第3話 剣士:ヴァネッサ(1)
魔道具が発動した。強い光に包まれたあと、ヴァネッサが目を開けると、そこはダンジョンの外だった。
「……え?」
ヴァネッサは地面に手をつき、すぐに立ち上がった。腰には剣がある。自分の身体にも、大きな傷はない。
隣にはファティマがいた。白い法衣を着たヒーラーで、回復魔法を得意としている。怪我をした仲間を治す。4人で戦うためには欠かせない存在。
その少し離れた場所にはモルガーナがいる。黒いローブを着た魔法使いで、炎や雷、氷などの攻撃魔法を使う。強力な魔法を使える代わりに、敵に近づかれると弱い。だから、いつも前衛のヴァネッサとアルセリオが敵を食い止めていた。
「……アルセリオ?」
いない。ヴァネッサは周囲を見回した。どこにもいない。
「アルセリオは……?」
ファティマも立ち上がった。
「……いません」
モルガーナの顔が青ざめる。
「まさか……」
3人の視線が、目の前のダンジョンへ向いた。アルセリオだけが残っている。
「戻ろ」
ヴァネッサが言った。
「今すぐ戻る」
「待って、ヴァネッサ!」
ファティマが腕を掴んだ。
「危険です!」
「アルセリオが中にいる!」
「でも、あの魔道具はアルセリオが使ったんですよ! 私たちを外へ飛ばすために!」
「だから戻るんでしょ! 一発ぶん殴ってやんないと!」
ヴァネッサはファティマの手を振りほどいた。
モルガーナが杖を握った。
「……私も行く。アルセリオが残ってるなら、戻らないと」
ファティマも涙を拭った。
「分かりました。私も行きます。早く戻って治療しましょう」
3人はダンジョンへ入った。アルセリオが最後にいた場所へ向かって走る。
3人は走り続けた。やがて、あの場所が見えてきた。
「アルセリオ!」
ヴァネッサが叫ぶ。
「アルセリオ! 聞こえる!?」
返事はない。
「アルセリオ! 返事をしてください!」
ファティマも叫ぶ。モルガーナも声を張り上げる。
「いるんでしょ!? 返事してよ!」
返事はない。ヴァネッサの足が止まった。
「……ここ」
壁には深い傷が残っていた。床には大量の血が飛び散っている。岩は砕け、地面には大きな亀裂まで入っていた。ここで何が起きたのか。それを見ただけで分かった。
「……アルセリオ」
ヴァネッサの声が震える。脳裏に、さっきまでの光景が蘇った。巨大な魔物。4人の前に立ちはだかった、あまりにも大きな敵。4本の脚。太い尾。全身を覆う黒い鱗。頭部には2本の巨大な角が生えていた。魔物が一歩踏み出すだけで、地面が揺れた。咆哮がダンジョン中に響き、ヴァネッサは剣を握ったまま動けなくなった。
怖かった。身体が震えた。これまで、何度も強い魔物と戦ってきた。それでも、あの魔物だけは違った。剣士として、勝てないと判断してしまった。
「……っ」
ヴァネッサは目を閉じた。
あのとき、魔物がアルセリオへ向かって突っ込んだ。
「アルセリオ!」
ヴァネッサが叫ぶ。アルセリオは逃げなかった。武闘家であるアルセリオはむしろ前に出て、両手を構えて魔物を迎え撃った。
けれど私は、身体が動かなかった。怖くて足が震えた。仲間を守らなければならないのに。前へ出られない。
「……私」
ヴァネッサは震える手を見た。
「あのとき……、私は……」
アルセリオは1人で戦っていた。吹き飛ばされても立ち上がり、血を流しながら、それでも前へ出た。
「下がれ!」
アルセリオが叫んだ。
「3人とも逃げろ!」
ヴァネッサは覚えている。自分たちは動けなかった。ファティマも震えていた。モルガーナも杖を構えたまま、顔を青くしていた。
アルセリオは笑った。
「こいつは俺が止める!」
ヴァネッサは剣を握った。行かなければ。アルセリオと一緒に戦わなければ。
幼いころからずっと一緒だった。4人で遊んだ。4人で冒険者になった。4人で魔物と戦ってきた。アルセリオの隣に自分も立つと誓った。ずっとそうしてきた。なのに……。
