第9話 監禁(1)
目を覚ますと、窓から差し込む光が部屋の中を照らしていた。いつもと変わらない朝のはずなのに、身体を起こそうとしたところで、金属が擦れる音が聞こえた。
何だろうと思って視線を下げると、僕の身体には銀色の鎖が巻かれていた。鎖の先はベッドの柱に取り付けられていて、寝返りを打つ程度なら問題ないけれど、ベッドから離れることはできそうにない。いや、これは長さが変わる魔法の鎖か。
「……クレモリー?」
「おはようございます、主様!」
クレモリーが、いつもの笑顔で返事をした。彼女は朝食の乗ったお盆を持っていて、僕が目を覚ましたことを喜んでいるようだった。
「これは……、何?」
「鎖です!」
「それは見れば分かるよ。どうして僕にこんなものを?」
「主様が夜中に勝手に外へ出てしまったからです」
クレモリーは当然のことを説明するように答えた。
昨夜、僕は彼女が眠ったあとに家の外へ出た。少しだけ外の空気を吸いながら、これからのことを考えたかったからだ。僕はまだ自分の身体が思うように動かせないし、クレモリーに頼りきりの生活を続けるわけにもいかない。だからこれからのプランを考えていた。彼女の負担を減らせるように。
「ごめんね。心配させるつもりはなかったんだ」
「はい。心配しました」
クレモリーは笑顔を崩さなかった。けれど、僕の身体に巻かれた鎖を見つめる目は、いつもと違っていた。
「私が眠っている間に、またいなくなってしまうのかと思いました」
「またって……。僕はどこにも行かないよ」
「でも主様は記憶喪失ですから。また記憶を失っている間に同じことが起こるかもしれません」
彼女の言うことは客観的には正しいように思えた。
「大丈夫。もう絶対にないよ」
「念には念を、です。これなら、私が眠っていても主様がいなくなることはありません」
「いや、でも、この鎖は……」
「安心してください。痛くはありませんよね? 締めつけないように調整しました。食事もお風呂も着替えも、全部私がお手伝いします。主様は何も心配しなくていいんです」
クレモリーはお盆をベッドのそばに置いた。そこには、いつも彼女が作ってくれる朝食が並んでいる。僕の好きな料理を覚えていてくれて、食べやすい大きさに切ってくれている。ありがたいと思う。彼女が僕のために時間を使ってくれていることも、できる限り快適に過ごせるように考えてくれていることも分かっている。
それでも、鎖をつけられたままでは素直に喜べなかった。そもそも、僕はこの状況をどう受け止めればいいのだろう。
頭の中に、かつて遊んでいたゲームの情報が浮かんできた。
『共依存関係』。
奴隷として売られていた魔物の少女クレモリーを引き取り、衣食住を与えながら育てていく育成シミュレーションゲーム。プレイヤーは彼女との会話や日々の行動を通じて信頼関係を築き、選択肢を選びながら彼女の未来を決めていく。
ゲームの基本は単純だった。クレモリーを大切にし、彼女の不安を取り除き、少しずつ自立できるように育てていく。けれど、選択肢を間違えれば彼女の心は不安定になり、依存を深めていく。
原作にはいくつかのルートがあった。
彼女が主人であるアルセリオとの関係を保ちながら、自分の居場所を見つけていくルート。
アルセリオへの依存が強くなり、離れることを恐れるようになるルート。
彼女が周囲の人間を拒絶し孤独を深めるルートもあった。
その中でも、絶対に避けなければならない結末がある。
魔王化ルート。
アルセリオを失うことを極端に恐れ、アルセリオへの愛情と執着が制御できなくなる。やがて彼女は魔王となり、世界そのものを滅ぼしてしまう。ゲームのバッドエンドの中でも、特に救いのない結末だった。
もちろん、すべての選択肢が即座に結末を決めるわけではない。日々の会話や行動の積み重ねが彼女の心を変え、最後にどのルートへ進むかが決まる。でもだからこそ、何気ない返答にも気をつける必要があった。
僕はそのゲームを何度も遊んでいた。攻略情報も大体覚えているし、どの選択肢が彼女の好感度や依存度に影響するのかも知っている。
けれど、今のクレモリーはもはやゲームのキャラクターではない。
