第4話 剣士:ヴァネッサ(2)
ヴァネッサがアルセリオと出会ったのは、偶然ではなかった。
あの日。ヴァネッサには、1つの命令があった。
「あの子を見張りなさい」
父からそう言われた。ヴァネッサの家は、王国でも有名な騎士の家系だった。魔物との戦いを何度も経験し、代々、国のために剣を振るってきた家だった。ヴァネッサ自身も幼いころから剣を教えられていた。そんな彼女に与えられた最初の仕事。
それが、アルセリオの監視だった。
理由は教えられなかった。ただ、アルセリオという少年を見張れ。危険な行動をしないか確認しろ。何か異常があれば、すぐに報告しろ。それだけだった。
「どうして私が?」
「お前と年齢が近いからだ」
父はそれ以上、何も教えてくれなかった。ヴァネッサは納得できなかった。ただ少年を監視する。それが騎士になるための訓練になるとも思えない。それでも、命令には従った。
「……あれがアルセリオ」
初めて見たアルセリオは、普通の少年に見えた。村の中を歩いている。店の手伝いをしている。子どもたちと遊んでいる。
どこにでもいる子どもだった。危険な人物には見えない。
ヴァネッサは木の陰からアルセリオを見ていた。
その日も、特に何も起こらなかった。
翌日も。
その次の日も。
アルセリオは普通に暮らしていた。
ただヴァネッサは、少しずつ気づき始めた。アルセリオは、困っている人を見つけると必ず助ける。重い荷物を持っている老人がいれば運ぶ。迷子を見つければ、親を探す。
誰かに頼まれたわけでもない。見返りを求めているわけでもない。
「……変な人」
ヴァネッサはそう思った。
監視対象としては、あまりにも普通だった。
ある日。ヴァネッサがいつものように遠くからアルセリオを見ていると、アルセリオが突然振り返った。
「そこにいるの誰?」
「……!」
ヴァネッサの身体が固まった。ばれている。逃げようか迷った。けれど、アルセリオは木の陰まで歩いてきた。
「ずっといるよね?」
「……」
「何か用?」
ヴァネッサは答えられなかった。監視しているなんて言えるわけがない。
「……別に」
「そう?」
アルセリオは首を傾げた。
「じゃあ、一緒に遊ぶ?」
「……え?」
「暇そうだから」
ヴァネッサは呆れた。
「……別に暇じゃないけど。遊んであげてもいいわよ」
「ほんとは僕と遊びたいんでしょ~?」
そう言ってアルセリオは笑った。それが始まりだった。監視するはずだった。なのに、気づけば毎日一緒にいるようになっていた。
アルセリオはヴァネッサを連れ回した。
森へ行ったり川へ行ったり。村の外れで訓練もした。
「ヴァネッサ、剣持ってるんだろ?」
「うん」
「見せてよ」
「嫌」
「なんで?」
「そんなほいほい他人に見せるもんじゃないの」
そんなやり取りを何度もした。
ヴァネッサは、いつの間にか監視していることを忘れていた。報告書を書くときだけ思い出す。
『アルセリオに危険な行動はなし』
最初はそう書いていた。けれど、ある日から少し変わった。
『アルセリオは今日、森で魔物の子どもを助けた』
『アルセリオは怪我をした子どもを家まで送った』
『アルセリオは困っている人を放っておけない』
気づけば、監視報告ではなく、アルセリオの日記のようになっていた。
そんなある日。ヴァネッサはアルセリオに聞いた。
「ねえ」
「ん?」
「私のこと、どう思ってる?」
「友達」
即答だった。
「……そう」
「嫌だった?」
「別に」
監視対象と監視役。そんな関係だったはずなのに。アルセリオにとって、自分は友達だった。それが嬉しかった。
家では騎士の娘として扱われる。父からは強くなれと言われる。周囲からも、将来は立派な騎士になるのだと言われる。でもアルセリオは、そんなことを気にしなかった。
騎士の家の人間だからではなく、ただヴァネッサだから一緒にいる。それが嬉しかった。
「ヴァネッサ、今日も訓練しよう」
「うん」
2人で木剣を持った。何度も打ち合う。ヴァネッサは少しずつ強くなった。アルセリオも強くなった。
