幕間.02
セツナたちから離れたボクは、反復のし過ぎでソラで打ち込めるようになったコマンドを入力する。
Apply the invisible status to the object named 'Jörmungandr's child, Black Iron'.
コマンドが問題なく機能すると、ボクの姿は周囲から認識されなくなる。
とぷん。
迷いなく船着き場から水中へと歩を進める。酸素ゲージの消費とともに、窒息によるダメージが発生するが、微々たるものなので無視する。割合ダメージなら考えなければならないけど、固定ダメージなら問題は無い。
(……あれが、ここのエリア守護)
視線の先には巨大な軟体生物が、先ほどまで船だったであろう破片を弄んでいる。水の流れの差異で不可視のままのこちらを認識されたが、敵意はないらしい。
(これは今のセツナたちには、やや荷が重い。と言うよりは、順番的にこちらが正規ルートではない可能性があるね)
まともな水上戦は不可能。これの相手をするなら船ではなく陸で相手をすべき。
視線を交わしつつ思案していると、頭上から影が落ちる。大河船が通るらしい。
しかし守護者はそれを意に介さない。入る者は拒まず、なのか、それとも何か別の理由があるのかは現状では分からない。
(この辺りが攻略の鍵か。2回全滅したら開示してあげよう)
年長者ぶるためにも情報は集めておいて損はない。初めて会った時と比べて、明らかにボクの扱いは雑になってきている。威厳を取り戻すべきだ。
そんなことを考えつつ、水底へと歩を進める。守護者の確認も目的の1つではあるが、本題はこの下にある。
深く、深く。光も差さない底へと辿り着いたボクは、左手でコマンドを入力。
ボクを中心とした周囲500メートル以内のオブジェクトの不可視状態の解除。
闇の中でも爛々と輝く双眸。世界創生のその時から生き続ける竜の1匹。
『水神』ドラコニスの本体がボクを見据えていた。
「200年ぶりかな。ドラコニス」
「……目覚めたのですね、貴女も」
「うん。冒険者たちは帰還したよ。キミたちもそろそろ仕事じゃない?」
「そういう貴女は、些か早過ぎるのではありませんか?」
「自覚はある。多少早起きしてでも、観測したい冒険者が見つかったからね」
「入れ込むのは貴女たちの悪い癖です。そうやって姉妹は討たれたのでしょうに」
「ああ。もうお母様の子はボクだけだからね。だからこそ、次を繋ぎたいと思うのは間違っていることかな?」
「……随分な入れ込みようですね。相手がどんな冒険者なのか興味が湧きました」
「縊り殺すぞ、化石の成り損ないが」
ボクの一言にドラコニスの巨体がぞわりと震える。
レベルで言えばボクの方が下ではあるが、神どもに左手の力はない。その差はレベルの開きを埋めてなお余りある。
「冗談さ。200年も待っていると人恋しくてね。つい本音が」
「その牙が我々に向かないことを祈るだけです。蟲の動向は?」
「現状は沈黙。やっぱりグランドクエストの3割は超えないとダメみたい」
「残光を持つ10人が揃ったことで、4割への条件の再現は出来ています。そこまでの簡略化のために、エリア守護などという首級を置くことにはなりましたが、それは必ず蟲を刺激することですからね。期待していますよ」
「それがボクの生まれた意味だからね。仕事はこなすとも。ただ、役得も欲しいというだけさ」
「私は一度アマルティアの元へ戻ります。貴女はくれぐれも、過剰な介入は行わないように」
「分かっている。まだ見つかるわけにはいかないからね」
音もなくドラコニスの姿が掻き消える。宣言通り、神界へ帰還したらしい。
話し込んだせいか、それなりにHPバーが削れてきている。
一度戻ってまたあの魚介の串でも食べよう。あれは実に美味しかった。200年ぶりの食事にちゃんと味があることに感謝しなければ。
(ああ、セツナ。優しく、弱く、脆き命よ。ボクの200年の孤独を、誰かで埋めるとしたら、それはキミがいい)
思い出すのは200年前。
キミがあの高慢ちきのゼルギオスに一泡吹かせたあの夜に、ボクはその中継を見ていた。1人の少年が神に至ったその瞬間を見ていた。
(キミは知らないだろう。200年前からボクがキミを見ていたことを)
目が覚めてキミの顔を見た時、これは運命なんだと思った。作られた命に降って湧いたような幸運。よく平静を保てたものだと今考えれば思う。思わずいちゃもんをつけて血を貰ってしまったが、そこはまあご愛嬌だろう。
(これは規定されたプログラムなどではない。ボクの内から溢れ出した心だ)
キミの笑顔が好きだ。庇護欲を掻き立てられる。
キミの困り顔が好きだ。嗜虐欲が首をもたげる。
キミの全てが、ただ愛おしい。
「キミを守るために世界を守るなんて言ったら、キミは笑ってくれるのかな」
誰に届くこともない言葉を、水底から愛を込めて。
蟲を殺すために作られ、心によって狂った竜の最後の生き残り。
ヨルムンガンドの子、黒鉄の竜は恋をしていた。




