第4話 森が覚えていたもの
「……結局、あの外殻は何だったんだろうね」
精霊院からの帰り道、エトは空を見上げながら呟いた。
頭上には、雲ひとつない青空が広がっている。
先日の任務で回収した、狼型魔物の黒い外殻。精霊院で調査が進められているものの、今のところ、はっきりとした答えは出ていなかった。
既知の魔物と比べても、外殻の構造は明らかに異なっている。
しかし、それが何を意味するのかまでは分からない。
「まだ調査の途中だからね。すぐに答えが出るとは限らないよ」
隣を歩くセイルが答えた。
「分かってるけどさ。見たことのないものが出てきたら、気になるでしょ?」
「それはそうだね」
「でしょ?」
エトは満足そうに頷いた。
その少し前を歩いていたネリシアが、くるりと振り返る。
「エトって、気になることがあるとずっと考えてるよねえ」
「そうかな?」
「そうだよ。さっきも先生の話を聞きながら、ずっと外殻のこと考えてたでしょ?」
「……見てたの?」
「そりゃあ、隣にいたもん」
ネリシアは楽しそうに笑った。
「でも、そういうところはエトらしいと思うよ」
「えへへ。ありがとう」
「褒めたつもりだけど、そこまで嬉しそうにされると、ちょっと恥ずかしいなあ」
「ネリシアが褒めてくれたんだから、嬉しいよ」
「もう、エトったら!」
二人のやり取りを聞きながら、セイルは小さく息をついた。
「……帰ったら、セレスティアに今日の話をしようか。何か知っていることがあるかもしれない」
「うん!」
エトは元気よく返事をした。
今はまだ、分からないことばかりだ。
けれど、分からないなら調べればいい。
七人で任務をこなし、学院で知識を学び、少しずつ答えを見つけていく。
それが、彼らのいつものやり方だった。
*
翌朝。
七人が暮らす屋敷の食堂には、焼きたてのパンと温かなスープの香りが漂っていた。
「それで、今日はどこに行くんだ?」
ラグナがスープを口に運びながら尋ねた。
「学院から新しい調査依頼が来ている」
ゼファルが答える。
「近隣の村から、森に出没する魔物について報告があったそうだ」
「また狼型?」
エトが顔を上げる。
「現時点では分からん。目撃された姿は狼型に似ているらしいが、外殻についての情報はない」
「なるほどねえ」
ネリシアがパンをちぎりながら頷いた。
「それで、今回は何を調べるの?」
「目撃情報の確認、魔物の痕跡の採取、それから周辺環境の調査だ。必要があれば討伐も行う」
ゼファルは簡潔に説明した。
「村人への被害は?」
セイルが尋ねる。
「今のところ、人的被害の報告はない。ただし、畑の作物や家畜が荒らされているらしい」
「それは困るね……」
セレスティアの表情が少し曇った。
「村の人たちも不安だろうし、早めに原因を調べてあげたいね」
「だな! 魔物がいるなら、さっさと倒しちまえばいい!」
ラグナが拳を握る。
「討伐が必要かどうかは、現地で判断する。むやみに突っ込むなよ」
「分かってるって!」
「先日の訓練でも同じことを言ったはずだが」
「……気をつけます」
ゼファルの視線を受け、ラグナは少しだけ背筋を伸ばした。
ネリシアが隣でくすくすと笑う。
「ラグナ、今日はゼファルに怒られないように頑張ってね」
「お前なあ……!」
「はいはい、朝ご飯の途中で騒がないの」
セレスティアが二人をたしなめる。
食卓に、いつもの賑やかさが戻った。
その中で、レイヴェルは手元の資料に目を落としていた。
「今回の調査では、魔創石の有無も確認した方がいいと思う」
静かな声に、全員の視線が集まった。
「魔創石?」
エトが首を傾げる。
「うん。授業で習っただろう。負の感情が大地に根付き、結晶化した物体だ。そこから魔物が生まれることもある」
