01*あたしと偶然
「はっ、はっ、はっ……」
小刻みに吐かれる白い息。体が芯から凍ってしまいそうな冬の夜の街を、あたしは地下鉄の駅に向かって走っていた。
薄手のロングワンピースにニットカーディガンを一枚、という防寒のカケラもない格好でも、あたしは平気だった。それよりなにより、早くケータイを取りに行かなければならなかった。人を待たせるというのは、やっぱり好きじゃないから。
「その電話、あたしのなんです!」と電話口に向かって、少しあわてて話しかけたのはついさっき。学校から家に帰るとカバンに入れておいたはずのケータイが無くて、さんざん探したあげく電車の中でウトウトしていた自分を思い出した。しかたなく家の電話器から自分のケータイに電話をかけた、というワケだ。
電話に出たのは若そうな男の人だった。澄んだテノールの、優しい声の持ち主だ。自分のアルトを少し不安定だと感じているあたしには、その声がとても魅力的だった。
「助かります! 拾っていただいて、ありがとうございました」
『……どういたしまして』
声は優しかったけれど、少しぶっきらぼうというか無愛想というか、そういう印象を受けた。
「今すぐ取りに行きますので。どこにいらっしゃいますか?」
『鳴浜駅。地下鉄の……』
それはあたしが降りた駅だった。
たしか自販機でコーンスープを買ったときに、販売機横の小さなベンチに荷物を置いたのを覚えている。たぶんそのときに置き忘れたんだろう。
「分かりました、すぐ行きます。本当にありがとうございました!」
電話なのに、なぜか元気よく頭を下げた。
『あ、あの……』
その声に気付かずにさっさと電話を切ってしまったあたしは、本当にバカだったと今になって思う。
「……どこにいるの?」
何も考えずに自販機の前まで来たあたしだったが、ここに来てようやく自分のバカさ加減に気がついた。
――いない。電話の彼らしき人は見あたらなかった。
ここで拾うとは限らないのに。あの電話の時、場所を伝えてもらえばよかった。なのにその前にさっさと受話器を置いたのは、このあたしだ。
「もう一度かけようかな……」
でも財布もカバンも持っていない今のあたしには無理だった。公衆電話を使うにもカードがない。
「あーん、どーしよう」
とりあえず、駅の中を捜し回ってみることにした。
地下鉄 鳴浜駅。そこはもう3年近く通っている駅だったから知り尽くしているのかと思っていたけれど、そうでもないみたいだった。いつも乗る浅海線の反対側には星城線が通っているのだけれど、ほとんどお世話になることがないので、そっち側は未知の世界だった。
しかしその中にたった一箇所だけ、あたしの記憶を痛烈に蘇らせる場所がある。
星城線の改札口の手前、少しだけ広くなっているこのスペースには、少しばかり哀しい思い出が秘められている。
――4年前のちょうどこんな寒い日に、彼は引っ越していったのだ。




