第5話 ヒーラー:ファティマ(1)
「それで、アルセリオはどうなったのですか?」
教会の奥にある小さな部屋で、神父が私に尋ねた。机の上には、いつもの報告書が置かれている。私はその前に立ち答える。
「……分かりません」
「分からない、というのは?」
「転移の魔道具を使って、私たちをダンジョンの外へ逃がしてくれました。アルセリオだけが中に残って、それから……」
そこまで話して、言葉が止まった。
あの日、私たちは彼を探した。ダンジョンの中に残された血の跡も、激しい戦いがあったことを示す傷跡も見つけた。それでも、アルセリオの姿はどこにもなかった。
生きているのか、死んでいるのか。それすら分からない。
「そうですか。彼の遺体は見つかっていないのですね」
「はい」
「分かりました。引き続き情報を集めましょう。あなたも疲れているでしょうから、今日はもう休みなさい」
「……はい」
神父はそれ以上、何も尋ねなかった。
私にとっては大切な友達でも、教会にとってアルセリオは調査対象の1人に過ぎない。彼の魔力について、教会は以前から関心を持っていた。私が彼と親しくなったのも、最初は教会から頼まれたことがきっかけだった。
でも、今は違う。私は報告書に目を落とした。そこには、子供の頃に書いた古い記録も一緒に挟まれている。
懐かしい文字を見ていると、初めてアルセリオと出会った日のことを思い出した。
あの日、私は教会の礼拝堂にいた。
小さな頃から、私は教会で暮らしていた。治癒魔法に特別な才能があると分かったため、両親のもとを離れ、聖女候補として育てられることになったのだ。聖女候補というのは、将来、教会を代表する聖女になるために選ばれた子供のことだ。私は毎日、祈りや勉強、治癒魔法の訓練を受けていた。
教会の人たちは優しかった。食事も寝る場所も用意してくれたし、体調が悪くなればすぐに治療してくれた。
けれど、友達はいなかった。
同じくらいの年齢の子供と話す機会もなく、自由に外へ出ることもできない。私の毎日は、決められた時間に祈り、勉強し、魔法の練習をすることで終わっていた。
そんな生活を送っていたある日、神父から新信徒が来ると聞かされた。
「今日は、この教会にアルセリオという男の子が来ます」
「アルセリオ君、ですか?」
「ええ。ご両親と一緒に来られるそうです。あなたは礼儀正しく挨拶をするのですよ」
「分かりました」
私は言われた通り、礼拝堂で待っていた。
しばらくすると、神父と一緒に男の子が入ってきた。両親らしき男女も隣にいる。男の子は私と同じくらいの年齢で、周囲を興味深そうに見回していた。
「こちらがファティマです。治癒魔法の才能があり、将来は聖女になることを期待されている子ですよ」
神父に紹介され、私は頭を下げた。
「ファティマと申します。本日はよろしくお願いいたします」
「こんにちは。僕はアルセリオ。よろしく」
男の子は笑顔で挨拶してくれた。
それが、アルセリオとの最初の出会いだった。
彼の両親は神父と話をするため、別の部屋へ案内されていった。アルセリオは教会の中で待つことになり、私は彼の相手をするように言われた。
「ファティマって、ずっとここにいるの?」
「はい。私は教会で暮らしています」
「そっか。ここで何をしているの?」
「お祈りや勉強、それから治癒魔法の練習です」
「毎日?」
「はい。聖女になるために必要なことですから」
私は教会で教わった通りに答えた。アルセリオは少し考えるように私を見たあと、礼拝堂の椅子に座った。
「大変そうだね」
「いいえ。私は聖女候補ですから」
「それって、楽しい?」
「……え?」
予想していなかった質問だった。聖女候補として何をするべきかは、何度も教わってきた。けれど、それが楽しいかどうかを考えたことはなかった。
「えっと……、必要なことです」
「そっか」
アルセリオはそれ以上、何も聞かなかった。
私は少し困ってしまった。せっかく新信徒が来ているのだから、何か話さなければいけない。そう思って、教会で教わったことをいくつか説明した。
祈りの仕方。聖女の役目。治癒魔法の使い方。
アルセリオは静かに聞いてくれたけれど、途中から礼拝堂の窓の外を見ていた。
「外には何があるんですか?」
「町があるよ。お店もあるし、公園もあるし、友達と遊べる場所もたくさんある」
「友達……」
「うん。ファティマは友達と遊んだりしないの?」
「私は教会にいますから」
