千夏ルート 二十三
―千夏side―
数メートル先に立っていた白栞が、崩れるように地面にへたり込んだ。茫然自失といった面持ちで、目の焦点も合っていない。
口元がわずかに動いていることから何かをつぶやいている様子ではあるが、歓声で聞き取れなかった。
勝者がいれば、敗者がいる。それは当たり前のことだ。
それでも、幼馴染があれだけ弱っている姿は見ていられない。
数歩、歩みを進める。目の前にいる幼馴染は、ほんの僅かに視線を上げた。
声をかけるべきだろう。
しかし、勝者が敗者にかける言葉などない。何かの作品で読んだ、そんなセリフがアタシの脳裏に浮かぶ。
その通りだ、とアタシも思った。
かける言葉は、見つからなかった。
「……なんのつもり?」
だから、アタシは無言で手を差し出した。
「情けでもかけてるの?それとも、良い人アピール?バカにしないでよ!」
差し出した右手に、僅かな痛みが走った。
勢いよく払われた手は、行き場を無くして宙ぶらりんだ。
こいつの全ては、結翔のためにあった。
アビカが強いのも、おしゃれで可愛いのも。全ては結翔のために磨かれたものだ。
人生の全てをかけてでも手に入れたいという気持ちは、間違いなく本物だった。
それでも。
「アタシは結翔が好きだ。お前には渡せない」
それでも。アタシは結翔を譲るつもりは無い。
「……死体蹴り?いい趣味だね」
「そんなんじゃねえ。ちゃんと聞けよ」
結翔は好きだ。小さいころからずっと一緒にいる、臆病なのに強くて優しい男の子。
幼心に抱いた気持ちは順調に大きくなり、いつしか恋心にまで育っていた。
でも。
「アタシは、結翔が好きだ。でも幼馴染として、お前のことだって好きなんだ。三人で過ごした十年は、アタシの宝物なんだ」
でも、こいつのことだって好きなんだ。小さいころからずっと一緒にいる、まっすぐで美しい女の子。
抱く気持ちが違くても、好きってことに変わりはない。
「だから、これからも仲良くしてくれよ。お前がいなくっちゃ、寂しいから」
払われた右手を、もう一度差し出した。
「……これで断ったら、私すっかり悪者じゃん」
「そうだな。これがバレたら、ネットも大炎上だ。そうなりたくなきゃ、これからもアタシと友達でいることを勧めるぜ」
「結翔も私も、どっちも欲しい……か。千夏って、こんなに欲張りだったっけ?もっと遠慮がちで奥手な子だと思ってたんだけどな」
「我慢すんのは止めたんだよ。魅力的な女になったか?」
「うーん……。そうだなぁ」
白栞は人差し指を顎に当てて、一瞬考える仕草をすると、やがて差し出した手をそっと掴んだ。
「及第点、かな」
憑き物の落ちたような、とはこういうことなんだろう。
悔しいが、目の前の幼馴染は本当に美少女だと改めて実感した。
♢♢♢
表彰式と閉会式を終えると、記者に取り囲まれて身動きが取れなくなってしまった。
その場でのインタビューはもちろん、後日の取材の約束を取り付けられたり、何十枚も写真を撮られたり。
会場から出られたころにはすっかり日も沈み、選手も観客も残ってなかった。
優勝の余韻に浸る間もなく、すっかり疲れ切ったアタシは、会場から少し歩いたところにある海に向かった。
昔、結翔と白栞と三人でここに来たことがある。
誰が先にかき氷を食べ終わるか勝負して頭が痛くなったり、水泳対決で勝った負けたを何回も繰り返してぶっ倒れたり。
この海だけじゃない。三人で過ごした場所は、馬鹿みたいな思い出ばっかりだ。
その思い出を、大切な友達を。
失わずに済んで、本当に良かった。
ふと、後ろから砂浜を歩く音が聞こえてきた。まっすぐこちらへ向かっている辺り、おおよその察しは付く。
「海辺で黄昏れるチャンピオンってのは新鮮だな」
聞こえてきたのは、ここ数年で低くなり、男の子ではなく男性と呼ぶに相応しくなった結翔の声。
そのままアタシの横に立つと、同じように海を眺め始めた。
「うるせー、疲れてんだよ。少しくらい休まないと家まで帰れねー」
「そりゃそっか。……よく頑張ったよ、本当に」
結翔に素直に賞賛されると、なんだかこそばゆかった。
だが、悪い気はしない。
「結翔のおかげだよ。試合に勝てたのも、白栞と向き合えたのも」
だから、アタシもたまには素直になってみるとしよう。
「アタシだけじゃ、絶対に優勝なんてできなかった。白栞とも、きっと疎遠になってたと思う。大切なモン、全部失くしてたかもしれねぇ」
今があるのは。この先が明るいと信じられるのは。
全部、お前のおかげだ。
「だから、ありがとな」
「……お、おう。素直に受け取っておいてやらぁ」
暗い海辺には、僅かな街灯の灯りのみが差していた。
ロマンチックな雰囲気と言えなくもないだろう。
攻め時は今なんじゃないか?ふと、そんな考えが頭をよぎった。
白栞に勝って優勝して、海辺で二人きりだ。おまけに、夜の海辺で二人きり。
「あの……さ。その、お前に……言いたいことがあるんだ」
ここで言わなきゃいつ言うんだ。その一心で言葉を絞り出したが、そこから先が続かない。