「怖くて動けなかった」
ヴァネッサの声が震える。
私たちを守るため、アルセリオは敵を真正面から迎え撃つ。拳が魔物の顔面に叩き込まれる。魔物の巨体が揺れる。けれど、止まらない。巨大な尾が振り抜かれた。アルセリオの身体が宙へ飛んだ。壁に叩きつけられる。
「アルセリオ!」
ヴァネッサは叫んだ。助けに行きたい。なのに足が動かない。
「なんで……」
怖いからだ。あの魔物に近づけば殺される。頭も体も分かっていた。それでも行かなきゃ。
「行かなきゃ……!」
1歩踏み出そうとする。動かない。
「行け! 行け……!」
もう1度、足に力を入れる。それでも動かない。その間にも、アルセリオは戦っていた。自分たちを守るために。
ヴァネッサは目を開けた。
「……私たちは、守られてた」
そう呟いた。
「アルセリオが……ずっと守ってくれてた」
ファティマが泣きながら頷く。
「はい……」
モルガーナも俯いた。
「私たちを逃がすために……」
そうだ。アルセリオは最後まで戦った。自分たちが逃げる時間を作るために。そして最後には魔道具を使った。3人だけをダンジョンの外へ飛ばした。
自分を残して。
「……私たちだけが助かった」
ヴァネッサの目から涙が落ちる。その場に膝をつく。涙が止まらない。
「剣士なのに……」
剣士。仲間の前に立って、敵を斬る職業。仲間を守るために剣を持っている。なのに、自分は動けなかった。アルセリオが戦っているのを見ていることしかできなかった。
ヴァネッサは地面を叩いた。でも何度叩いても、あのときには戻れない。ファティマがヴァネッサの肩に手を置いた。
「ヴァネッサ……」
「私が……!」
ヴァネッサは泣きながら叫んだ。
「私がアルセリオを守るはずだったのに!」
ファティマも涙を流していた。
「私も……、救えなかった……」
ヒーラーなのに。回復魔法を使えるのに。アルセリオが傷ついていくのを見ているしかなかった。
「もっと早く回復魔法を使えていれば……」
モルガーナも唇を噛んだ。
「もっと強い魔法が使えていたら……」
魔法使いとして、アルセリオを援護できなかった。
3人とも、自分を責めていた。
「アルセリオ、どこにいるの……?」
ヴァネッサは、血の跡が残った床を見つめる。返事はない。遺体もない。装備もない。ただ、激しい戦闘の跡だけが残っている。
「魔物に、食われたのかな……」
ヴァネッサの声が震える。ファティマが首を振る。
「言わないで……」
「でも……」
ヴァネッサは唇を噛んだ。考えたくない。アルセリオが食われた。そう考えるだけで、胸が潰れそうになる。
「嫌……。そんなの嫌です……!」
ファティマが泣き崩れた。
モルガーナもその場にしゃがみ込む。
「……アルセリオ」
声が震えている。
幼なじみだった。ずっと一緒だった。4人で笑って。4人で喧嘩して。4人で冒険して。これからも4人でいると思っていた。
「……ごめん」
ヴァネッサは床に手をついた。
「ごめん、アルセリオ……」
涙が落ちる。何度も謝る。3人の泣き声が重なる。
4人で来たダンジョンだった。4人で帰るはずだった。けれど、今ここにいるのは3人だけ。
しばらく3人はその場から動けなかった。アルセリオが帰ってくると信じたい。けれど、心の奥では分かっている。あの強大な魔物と1人で戦った。遺体すら見つからない。
だからきっと、アルセリオはもう……。
ヴァネッサは首を振った。その考えだけは認められなかった。
「アルセリオは生きてる」
震える声で言う。
「絶対に……、生きてる!」
自分にそう言い聞かせながら、ヴァネッサは涙を流し続けた。怖くて動けなかった自分を責めながら。守ってくれた幼なじみの帰りを待ちながら。
3人は、4人で過ごした最後の場所から動けなかった。




