第2話 魔物・クレモリー(2)
夕方になると、クレモリーが夕食を作ってくれた。
「主様、できましたよ」
テーブルの上には、焼いた肉と野菜、それから湯気の立つスープが並んでいる。
「ありがとう。美味しそうだね」
「はい。主様が好きだったものを作りました」
クレモリーが僕の身体を椅子まで支えてくれる。僕は椅子に座った。目の前には料理がある。けれど、自分で食べることはできない。僕には両腕がない。
クレモリーはしばらく僕の顔を見つめていた。それから、ようやく安心したように笑う。
「では、食べましょう」
クレモリーが肉を切り分ける。フォークで刺して、僕の口元まで運んできた。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
口を開ける。肉を食べる。
「美味しいです?」
「うん。美味しい」
「よかった」
クレモリーは嬉しそうに笑った。次は野菜。その次はスープ。一口食べるたびに、クレモリーは僕の顔を確認する。
「熱くないですか?」
「大丈夫」
「喉は痛くないですか?」
「大丈夫」
「苦しくないですか?」
「大丈夫だって」
「……本当ですか?」
「本当」
クレモリーは安心したように息を吐く。
「なら、よかったです」
また一口。食事さえ1人ではできない。前なら当たり前だったことが、今は全部クレモリーに任せるしかない。夕食を食べ終えるまで、クレモリーはずっと僕の世話をしてくれた。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
クレモリーは食器を片付ける。しばらくして戻ってくると、僕の前にしゃがんだ。
「お風呂にしましょう」
「うん」
クレモリーに身体を支えてもらい、風呂場まで連れていってもらう。服を脱がせてもらう。湯船に入るのも、クレモリーに身体を支えてもらった。
「熱くないですか?」
「大丈夫」
「傷は痛みますか?」
「大丈夫だよ」
クレモリーは僕の髪を濡らし、丁寧に洗っていく。自分では頭に触れることすらできない。髪を洗ってもらう。顔も洗ってもらう。背中も、胸も、腹も、足も。僕は何もできず、ただクレモリーに身体を預けるしかなかった。
クレモリーは僕の背中を洗いながら、小さく呟く。
「もう、いなくならないでくださいね」
「当たり前だろ……」
ゲームの中では、アルセリオがクレモリーの世話をしていた。食事を作って。身体を洗って。服を着せて。1人で生きられるように、自立するようにしていく。でも結局、依存関係になってしまう。それが僕の知っている『共依存関係』だった。
今は立場が逆だ。
風呂から上がる。身体を拭いてもらう。服を着せてもらう。袖に通す腕がないというのは、やっぱり違和感がある。
それから髪を乾かしてもらう。
「ありがとう」
「はい」
クレモリーは満足そうだった。僕はその顔を見て、少し考える。どうして、この子はここまで嬉しそうなんだろう。
「クレモリー、僕の世話をするの、そんなに楽しい?」
「楽しいです」
迷いのない返事だった。
「主様のお世話ができるのは嬉しいです」
「そっか」
「嫌ですか?」
「え?」
「私にお世話されるの」
クレモリーの笑顔が消えた。
「いや、嫌じゃないよ」
「本当ですか?」
「うん」
「私のこと、嫌いじゃないですか?」
クレモリーは、少しでも僕が否定したように見えると、すぐに不安になる。
「嫌いじゃないよ。当たり前だろ。むしろ好きだよ」
「本当ですか?」
「うん」
「どれくらい?」
「どれくらいって……。とにかく、僕はクレモリーのことが大好きさ」
クレモリーの目が見開かれた。
「……大好き」
クレモリーは俯いた。耳まで赤くなっている。
「……よかった」
小さな声だった。その声には、心の底から安心したような響きがあった。けれど、その手は僕の服を強く握っていた。僕がどこかへ行かないようにするみたいに。
夜。窓の外を見ると、月が出ていた。
「……少し外の空気を吸いたいな」
「分かりました」
クレモリーがすぐに僕のところへ来る。
「一緒に行きます」
「いや、クレモリーは家にいていいよ。風に当たるだけだから」
「……」
クレモリーの顔がみるみる不安そうになっていく。
「主様」
「ん?」
「私も……、一緒に行ってはいけませんか?」
「いや、そういう意味じゃないよ」
「じゃあ、どうして……」
クレモリーの声が震えた。
「どうして私を置いていくんですか?」
「置いていくってほどのことじゃ――」
「また、いなくなるんじゃないですか?」
僕は黙った。クレモリーの目に涙が浮かぶ。
「また、帰ってこなくなったら、私……」
クレモリーが僕の服を掴む。言葉が止まる。泣きそうな顔。
「……ごめん、やっぱり一緒に風に当たろう」
クレモリーの顔が明るくなった。
「……はい!」
クレモリーは僕の身体を支え、外へ連れていってくれた。
夜の空気が頬を撫でる。山の中は静かだった。木々が風で揺れている。遠くから虫の声が聞こえる。
「気持ちいいね」
「はい」
クレモリーは僕の隣にいる。少しでも離れると、すぐに近づいてくっついてくる。ずっと僕のそばにいる。
「主様」
「ん?」
「私、ちゃんと役に立っていますか?」
「もちろん」
「私がそばにいても、嫌じゃないですか?」
「嫌なわけないよ」
「じゃあ、ずっと一緒にいてもいいですか?」
「うん」
クレモリーが嬉しそうに笑った。
僕はクレモリーに世話をされている。僕は、それを単純に「両腕がないから仕方ない」と考えていた。でもクレモリーは、僕が世話をされることを受け入れるほど、自分が必要とされていると感じるのだ。
「主様、私、ずっとそばにいますから」
「……そうだね」
僕は軽く返事をした。その言葉を聞いたクレモリーは、僕の服を握ったまま、安心したように目を細めた。