「じゃあ、僕が友達になってもいい?」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。
「僕、またここに来ることがあると思うし。そのときは一緒に遊ぼうよ」
「でも、私は聖女候補です」
「うん。それがどうかしたの?」
アルセリオは不思議そうに首を傾げた。私が聖女候補であることは、彼にとって友達になれない理由ではないらしい。
「……私でいいんですか?」
「もちろん。ファティマと友達になりたいんだ」
その言葉を聞いて、胸の奥が温かくなった。
私は今まで、聖女候補として扱われてきた。治癒魔法の才能を持つ子供として、将来の聖女として、期待されてきた。
けれど、アルセリオは違った。彼は私のことを、ファティマと呼んでくれた。
「……はい。よろしくお願いします」
「うん!」
アルセリオは嬉しそうに笑った。
その日から、彼は教会に来るたびに私のところへ顔を出すようになった。最初は短い時間だけだった。ご両親と一緒に来て、神父と話をしている間に私と話す。それだけの関係だった。
けれど、何度も会ううちに、話すことが増えていった。アルセリオは町で見たものを教えてくれた。お店で売っているお菓子のことや、友達と遊んだこと、家族で出かけた場所のこと。私が知らない外の世界を、楽しそうに話してくれた。
「今度、一緒に町を歩けたらいいね」
「私が外に出てもいいのでしょうか?」
「神父様に聞いてみたら?」
「許可してもらえるとは思いません」
「そっか。じゃあ、いつか行けるようになったら一緒に行こう」
「……はい」
私はその約束を大切にした。
アルセリオが来る日は、朝から楽しみだった。今日は何を話してくれるのだろう。どんなものを見てきたのだろう。彼の話を聞くたびに、教会の外に広がる世界が少しずつ近くなっていく気がした。
やがて、教会から言われて書いていた報告書にも変化が出始めた。
最初の頃、私はアルセリオの様子や魔力について書いていた。教会から聞かれていたことを、そのまま記録していたのだ。
けれどいつからか、報告書には別のことを書くようになっていた。
今日はアルセリオが新しいお菓子の話をしてくれた。
今日は一緒に本を読んだ。
今日はたくさん笑った。
そんな、教会にとっては何の役にも立たないことばかりだった。
ある日、アルセリオが私に尋ねた。
「ファティマは、楽園ってどんなところだと思う?」
「楽園ですか?」
「うん」
教会では、楽園について何度も教えられていた。誰もが苦しまず、争わず、幸せに暮らせる場所。それが教会の教える楽園だった。
「みんなが幸せに暮らせる場所だと思います。でもそこは、生きてるうちに正しく生きた者しかたどり着けません」
「そっか。僕は、今みたいにみんなで笑っていられる場所が楽園だと思うけどな」
「今みたいに?」
「うん。ファティマと話していると楽しいし、友達と遊んでいるときも楽しい。そういう時間がずっと続けばいいなって思うんだ」
アルセリオはいつものように笑っていた。私はその言葉を、ずっと覚えている。教会が教えてくれた楽園は、遠い場所にあるものだった。祈りを捧げ、正しい行いを重ね、その先にあるものだと教えられていた。
けれどアルセリオは、今笑っていられる場所だと言った。大切な人と一緒にいられる場所。
私にとっては、彼と過ごす時間がそうだった。
それからも、アルセリオは教会に来てくれた。私が治癒魔法の練習で失敗したときも、勉強で分からないことがあって落ち込んだときも、彼はいつも変わらず話しかけてくれた。
私は聖女候補であることを忘れたわけではない。教会で暮らすことも、いつか聖女になるために学び続けることも変わらなかった。それでも、アルセリオと会える時間だけは、私にとって特別だった。
いつしか、報告書の最後には決まって同じ言葉を書くようになっていた。
アルセリオと一緒にいる時間は、私にとって楽園です。
その文字を見つめながら、私は報告書を閉じた。
彼は、もう教会には来ない。いつも笑っていた彼が、今どこにいるのかも分からない。
「……アルセリオ」
小さく名前を呼んだ。
教会の人たちは、彼の魔力を調べようとしていた。彼がどんな力を持っているのか、何者なのか。それを知ることが大切なのだと考えている。
でも、私にとってはどうでもいい。
また話がしたい。
また一緒に笑いたい。
もう一度、彼に会いたい。
彼がいないのに、私の楽園はどこにあるのだろう。
答えてくれる人は、ここにはいなかった。