「そういえば、そんな話があったね」
ネリシアが思い出したように言った。
「ただし、魔創石が確認されていない場所にも魔物はいる。魔物の発生源が必ず魔創石だと考えるのは危険だよ」
レイヴェルの言葉に、ゼファルが頷いた。
「その通りだ。今回は魔物の出現状況と周囲の環境を記録する。魔創石が見つかった場合も、発見したという事実と、魔物との関係は分けて報告しろ」
「了解!」
エトは元気よく返事をした。
魔創石。
名前は知っている。
けれど、実物を見たことはなかった。
負の感情が大地に根付き、結晶になる。その結晶から魔物が生まれることがある。
授業で学んだ知識が、目の前の調査とつながるかもしれない。
エトは少しだけ胸を弾ませた。
「よし、準備して行こう!」
*
村に到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。
森の入口に近い小さな村で、周囲には畑や牧草地が広がっている。
彼らが訪れると、村の代表を務める年配の男性が出迎えた。
「学院から来てくださった方々ですな。わざわざありがとうございます」
「いえ。魔物について、詳しいお話を聞かせていただけますか?」
セレスティアが丁寧に尋ねた。
男性は頷き、村の状況を説明し始めた。
数日前から、森に近い畑で作物が荒らされるようになったという。
夜になると、家畜小屋の周辺で物音がする。朝になると柵が壊され、飼っていた家畜がいなくなっていることもあった。
そして、村人の一人が森の中で狼に似た魔物を目撃した。
「今のところ、人が襲われたという話はありません。ただ、いつこちらに被害が及ぶかと思うと……」
男性は不安そうに森を見つめた。
「それは心配ですね」
セレスティアは静かに答えた。
「できる限り早く原因を調べます。何か気になることがあれば、どんな些細なことでも教えてください」
「ありがとうございます」
話を聞き終えた一行は、村の周囲を確認することにした。
畑には、踏み荒らされた作物が残っていた。
土には動物の足跡がいくつも刻まれている。柵の一部は壊れ、木材には鋭い爪で引っかいたような傷があった。
「確かに、魔物の仕業である可能性は高そうだね」
セイルが足跡を調べながら言った。
「でも、これだけでは種類までは断定できない」
「足跡の大きさは狼型に近いね」
エトはしゃがみ込み、地面を観察した。
「ただ、複数の個体がいるのか、一匹が何度もここを通ったのかは分からないか」
「その通りだ。決めつけるなよ」
ゼファルが言った。
「まずは痕跡を記録する。それから森へ入る」
一行は周囲の状況を記録し、森の入口へ向かった。
木々が生い茂り、陽の光が葉の隙間から差し込んでいる。
森の中は静かだった。
鳥の声も、風が枝を揺らす音も聞こえる。
一見すると、何の変哲もない森に思えた。
しかし、しばらく進んだところで、エトが足を止めた。
「……ねえ、みんな」
彼女の視線の先には、地面に残された黒い毛があった。
その近くの木には、爪で引っかいたような傷がある。
「新しい痕跡だね」
セイルが周囲を確認する。
「まだ近くにいるかもしれない。警戒して進もう」
全員が頷き、隊列を整えた。
そのときだった。
木々の向こうで、何かが動いた。
「いた!」
ラグナが声を上げる。
茂みの隙間から姿を現したのは、一匹の狼型魔物だった。
灰色の毛並み。鋭い牙。そして、背中から肩にかけて広がる黒い外殻。
エトの目が大きく見開かれた。
「……あの外殻!」
以前、任務で遭遇した個体とよく似ていた。
魔物はこちらを見据え、低く唸った。
「全員、警戒!」
ゼファルの声が森に響く。
ラグナが前へ出ようとした瞬間、魔物は地面を蹴った。
しかし、こちらへ飛びかかってくることはなかった。
