プロローグ
僕は鬱ゲーが好きだった。救いがない。登場人物がどれだけ頑張っても報われない。正しい選択をしたはずなのに誰かが死ぬ。仲間を助ければ別の場所で犠牲が出て、それでいて犠牲を受け入れたとしてもハッピーエンドにはたどり着かない。
そんなゲームが大好きで大嫌いだった。
もちろん、現実で同じ目に遭いたいわけじゃない。ゲームだから楽しめた。
自分とは関係のない世界で、登場人物たちが苦しんでいるのを見る。何度も周回して、隠された真実を探す。1周目では意味が分からなかった台詞が、3周目になると全く違う意味に聞こえる。
そういうゲームが好きだった。
だから、その日もゲームをしていた。高校1年生だった。学校には、ほとんど行っていなかった。行けなくなった。いじめられていたからだ。
家に帰っても安心できなかった。親も、僕にとっては家族というより苦痛そのものだった。何をしても怒られる。何を言っても否定される。家なのに逃げ場がない。学校にも居場所がない。そんな生活を続けていた。
だから、ゲームをしている時間だけが楽しかった。
画面の中では、どれだけ酷いことが起きてもいい。電源を切ればそれで終わる。現実には戻らなければならないけれど、その間だけは自分のことを考えなくて済んだ。
その日プレーした鬱ゲーは、何度も周回したお気に入りのゲームだった。また最悪の結末。また誰かが死んだ。また救えなかった。
次は別の選択肢を試そう。そう思ったところで、胸が痛くなった。
「……え?」
何が起きたのか分からなかった。胸を押さえる。息が苦しい。身体から力が抜けていく。ゲーム画面がぼやける。
たぶん、心筋梗塞だった。
病院に行くことはなかった。助けを呼ぶこともできなかった。僕は、そのまま死んだ。
不思議と怖くなかった。
むしろ僕はよかったと思った。もう誰かの顔色をうかがわなくていい。明日のことを考えなくていい。
死ねてよかった。
そう思った。
だから目を覚ましたときは、本当に驚いた。
赤ん坊になっていた。知らない場所。知らない人。知らない言葉。それでも、自分が生きていることだけは分かった。
異世界転生。
たぶん、そういうものだった。
「……ラッキー」
赤ん坊の僕は、声にならない声で笑った。前の世界には戻りたくない。あの人生をやり直したいとも思わない。
ここでなら、今度こそ幸せになれる。
そう思ってから16年。
僕は、この世界で普通に暮らした。友達ができた。仲間もできた。くだらないことで笑ったり、楽しく一緒にご飯を食べたり。
生きていることが苦痛じゃない。明日が来るのが嫌じゃない。
僕は、ちゃんと幸せだった。
だから、今日も死ぬつもりなんてなかった。死にたくない。
「……嘘だろ」
目の前に巨大な魔物がいた。仲間たちが武器を構えている。魔物が腕を振り上げた。地面が揺れる。
その姿を見た瞬間、頭の奥に何かが引っかかった。
知っている。
この魔物を。この場所を。この戦いを。
僕は、知っている。
記憶の底から、1つのタイトルが浮かび上がった。
『Rotten Eden(腐った楽園)』
僕が前の世界で何度もプレイしたアクションRPGの鬱ゲーである。
周回するたびに新しい真実が明らかになる。最初は希望に見えたものが、2周目では絶望になる。仲間を救ったと思ったら、その行動が別の悲劇につながる。何度クリアしても、世界のどこかに救いのない真実が隠されている。
そのゲームの序盤。プレイヤーに敵の強さを教えるためだけに存在するパーティーがいた。
ゲームでは数分しか登場しない。名前すら覚えていないプレイヤーも多い。
「アルセリオ!」
仲間が僕を呼んだ。そう、それが僕の名前だった。アルセリオ。
そこで、ようやく気づいた。僕は『Rotten Eden』の中にいる。しかも僕は主人公じゃない。最初のほうで死ぬだけのモブキャラクター。敵の強さをプレイヤーに見せるためだけに殺される。
それだけの役割のモブキャラクター。
「……嫌だ。嫌だ」
頭の中が真っ白になる。僕たちは、このあと死ぬ。ゲーム通りなら、全員がここで死ぬ。
仲間たちを見る。16年間、幼なじみとして一緒に生きてきた仲間たち。この人たちはゲームのデータじゃない。僕と同じように笑って。泣いて。飯を食って。明日を生きようとしてきた。
ゲームでは数分。僕たちにとっては16年。
「死にたくない」
口から言葉が漏れた。誰も意味を理解できない。僕だけが知っている。この先に待っている結末を。
僕は鬱ゲーが好きだった。何度も何度も、救いのない物語を遊んできた。でも、自分がその登場人物になるのは違う。
「みんな、今までありがとう」
魔物が襲いかかってくる。
僕は仲間の前に出た。ゲームにはなかった行動を取る。
ここから先は、僕の知っている『Rotten Eden』じゃない。
仲間たちを逃がす。絶対に死なせない。
僕は、そう決めた。
戦いが終わったとき、僕は死にかけていた。両腕を失った。足もまともに動かない。身体中が血だらけだった。
それでも、仲間たちは生きている。魔道具を使って、全員を安全な場所まで逃がした。みんな、僕の名前を何度も叫んでいた。それだけで、僕は十分幸せだった。僕のことを本気で心配してくれたのだ。これ以上の幸福はない。
「……よかった」
僕はもう動けない。頭がクラクラする。目の前が暗くなってきた。でも、これでいい。後悔はない。
前の世界では、幸せになれなかった。でも、この世界では幸せだった。仲間たちも、生きている。ならば僕の人生は悪くなかった。
そう思いながら、意識が消えていった。
次に目を開けたとき、僕は知らない場所にいた。身体が動かない。目の前に、誰かがいる。
「……主様」
顔を上げる。そこにいたのは、一人の少女だった。いや、人間ではなく魔物だった。
僕は言葉を失った。僕は死んだはずだが、どうやら生きていたらしい。どうしてか、魔物が僕を見ている。
「良かった。主様!」
魔物の少女は僕に抱き着いた。
あれ、ちょっと待て。僕はこの展開を知っていた。僕は前の世界で、もう1つの鬱ゲーを何度もプレイしていた。
『共依存関係』
育成シミュレーションゲーム。主人公が奴隷の子供の魔物を拾い、育てる。食事を与える。服を与える。言葉を教える。愛情を与える。育て方によって、その子供の未来が変わる。
やがて、その子供は魔王になる。
そして愛をこじらせた魔王が、世界を滅ぼす。
何度も見た。何度もやり直した。そのゲームの、奴隷を拾うキャラクターの名前は……。
「……アルセリオ」
僕は呟いた。
『Rotten Eden』で、序盤に死ぬモブキャラクター。
『共依存関係』で、奴隷の魔物を拾うキャラクター。
どちらも名前はアルセリオだ。2つの鬱ゲー。でも、全く違う作品。
僕はまだ知らなかった。僕の転生後の人生が、2つの鬱ゲーをつなぐことになるなんて。




