師走と兎
試合が終わるとエルナとトキナーは、日が暮れる前にシュリーツベルク軍の駐屯地へ帰っていった。ここしばらくグレタの家で過ごしていたエルナは任務に一区切り出来たらしく、後日挨拶に行くと伝え村を後にした。
「結局任務ってなんだったんだろう。駐屯地が歩いて行ける距離ならうちに泊まってく必要なかったはずだし、変なの」
しかしその疑問は大して続かなかった。
今のラインツは、今日の試合のことで頭がいっぱいだった。巨大な鬼のような迫力とパワーのあるエルナ、類い稀な身体能力と技術を持ったトキナー。ラインツはまだこの世界の剣士を他に見たことはないが、両者ほどの実力者はなかなかいないのではないだろうか。そう感じてほくほく顔で家の中へ入った。
その後試合ですっかり舞い上がって遅い帰宅をしたラインツはグレタに叱られて、夕食後にキャビッツの世話をたっぷりさせられるのであった。
三日後の朝、朝食後に井戸の傍らで食器を洗っていると、エルナが訪ねてきた。
「おはよう、グレーテル殿はみえるか?」
「グレタなら書庫にいますよ。今呼びにいきます」
エプロンで手を拭いて、早速書庫の扉を叩く。
「グレタ、エルナが挨拶したいって。開けてもいい?」
扉の向こうから、どうぞと返事がくる。
ラインツが中へ入ると、机に本を積み上げているグレタがいた。よく晴れた朝だと言うのに室内は薄暗く、紙とインクの独特な匂いがたちこめていた。なにやら作業をしている最中のようだ。
「あれ、整理ならこの間やってたんじゃ……?」
「うん、ちょっと抜けてる文献があって探してたの、流石に一日で全部は無理だったみたい」
苦笑するグレタに、エルナが声を掛ける。
「忙しいところ申し訳ない。少し時間をもらっても構わないだろうか?」
「もちろん、片付けが終わるまで台所で待っててくれる?」
「了解した」
エルナを台所へ連れてゆき、お茶を出しつつ、二人の関係がいまいち掴めないラインツは、おずおずと聞いてみた。
「三年くらい前からの付き合いだ。まあ、年も違うし私は軍に身を置く者だ。遠慮しているところもあるのだろう」
「三年……、ん? 年が違うって、エルナはいくつなんですか?」
エルナは口に含みかけたお茶を吹きそうになり、テーブルにつんのめる。
「ケホッ……君は、少しは社会性を学べ!」
「すみませんっ」
「…………来月で十八になる」
「 へ?」
下げた頭を上げると、彼女のムッとした顔があった。
「十七だ!」
「え、じゃあ俺とグレタのほぼ一つ下ですか」
「そうだっ、ついでにトキナーは再来月で十七になる」
「若! じゃあ俺年下の子に教えてもらってたんですね。へえー」
ラインツは、身長が低いが自分よりずっとしっかりしていそうな彼の顔つきを思い出す。
「だがあいつはお前より遥かに鍛練を積んでいる。獲物が剣じゃなかったら私でも勝てないだろう。今後彼の血筋の者と対立することになったら用心しろ」
「わかりました」
ラインツは彼女の言葉にいまいち納得できないが、とりあえず頷くことにした。この時ばかりではなく、ラインツはこの家での生活でずっと感じていた妙な違和感を深く考えようとしなかった。恭兵だった頃の、嫌なことから目を逸らす癖が未だ抜けきれないのであった。
そういえば、と思い出したような声を出す。
「任務が終わったら、この村にはもう来ないんですよね。稽古ってどうなるんですか?」
「ふふっそんな顔で心配するな。毎日は難しいが、休みの日くらいは来てやれる。今後の成長も楽しみにしてるぞ」
「はい! ありがとうございます!」
またエルナの指導を受けることが出来る。そのことに安堵とやる気が湧いて笑みを浮かべた。
「さて、そろそろグレタ殿が来る頃か……」
エルナが呟くと、外からキャビッツ達の鼻息を荒く吹き出すような、ブシュッという鳴き声が数度に渡って聴こえてきた。
「俺、家畜の面倒みてきます。あの、湯煎の中のお茶全部飲んでいいですよ、今日の茶葉は俺が調合したやつなんです」
音を立てて椅子から立ち上がり、わざと慌ただしく家を出たラインツはキャビン達を撫でながら、嬉しくて顔が緩むのを止められなかった。
◇
エルナが帰った後、キャビッツの小屋に篭っていたラインツのところへ、グレタがやってきた。
「彼女、あなたの出したお茶飲んでくれたんだね」
「グレタ! そうなんだ、結局ご飯は食べてもらえなかったけどお茶だけでも嬉しい」
ラビンとダビンを両手で撫でて嬉しさを発散させる。
「ところでラインツ、最近ヨハネさんのとこ行ってる?」
「あっ、えっとそういえばあんま行ってないかも……」
ラインツはここ最近エルナの稽古に夢中になって、診察をサボっていた。