僕が知らない時間を僕の知らない僕と過ごし、僕が知らない経験を積んできた魔物の女の子だ。原作の選択肢をそのまま当てはめていいのかも分からない。
何より、ゲームではアルセリオがクレモリーの世話をしていた。彼女に食事を与え、身体を洗い、服を用意し、外の世界を教えていたはずだ。今は立場が逆になっている。
僕は彼女に世話をされ、鎖でベッドにつながれている。
「主様?」
考え込んでいた僕を、クレモリーの声が呼び戻した。
「どうしたんですか?」
「ううん。大丈夫だよ」
「本当ですか?」
「うん。クレモリーが僕を心配してくれているのは分かったよ。僕が悪かった」
彼女を安心させるように答えた。けれど、これでよかったのだろうか。
原作の選択肢なら、ここで何と答えるべきだった? 外へ出たことを謝るだけでいいのか。それとも、もう勝手に出ないと約束するべきなのか。彼女の不安を受け止めながらも、過度な依存をさせない返答を選ぶ必要がある。
間違えれば、魔王化ルートへ近づくかもしれない。
今の僕には、ゲームのように選択肢を確認する画面も、やり直す機能もない。自分の言葉が正しかったのかどうかは、クレモリーの反応を見るまで分からなかった。
「主様は、私にお世話をされるのが嫌なのですか?」
「嫌じゃないよ、もちろん」
「私は主様のお世話をするのが好きです。主様のために食事を作って、身体を洗って、着替えを用意して、そばにいる。それが私の幸せなんです」
明らかに僕への執着が強まっている。どうしよう。
「でも、君にも自分の時間が必要だろう?」
「必要ありません」
返事に迷いはなかった。
「私は主様のものですから。主様のために生きています。主様が望むことをして、主様が幸せでいてくだされば、それでいいんです」
「僕は君を所有物だなんて思っていないよ」
「分かっています。主様は優しいですから」
クレモリーは嬉しそうに笑った。
「でも、私は主様の所有物です。主様が私をどう扱っても、私は主様のそばにいます。だから、主様も私のものです」
「……え?」
「私だけの主様です。誰にも渡しません」
彼女は僕の身体に巻かれた鎖を、愛おしそうに指でなぞった。
「これも、そのためです。主様への愛情なんです」
「クレモリー。僕は君のそばにいたいと思っているよ」
「本当ですか?」
「本当だよ。だから、鎖は外してくれないかな。もう勝手に外へ出たりしないから」
彼女の表情が明るくなった。僕の言葉を信じてくれたのだろうか。
「主様は、私のそばにいてくださるんですね」
「うん。だから……」
「よかったです!」
クレモリーは胸の前で手を合わせた。心から嬉しそうな顔だった。
「これで、ずっと一緒にいられますね」
「いや、だから鎖を……」
「主様は私のもの。私は主様のもの。お互いに相手を所有してるなら、ずっと一緒にいるのが自然ですよね」
話が通じていない。
「それに、家の周りには結界を張りました。外から誰かが入ってくることも、主様が外へ出ることもできません」
「結界まで……」
「はい!」
クレモリーは誇らしげに微笑んだ。
「もう同じ失敗はしません。主様はここにいてくださるだけでいいんです。ここにいれば、私が全部してあげられます」
彼女はスプーンを手に取った。
「さあ、主様。朝ごはんにしましょう。今日も主様の好きなものをたくさん作りました」
その笑顔を見ていると、彼女が僕を苦しめようとしているわけではないことが分かる。僕を失いたくない。僕が幸せでいてほしい。クレモリーの言葉には、どれも嘘がないのだと思う。
だからこそ怖かった。
彼女は僕を大切にしてくれている。僕のためなら何でもしてくれる。けれど、その中に僕の意思を尊重するという考えはない。僕は彼女のことが大切だ。傷つけたくないし、悲しませたくもない。だから強く拒絶することもできなかった。
クレモリーは僕の口元へスプーンを運ぶ。僕が食べると、安心したように目を細めた。
「おいしいですか?」
「うん。おいしいよ」
「よかったです!」
彼女は嬉しそうに笑った。彼女を傷つけずにここから抜け出す方法が、僕にはまったく思いつかなかった。




