのときの記憶を鮮明に思い出せる。


「だからこう言って、゛ただいま、グレタ゛って」


 ラインツは、勝手にグレタは強い人だと思い込んでいた。だから少しくらいなら平気なんだと。だがそれは都合のいい想像で、本当はとても寂しがり屋の一人の少女(グレーテル)なのだ。そんな彼女の家族だからこそ、ちゃんと向き合わなければいけない。

 恋心の前に、ちゃんと家族の愛を伝えよう。


「ただいま、グレタ」

「うん。おかえり、ラインツ」


 嬉しそうにも、悲しそうにも見えたグレタの笑顔はラインツの知る中でもっとも美しかった。





 家の中に入って、急いで着たせいで乱れた服装を正し、櫛で髪をとかして眼帯を着け直したその上に左目を覆うように編み込みを作る。どんなときでも身だしなみを整えるのはグレタの教えである。


 家畜の餌やりはすでにしてあるようで、ラインツはちょうど一月前に最後の収穫が終わった畑で土を耕すことにした。


「だんだん寒くなってきたなあ」


 隣人のお下がりの上着と手袋をしての作業は、夏に比べると動きづらかったが、手がかじかむよりはマシだと自分に言い聞かせて鍬を振るった。

 この世界の、というよりこの地域では気候の変動による季節がある。夏は日当たりだと暑く、冬は長くとても寒い。シルタッハのあたりは標高が高く、冬になると雪が一夜にまとめて降り積もることも珍しくない。

 ラインツは昨年の冬を思い出した。日本にいた頃は、地元で雪が積もることが滅多になかったため朝起きると地面が白く覆われていた光景にとても興奮していた。子ども心に飛び込むと顔にざっくりと硬い雪が当たり、ガッカリしたのが懐かしい。

 今年ももうすぐ大寒波が来る。


「薪の貯蓄と、家畜小屋用の枯れ草も集めてこないと……、ああそれとクララの家のぶんも……でも彼氏がいるから大丈夫かな…………」


 冬の支度について色々考えていると、ふと視線を感じた。

 ラインツが辺りを見渡すと、村のはずれにシュリーツベルク軍の軍服を着た者が三人、湖のほうへ何か荷物を運んで持って行っていく姿があった。そのうちの一人はどこか見覚えがあった。目を細めてじっと見る。


「あれは……トキナー?」


 しかし彼はラインツのほうを一切見ずに他の二人と共に山へ入っていった。手をとめてしばし考える。


「なぜ湖へ行くんだろう……戦争の準備、とかではなさそうだし…………」

「ラインツ、大丈夫?」


 肩を軽く揺すられて、気づく。グレタが心配そうな顔で見ていた。


「ラインツ、あなた疲れてない? 温かい香草茶を飲んで休憩しましょう?」

「……そうだね、グレタ」


 グレタの淹れたお茶を飲んで一息ついたラインツだったが、眠気に襲われ食卓にうつ伏せになりいつの間にか意識を失っていた。




「ごっこ遊びは楽しかったかい?」

次話からちょっと精神的にキツイ描写が来ます。頑張れ主人公!

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