剣術の稽古③
エルナという目標が出来てすっきりしたラインツは、握手を交わした後稽古を再開しようとしたが左目の痛みと頭痛と目眩がひどいため、強制的に部屋で安静することになった。
「ああもう全く、自分の身体のことはもっと理解しておけ! 体調管理も実力の内だぞ」
若干怒りながら呆れつつも、彼をベッドまで運んでくれたのはエルナ本人である。まるで子どもが大人をおんぶしているかのような様子を村人に笑われたのを根に持っているようだ。 実際笑われたのはラインツのほうだが、膨れっ面な彼女の表情が新鮮で面白かったため笑いを堪えようとして頭痛がさらに酷くなった。
「すみません、明日からは気を付けますから……」
「あと、頭痛の原因はこれにあると思うぞ。なるべく頭の締め付けをなくしたほうがいい」
眼帯を指差し、そう言い残してエルナは部屋を出た。
「これは外したくないんだよなあ」
それはグレタからの贈り物でラインツにとっては一番の宝物であり、お守りでもある。
「だけど、今のままじゃ変われない。師匠の言葉も信じよう」
数日後の朝、フゥの甲高い鳴き声で起きたラインツはいつもの日課を済ませ、井戸のそばで素振りをしていた。そこへ野菜を洗いにグレタがやってくる。
「おはよう、ラインツ」
「おはようグレタ、どうしたの? どこか調子悪いの?」
ラインツは、なぜか彼の顔をあまり見ないグレタの様子が気になった。
「いいえ……、ねえラインツ、今日の昼食後勉強の時間にしましょう。最近やってないでしょ?」
「うーん、剣の稽古もしたいけど、……わかった。エルナにもそう伝えてくる」
今の時間帯なら腹を空かせてすでに居間にいるだろうと、裏口から直接家の中に入った。
彼が眼帯を着けていないことに気付いたのは朝食後だった。
昼までは意外と長い。ラインツは昼食までの間剣の稽古をつけてもらっていた。打ち合いではなく筋肉のトレーニングをしていた。
「君が眼帯を着け忘れるなんて、初めてじゃないか?」
「そうかな、でもそれなら言ってくれればよかったのに……」
「直接言いづらいのだろう、それはそうとラインツ」
打ち合いに区切りをつけた彼女は軽く微笑んで言った。
「攻撃に迷いがなくなってきている、私の剣に慣れてきたようだな」
剣を習い始めてすでに二週間ほどたっていた。
ラインツは毎日模擬剣を握り、少しずつだが確実に上達していくのを楽しみに励んでいた。
「まだ続いていたんですか、隊長も物好きですね」
呆れ気味な声がした方角を見ると、トキナーが立っていた。
トキナーは本名を、トキナー・ワイットウィケンという。エルナの統括する特殊調査部隊の副隊長であり、若いながらも要領が良く立ち回りの上手い男であった。いかにも年長者に気に入られそうな容貌の彼を、同年代のエルナは平気で顎で使っている。
「隊長がなかなか本部に戻ってこないから書類が溜まって今にも机の上に城が建ちそうです。」
「その城はトキナーでも落とせるだろう。部下にやらせろ」
「城壁はあなたの署名が必要な書類で出来てますよ、全部」
「う、うむ。仕方ない、せっかくサボれる機会だったのに」
エルナは腕を組んで必死になにかを考えていたが、急に思い付いたように目をぱっちりと開いてトキナーの肩に手を置いた。
「そうだ! 私の剣だけ受けていてはつまらないだろう。私が戻ってくるまでの間、トキナーに稽古をつけてもらえばいい」
「はあ!? 私が……ですか?」
トキナーは予想外の提案にすっとんきょうな声を上げた。ラインツもまた、同じようにエルナの思い付きに驚いた。彼女以外から教わるという考えはまったく想像できなかった。
「トキナー、お前ほどの腕なら長剣を教えるくらい朝飯前だろう。
」
「まあ多少は指導経験はありますけど……」
「よし、ならこの場は任せる。好きなようにこいつを鍛えてやってくれ」
模擬剣を託したエルナの後ろ姿は、心なしか楽しそうで、あっという間に遠ざかっていった。
「はあーっ……たく、また仕事が増えたなあ」
面倒臭そうな顔をしている彼に、どう声を掛けていいのか分からずキョロキョロしていると、呆れた顔をしてこちらへ振り返った。
トキナーは模擬剣を右手に持ち、ラインツの目を見て言った。
「それでは、まずは私から一本とってください。指導はそれからです」
ラインツが理解し、構えに入る前にすでに彼は動いていた。下段からの鋭い突きをなんとか防ぐ。だがトキナーは剣同士の交わりを刀身の柄に近い箇所にずらし、ラインツの模擬剣の角度を変えた。
「うわっ」
前のめりになるところを両足で踏ん張りあわてて体勢を整える。そしてそのままステップを踏んで相手の陣地から離れたつもりだった。気付くと左鎖骨下に打撃を受けていた。
「うえ……っ!? ……ゲホッ……ゲハッッ!!」
手から模擬剣を落とし、痛みと苦しさにむせて咳き込む。
ラインツにはトキナーの動きが全く見えなかった。動作が速すぎて見えなかったのではなく、単純に気付けなかった。
「何も分かってないのかよ、あの人何やってたんだ」
真面目そうな顔つきからは想像できないような言葉を毒突くトキナーに、ラインツは一瞬息が止まった。
「隊長自ら指導してるっていうから少しは出来るかと思った。ま、一度も実戦経験ないのなら当然か」
「ゲホッ……すみません、まだ二週間しか習ってなくて、」
「それだけあったらもうちょっとは……あーいや、ごめん、今の言葉は忘れてほしい」
トキナーは大きく深呼吸すると、改めてラインツを見る。
「あなたは真剣を持ったことありませんね。こんな玩具じゃ何も学べない……隊長は甘すぎなんですよ」
「でも、他に何で練習するんですか?」
「本物の剣を使います」
どうぞ、と腰の剣を抜いてラインツに差し出した。
「ええ! そんな人様の剣を持つなんて、」
「いいから、ほらっ。これは予備の剣なので遠慮なく使ってください」
無理矢理押し付けられる形でラインツは恐る恐るトキナーの剣を受けとった。
装飾のほとんどないシンプルな作りの剣だった。柄はひんやりとしており切っ先に向かうほど細くへらべったく、振るとバネのようにわずかに跳ねる。
「思ったより軽いんですね」
「剣先は薄くて折れやすいので気を付けてください」
「は、はい!」
ラインツは両手で柄をしっかり握った。模擬剣とは全く違う感触に冷や汗が背中に流れた。
一方トキナーは懐から刃渡り二十センチ程の短剣を取り出して鞘から抜いた。
「私はこれでいきます。これから貴方の良い点と悪い点、すべて直していくので覚えてください」
良い点もなおすのか……?
