第1話 魔物・クレモリー(1)
目を覚ますと天井があった。身体が重い。指を動かそうとしても、指がないことに気づいた。指どころか、僕は両腕を失っている。喉も乾いていて、声を出すだけで痛かった。
「……主様?」
すぐ近くから声がした。僕はゆっくり顔を動かした。
そこに、1人の少女がいた。
人間じゃない。頭には小さな角があり、長い耳が伸びている。人間とは違う色の肌。けれど、その少女は僕を見るなり、泣きそうな顔で笑った。
「主様……!」
少女が飛びついてくる。
「ぐあっ……!」
全身に痛みが走った。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
慌てて離れた少女は、それでも僕から目を離さなかった。
「痛いですか? どこか痛いところはありませんか? そうだ、お水を……。待ってください、すぐ持ってきます!」
少女は慌ただしく動き回る。水を持ってきて、僕の身体をゆっくり起こしてくれる。器を僕の口元へ運んだ。
「……ありがとう」
「はい!」
少女は嬉しそうに笑った。僕は、その顔を見ながら考える。
どうして僕は、生きている?
あの戦いで、僕は死んだはずだ。
僕の命をかけて仲間たちを逃がした。全員、生きているはず。転移を確認してから、僕は力尽きた。
なのに、どうして。
「ここは……?」
「私たちの家です。お忘れですか?」
「君は?」
「クレモリーです」
「クレモリー……」
その名前を聞いた途端、頭の中に1つのゲームが浮かんだ。
『共依存関係』
育成シミュレーションゲーム。奴隷として売られていた魔物の少女を、アルセリオという男が拾う。
「……アルセリオ」
そう、それが僕の名前だ。
彼女を育てる。食事を与える。服を与える。言葉を教える。愛情を与える。選択によって、彼女の未来は変わる。
そして最悪の結末では、クレモリーは魔王になって世界を滅ぼす。
「やっぱり……、覚えていないんですね」
「え?」
「記憶を失ってしまったんですね」
おかしい。原作では、アルセリオが今の僕みたいな両腕欠損の状態になることはない。クレモリーを育てるのがゲーム『共依存関係』の醍醐味だ。これではまるで逆じゃないか。
クレモリーは僕の顔を両手で包んだ。
「大丈夫です」
その声は優しかった。
「今度は私が、主様を支えますから」
クレモリーは僕の顔を小さな胸元へ抱き寄せた。
「これからは、いえこれからも、ずっと一緒です」
「……」
クレモリーの記憶では、僕とずっと一緒だったらしい。だが転生してきてから、そんな記憶は僕にはない。
けれどクレモリーは、本当に嬉しそうに話す。
「毎日、このお家で一緒にいました。一緒にご飯を食べて、眠るときも一緒でした。この家も、主様が買ってくれたんですよ」
確かにゲームの設定上はそうだ。でも僕にはその記憶がない。
僕は部屋を見回した。木で作られた壁。小さな暖炉。簡素な机と椅子。窓の外には深い森が広がっている。家のすぐそばには畑があり、薪が積まれている。少し離れた場所には井戸もあったはず。
ここは街から離れた山の中。人の気配はない。
「ここで……暮らしてたの?」
「はい!」
クレモリーは嬉しそうに頷いた。
自分の知らない16年間。この世界で生きてきた僕とは違う、別のアルセリオがいたのだろうか。ドッペルゲンガー的な。分からない。
クレモリーが窓の外を見る。
「主様は、食料をとりに行ってそのまま帰ってこなかったのです」
「……」
胸が苦しくなった。僕にはその記憶がない。でもこの少女にとっては本当の記憶なんだ。
「探しました」
クレモリーの指が震える。
「山も探しました。街にも行きました。遠い場所まで探しました」
「で、ダンジョンで?」
「はい」
『共依存関係』というゲームにおいて、ダンジョンは存在しなかった。しかしこの異世界にダンジョンは存在する。フォーローン・ラビリンス(見捨てられた)というダンジョンで、僕たちは例の魔物に会って死ぬはずだった。その運命を僕は捻じ曲げた。
長い沈黙のあと、クレモリーは小さな声で言った。
「私、すごくすごく怖くて。私が主様に何か酷いことをしたから、主様が怒って――」
「違う!」
反射的に口から出た。少しだけ僕は声を荒らげてしまった。身体が痛んだ。それでも、クレモリーの言葉を止めたかった。
「主様?」
「君のせいじゃ、クレモリーのせいじゃない」
「本当ですか……? 私がもっと良い子だったら」
「クレモリーはいい子だ」
そういうと、クレモリーは僕の体に飛び込んだ。しかし僕には抱きしめるための腕がない。彼女のその瞳から、涙が落ちた。
「じゃあ……どうして、主様はいなくなったんですか?」
答えられなかった。僕自身にも分からない。だって出て行ったのは、僕じゃないから。でも言えない。それだけは絶対に言えない。言ってはいけない気がする。
なぜなら僕が知っているクレモリーは、最悪の場合、魔王になる。そして世界を滅ぼす。
それだけは避けなければならない。僕があのまま帰ってこなければ、魔王ルートは全然ありえたことだろう。クレモリーは、アルセリオに対して異常な愛情と執着を持っている。僕がクレモリーのメンタルを壊してしまえば、魔王ルートに入る引き金になってしまう。クレモリーを不安にさせるような言動は慎むべきだ。しかし僕の知る原作とは違う展開になってしまっている。
とにかくここから先、クレモリーに対する接し方には注意が必要だ。
そう思ったときだった。クレモリーが自分の腕を掴んだ。
「私は、主様を失ったこの痛みを、忘れないようにします」
次の動きが速かった。鈍い音がした。
「っ……!」
僕は息を呑んだ。クレモリーの腕が千切れて落ちた。床に血が広がる。
「クレモリー!」
僕が叫ぶ。クレモリーは痛みに顔を歪めながら、それでも僕を見ていた。
「何をやってるんだ!」
「主様が苦しんだ分、私も苦しみますから……」
だが千切れた腕から、骨が伸びる。骨の周りに肉がつく。血が止まり、皮膚が形を作っていく。数秒も経たないうちに、元の腕へ戻った。
僕は呆然とする。
そうだった。クレモリーは普通の人間じゃない。高い再生能力を持つ魔物だ。
「もう絶対に、主様を離しません」
クレモリーが僕の胴体に手を回す。がっちりホールドする。
「ずっと主様のそばにいます」
クレモリーは泣きながら笑った。
「私が主様を幸せにします」
「……」
「主様が幸せにならないと、私は生きている価値がありません」
その言葉を聞いて、僕は背筋が冷たくなった。知っている。
この言葉は危ない。
この考え方は、危ない。
史上最低の鬱ゲー『共依存関係』で何度も見た。
クレモリーは、アルセリオを愛しすぎる。自分の価値を、アルセリオの幸せだけで決めてしまう。
そして最後には……。
原作では、どのルートでも結局クレモリーは不幸になってしまう。でも今度こそ、僕がクレモリーを幸せにしてみせる。ずっとこの子のそばにいる。この子が自分を傷つけなくてもいいようにする。世界を滅ぼさなくても幸せになれるようにする。
それが死ぬはずだった僕の役目だ。
「クレモリー」
「はい」
「一緒に幸せになろう」
クレモリーの目が大きく開く。
「……はい!」
嬉しそうに笑った。
僕も笑う。
この子を絶対に魔王になんてさせない。僕は、そう決意した。その決意が、後にどんな未来を引き寄せるのか。このときの僕は、まだ知らなかった。