もしダメだったら?そんなネガティブな想像がよぎる。
そもそも、アタシと白栞のどちらもただの幼馴染としか見られてない可能性だってある。白栞に勝ったからといっても、それで結翔と結ばれるわけじゃない。あくまで結翔への挑戦権を得たというだけだ。
「や、やっぱ何でもねえ!」
最悪のケースを想定したら、結局、切り出すことはできなかった。
「何だよ、ターン終了か?」
「うるせえ」
悔しいが、今のアタシには打つ手がない。
まあ、十年も我慢したんだ。あと数年くらい、別にどうってことは無い。
そう思ったのだが。
「んじゃ、俺のターンだな」
「あん?」
―結翔side―
「俺も、千夏に言いたいことがあるんだよ」
怪訝そうな表情を浮かべる幼馴染の目をしっかりと見つめる。
こんなシチュエーションだというのに、これから何を言われるか、まるで想像もつかないといった様子だった。
お前がやろうとしてたことをこれからやるんだよ、とは言えまい。
あそこまで言ってなんで尻込みしたのか分からないが、おかげでこうしてターンが回ってきた。
度胸があるのか無いのかよく分からないが今は感謝だ。
おかげで、俺から伝えられるんだから。
「千夏。俺は、お前が好きだ」
「……ふぇ?」
なんとも間の抜けた声が返ってきた。
決勝の舞台であれだけ堂々と啖呵を切ったくせに、いざ自分が言われる側になるとこれだ。
本当に、度胸があるんだかないんだか分からない。
でも、そんなところも含めて。
「千夏の、わき目も振らずに努力するところが好きだ。誰かに見せびらかすわけでもなく、当たり前みたいな顔で前に進み続けるところが好きだ」
「そして、その先にある笑顔が好きだ」
「これからも、お前の強さと笑顔を、一番近くで見たい。お前の隣で見ていきたい」
幼馴染としてじゃない。
親友としてでもない。
「だから、千夏」
一度息を吸って、真っ直ぐに告げる。
「俺の恋人に、なってくれないか」
言いたいことは言い切った。
照れているのか、声も小さく、俯いて目が合わない。
「……び、びっくりした」
そう言った千夏の声は、僅かに震えていた。
しばらく沈黙が訪れる。波の音が、さっきより大きく聞こえる気がした。
やがて、千夏も意を決したような表情になり、俺と向き合った。
「アタシも、結翔が好きだ。ずっと昔から、大好きだよ」
その言葉を聞いた瞬間、気付けば千夏を抱きしめていた。
「ゆ、結翔……?」
腕の中で、千夏の体がびくりと跳ねる。
やってから、自分でも驚いた。
こんな大胆なことをするつもりなんてなかった。けれど、体が勝手に動いていた。
今、離したくないと思った。
「悪い。嫌だったら――」
「嫌じゃ……ねえよ」
小さな声だった。
次の瞬間、千夏の手が遠慮がちに俺の背中へ回る。
いつもの強気な千夏からは考えられないくらい、恐る恐るだった。
「嫌なわけ、ねえだろ」
そう言って、千夏は俺の胸元に額を押しつけた。
顔を見られたくないのだろう。耳まで真っ赤になっているのは、薄暗い中でも十分に分かるほどだった。
千夏を抱きしめる腕に力を込める。
手の中に感じたぬくもりに、俺たちは今、幼馴染から一歩先へ進んだのだと実感した。
どれくらいの時間、そうしていただろう。
少しだけ冷静になったところで、腕の中の千夏がもぞもぞと身じろぎした。
「……なあ、結翔」
「ん?」
「お前、本当に……アタシでいいのか?」
そんな、今さらすぎる言葉が返ってきた。
決勝の舞台であれだけ堂々と啖呵を切ったくせに、恋人になった途端これである。
「言っとくけど、千夏の気持ちを先に聞いたから流されたわけじゃないからな。気付いたのは、東京地区が終わった後だったけど」
勢いで言ったわけじゃない。
それだけは、ちゃんと伝えておきたかった。
「ああ、分かってるよ。でもアタシはもっと前……か、ら……?」
突然、千夏の体が強張った。
「ちょっと待て、お前いつアタシの気持ちなんて知った!?誰にも言ってねえぞ!」
「え、だって決勝戦の中で白栞に啖呵切ってたじゃないか」
AWGでは、選手同士のやり取りも聞こえるように、ヘッドセットで音声が拾われている。
もちろん、それは対戦相手だけじゃない。
会場にも、ばっちり流れている。
――お前との決着も、日本一の称号も!
――そして結翔も!全部、アタシがもらう!
なので、当然、会場にいた俺にもすべて伝わっているのだが。
「……ああああああ!!!!!」
どうやら、気付いていなかったらしい。
「オイ、AWGって全国放送だよな……?」
「そうだな」
「じゃああれ全部……?」
「そうだな」
本当に気付いてなかったのか。
まあ、極限まで集中すると周りなんて見えなくなるのがこいつだ。らしいと言えばらしいのだが。
その後、羞恥に耐えかねた千夏の悲鳴が海辺一帯に響き渡った。
翌日はしばらく左耳がキーンとしていたが、大切な人ができた代償と考えれば安いものだろう。
次のエピローグで完結です。