ヨハネは村に唯一ある診療所の医師で、三年前重体だったラインツの治療を施しその後も彼を気遣い時折往診していた。
「でももう治っているのだし、先生に診てもらわなくても大丈夫だよ」
煩わしさを感じて、甘えてくるキャビンの首元の毛に顔を突っ込む。キャビンはラインツを擦るように顎を振り始めた。体毛にくっついていた枯れ草がラインツにパラパラと落ちる。
「誤魔化してもだめ。ここのところしょっちゅう痣作って帰ってくるし、左目だってほんとはまだ痛むのでしょう。いい? 今日は診てもらうまで家に入れないから」
「……わかったよ」
毛の中から顔を出した後、ラインツはしぶしぶヨハネのもとへ向かった。なだらかな丘を越え、ぼーっとしながら歩く。
「グレタってば、まるで母親みたいに口うるさく言うんだから……グレタの母親もそうだったのかなあ?」
ふと、彼はグレタから彼女の身内話を聞いたことがないことに気付いた。ラインツは自らの過去を打ち明けたくはないし、グレタにもそう思うこともあるのだろうと、あえて考えないようにしていた節があった。
「そういえばなぜだろう…………?」
「ラインツ! ラインツくんじゃないか!」
顔を上げると、いつの間にか診療所は目の前にあった。入り口を通りすぎてしまう直前に中にいたヨハネが慌てて呼び止めたようだ。
明るく穏やかで優しい性格のこの男に、ラインツは尊敬と同時に苦手意識を持っている。人付き合いが上手くグレタとも気心の知れた仲である年上の男性に対し、ライバル意識ではなく嫉妬を感じているのだ。しかもそれだけではない。
「早く中に入ろう。ほら、体が冷えてしまう」
そう言って、ヨハネはラインツの手を引いて診療所の中へ誘う。
彼の手の温もりを感じると体が萎えて、なんとなく彼の言う通りに動いてしまうのだった。
診察室は閑散としていた。普通の一軒家と造りはそう変わらない、元々一部屋しか設備がない小さな診療所だ。見習いの医師も今は往診に出ているようである。
ラインツは服を脱いで診察台の上に寝そべり、ヨハネの触診を受けながら眠気防止に色々質問しようと考えた。
「手に剣マメができているね、剣術教わってるんだっけ? 怪我には気を付けてね」
「はい、もちろん」
「それと全身に筋肉痛がみられるようだから、激しい運動をした後はしっかり身体をほぐすように。おや、目が若干充血しているね。視力の使いすぎは頭痛の元になるから時々休ませなさい」
的確なアドバイスにラインツは少したじろく。
この国の医療技術はこの村での文化レベルとはかけ離れて異様に発展しており、ラインツも最初は驚きはしつつも異世界だからとあまり疑問には思わなかった。しかしラインツの知っている科学薬品や電子機器等の工学的な道具は存在しないため、治療方法は謎の部分が多い。
「先生、この腹の傷って手術するほど酷かったんですか?」
下腹部の縫合跡を撫でられ、聞いてみた。
「ここはね、何度も蹴られて内臓が破裂しそうになってて治療したんだよ」
「へえー……」
「ラインツ、」
気付くとヨハネはラインツの顔を覗いていた。
「傷の原因を知るのは悪いことじゃないけれど、辛い経験を思い出すようなことはあまりおすすめできないな。精神的苦痛の反芻は体に支障を来すときもあるんだ」
「大丈夫ですよ、ただの好奇心ですから……」
「僕が君に傷付いてほしくないんだ」
ラインツは診察台に仰向けに寝そべった状態でヨハネに抱き締められ、抵抗しようにも身体に力が思うように入らず為すがままになる。
この男の体温を直に感じると眠くなるのだ。まるで卵の中にいるような、もしくは悪夢から解放されたような感覚にどこか懐かしさを覚える。
「……ん? あれ…………」
目が覚めるとすでに黄緑色の夕日が診療所の壁を照らしていた。
ラインツは窓から射し込む夕日の色を見て、診療所にあるヨハネの私室のベットで半日も寝ていたことに呆れた。
「ああもう、まだグレタと肌を重ねたこともないのに…………」
額に手を置き長いため息をつく。
「まだ眠っていてもいいよ。」
「いえ、迷惑ですし。それにグレタが家で待ってます」
起き上がろうとした上半身を抱えこまれ、掛け布の中に戻されてしまった。
「彼女にはもう伝えてある。今晩は泊まっていきなさい。最近の君は少し頑張りすぎだ」
「でも…………」
「しっかり寝るのも大事なことだ、ラインツ」
ヨハネは彼の視界を覆うように頭を何度も撫でる。その手の温もりに再び眠気に襲われる。
まるで幼い子が父親にされるように、彼に抱き締められてラインツは深く眠りについた。
ヨハネを気味の悪いキャラにしようとしたところ、薄ら寒い描写が増えてしまいました・・・。今後もBLの予定はないです。GLはあるかも?