ラインツは柄を握り直して構えた。
二人は何合か打ち合った。トキナーは短剣、ラインツは長剣で。一見長剣よりずっと短い短剣は不利かと思われたが、トキナーは長剣の攻めをものともせず鮮やかに防御と攻撃を繰り返す。逆に防戦一方となったラインツは額に汗をにじませていた。
動きが完全に読まれていることに気付いたとき、何度も隙を狙われもはや攻撃するどころではなかった。
彼は迷っていた。使っているのは真剣で、攻撃をまともに食らえば大怪我をする。そして自分も相手を負傷させてしまう可能性もある。だがトキナーはそんな甘い考えは捨てろと言うだろう。
『相手を殺す気でいろ』、その言葉が彼を後押しした。
「くう……っ、これなら……!」
ラインツは通常なら引くところであえて角の構えで猛突進して長剣でトキナーの胸を突く。突けたつもりだった。
ドスッと腹部を蹴られる音がして、気付いたら身体が回転しながら地面を転がっていた。
長剣の剣先が届く前に、トキナーは右足でラインツのがら空きとなった腹を踵で蹴ったのだ。剣技と蹴りの合わせ技による難しい攻撃である。なぜ難しいのか、剣を持った状態で体勢を崩さずに片足を完全に地面から離すのは、実は非常に経験と筋力が必要となる。また、相手が足技を予測していた場合最悪足を攻撃される可能性もあるためタイミングが非常に難しい。
「げっほ……うえ…………」
土が口の中に入って余計むせる。
予想外の防御にラインツは理解がだいぶ遅れてしまった。
「剣以外のものを使ってはいけないという規則はありませんから、もちろん身体技を使ったこんな攻撃技もあります」
「ハア、ハア……」
「初心者には難しいかもしれませんが、今は攻撃型のひとつとして覚えといてください」
「はい!」
「………………でも、真剣での勝負で初めてにしては勇気があったと思います。ああ、だったら貴方は無理に極限状態に追い込んだほうが成長を臨めますね」
それからトキナーは長剣の攻撃や防御の型を徹底的に図解説明し、それはラインツがちゃんと理解するまで続いた。
そこでようやくラインツは、長剣の技を正確に覚えることが出来た。
◇
エルナは数日間戻ってこなかった。その代わりトキナーの教え方は分かりやすく、たくさんのことを学び、ラインツは時間を有意義に過ごせた。練習用にと彼が持ってきた刃をつぶしてある剣を握るのが楽しくて、手にたくさん出来たマメが潰れようと構わず振るい続けた。そして今日も剣の柄に血汗をにじませて必死にトキナーの重くて鋭い剣をうけ続けた。
「今日はここまでにしましょう。筋力の鍛練と、寝る前に筋肉をほぐすのを忘れないでください」
「はい! 今日もありがとうございました」
彼はいつもどこから村へやってくるのかラインツには分からなかったが、ラインツが昼食を済ませて家から出るとき必ず玄関前の植木のそばで待っている。そして夕方になると稽古を切り上げ帰っていく。何度か彼の言う"本部"がどこなのかそれとなく聞き出そうとしたが、軍の機密情報だからと教えてもらえなかった。
冬が近いため日が暮れるのは早い。
ラインツは暗くなる前に外での鍛練を終え、グレタと二人で夕飯を用意して食べる。
「これから半年以上はトマテが食べられないなんて、品種改良でもして一年中育てられないかなあ」
「そこまでしてトマテを食べたいと思ってるの、たぶんグレタだけだよ」
根野菜のスープを煮込みながらぼやいた彼女に苦笑いをした。
「あんなに美味しいのに! 採りたての熟したトマテはどんなに美味しい果物でも劣ってしまうもの」
「あんなの生で食べたら普通エグすぎて舌が痺れるよ……それより俺は肉が毎日食べられる生活を送りたいなあ」
「ラインツは本当お肉が好きだよね、お肉ばかり食べてると太っちゃうよ」
「そのぶんたくさん動くから大丈夫! もっと筋肉つけて強くなるんだ」
食卓にスープの入った器を置きながら応えたラインツは気付かなかった。その言葉に彼女が暗い目をしたことを。
「ラインツ、食べ終わったらちゃんと薬飲んでね。じゃないとまた倒れてしまうから」
「わかってる。……ヨハネ先生も、もっと飲みやすいの出してくれればいいのに」
「我が儘言わない、あとでクリームを入れたお茶を淹れてあげるから」
暖かい家の外では木枯らしが吹いて、ときおり音を立てて窓を揺らしていた。
年末はたくさん絵描きたいです。