いつしか、アルセリオは拳で戦う武闘家を目指すようになった。
「僕、強くなる」
「私も」
「どっちが強くなるかな」
「私」
2人で笑った。
ヴァネッサは、そんな時間が好きだった。アルセリオといる時間が好きだった。いつからか、監視することなんてどうでもよくなっていた。
命令だから一緒にいるのではない。自分が一緒にいたいからいる。それに気づいたころには、もう遅かった。
ヴァネッサはアルセリオを好きになっていた。
ただの友達ではない。大切な幼なじみ。一番近くにいたい人。いつか、アルセリオの隣で戦いたいと思うようになった。
だから剣士になった。
アルセリオが武闘家になるなら、自分も前衛に立つ。アルセリオの背中を守る。それが自分の役目だと思った。
やがて2人は、本当に強くなった。
アルセリオが右へ動けば、自分は左へ行く。自分が敵を斬れば、アルセリオが追撃する。言葉なんていらなかった。ずっと一緒に戦ってきたから分かる。
だから今回も守れると思っていた。
アルセリオの隣に立てると思っていた。何度も一緒に戦ってきた。自分はもう、守られているだけの少女ではない。アルセリオの隣に立つために、ずっと剣を振ってきた。
それなのにあの魔物を見た途端、身体が動かなくなった。
頭の中では、何度も命令していた。
動け。
走れ。
アルセリオのところへ行け。剣を振れ。
なのに、足だけが言うことを聞かなかった。
「下がれ!」
アルセリオの声が響く。
「3人とも逃げろ!」
ヴァネッサは剣を握った。アルセリオが自分たちを見ている。その顔を見たとき、ヴァネッサは思った。
嫌だ。
この人を置いていきたくない。ずっと隣にいたい。
ダンジョンから戻ったヴァネッサは、その足でアルセリオの家へ向かった。アルセリオの両親に、息子が死んだと伝えなければならない。
けれど、玄関の前まで来ると足が止まった。アルセリオの帰りを待っている。そう考えると、扉を叩くことができなかった。
「……ヴァネッサ?」
背後から声がした。
振り返ると、アルセリオの父親が立っていた。仕事帰りなのか、外套を着たままだった。
「どうした? アルセリオは一緒じゃないのか?」
ヴァネッサの喉が詰まった。本来ならば、ここで「もうすぐ帰ってきます」と言えるはずだった。けれど今日は言えない。
「……すみません」
父親の顔から笑みが消えた。
「何があった?」
「アルセリオは……」
声が出ない。口を開いても、言葉が喉の奥で止まる。
アルセリオは死んだ。
その言葉を口にしたら、本当に帰ってこなくなる気がした。
「ヴァネッサ?」
「ダンジョンで……」
それだけ言ったところで、涙が落ちた。
父親の表情が変わる。
「アルセリオに、何かあったのか?」
「……はい」
ヴァネッサは俯いた。
「大きな魔物が出ました。私たちは……」
父親は何も言わなかった。
「私たちを外へ飛ばす魔道具を使って……。アルセリオだけが、ダンジョンに残りました」
「……そうか」
短い返事だった。その声を聞いた途端、ヴァネッサの胸が苦しくなった。父親はアルセリオのことを聞かない。
「遺体は?」
「……見つかりませんでした」
ヴァネッサは顔を上げられなかった。アルセリオの父親は、しばらく黙ってから家の中へ向かって声をかけた。
「母さん」
奥から母親が出てくる。
「どうしたの?」
「ヴァネッサが来ている。暖かいミルクを飲ませてやってくれ」
母親はヴァネッサを見る。その顔を見ただけで、何かを察したようだった。
「……アルセリオは?」
ヴァネッサの唇が震える。母親の顔から血の気が引いた。
「どういうこと?」
言葉が続かない。母親が1歩近づいてくる。
「アルセリオは?」
ヴァネッサは拳を強く握った。
「……分かりません」
嘘ではない。遺体は見ていない。死んだところも見ていない。だから、生きている可能性だってある。
「でも……」
声が震える。
「戻ってくると……、私は思っています」
母親の目に涙が浮かんだ。それしか言えなかった。ヴァネッサは2人に頭を下げた。
「すみません」
それ以上、何も言えなかった。