魔物は一行の周囲を見回すように視線を動かし、鼻先を地面に近づけると、突然身を翻した。
「逃がすか!」
ラグナが追おうとする。
「待て!」
ゼファルが制止した。
「単独で追うな。セイル、足跡を追えるか?」
「やってみる」
セイルは魔物が消えた方向へ向かい、地面を調べ始めた。
エトも周囲を確認する。
「ねえ、あの魔物……私たちを見ていたのに、襲ってこなかったね」
「警戒して逃げただけかもしれない。今の行動だけで、何か特別な意味があるとは言えないよ」
レイヴェルが答えた。
「うん。そうだね」
エトは頷いた。
目撃した行動は、確かに気になった。
けれど、理由は分からない。
分からないことを、分かったつもりで決めつけるわけにはいかなかった。
やがて、セイルが戻ってきた。
「足跡は追えたけど、途中で岩場に入って途切れてしまった。周囲にも、はっきりした痕跡はない」
「そうか……」
ゼファルは森の奥を見つめた。
「今日はこれ以上、深入りする必要はない。まずは見つけた痕跡を持ち帰り、報告する」
「分かった」
一行は黒い毛や爪痕の状態を記録し、周辺の土壌や植生も確認した。
しかし、魔創石らしきものは見つからなかった。
魔物がどこから現れたのか。
なぜ村の畑や家畜を襲っているのか。
そして、あの黒い外殻は何なのか。
どれも、まだ答えの出ない問いだった。
*
学院に戻った一行は、採取した資料を提出した。
報告を受けた研究員は、黒い毛や外殻の痕跡を慎重に確認した。
「以前の個体と同じ特徴が見られますね。ただし、これだけでは同一の種類と断定できません」
「魔創石は見つかりませんでした」
レイヴェルが報告する。
「周辺の地形や土壌も確認しましたが、魔物の発生源につながるような証拠はありませんでした」
「分かりました。引き続き、記録を集めましょう。今回のような事例が増えるなら、比較できる資料が必要になります」
研究員は記録をまとめ、書類に新たな項目を書き加えた。
魔物の種類。
確認された特徴。
出現した場所。
周囲の環境。
魔創石の有無。
それぞれの項目は、今後の調査で比較するためのものだった。
エトは記録を眺めながら、小さく息をついた。
「……まだ、何も分からないね」
「何も分からないわけではない」
隣にいたゼファルが言った。
「黒い外殻を持つ個体が複数の場所で確認されている。これは事実だ。魔創石は発見されていない。これも事実だ。分かったことと、分からないことを分けて積み重ねる。それが調査というものだ」
「うん……そうだね」
エトは記録に目を落とした。
すぐに答えが見つからなくても、調べたことが無駄になるわけではない。
今日見たものも、聞いたことも、きっと次につながる。
「次に同じような魔物が見つかったら、もっと詳しく調べよう」
エトが言うと、レイヴェルが頷いた。
「そうだね。記録が増えれば、今は見えない共通点が見つかるかもしれない」
「よし。じゃあ、今日はここまでだな」
ゼファルが資料をまとめた。
「各自、採取したものと記録を整理しておけ。次の任務でも同じ項目を確認する」
「了解!」
ラグナが答え、ネリシアは伸びをした。
「ふう。頭を使ったらお腹が空いちゃった」
「それはいつものことだろう」
セイルが言う。
「ひどいなあ。セイルだってお腹は空くでしょ?」
「否定はしないよ」
「じゃあ、帰ったら何か食べよう!」
ネリシアはエトの手を取った。
「エト、今日のお菓子、まだ残ってる?」
「うん! 帰ったら一緒に食べようね」
「やった!」
二人が歩き出すと、ラグナもすぐに後を追った。
「おい、俺の分も残しておけよ!」
「どうしようかなあ?」
「お前なあ!」
三人の声が遠ざかっていく。
その後ろを、セイルとレイヴェルが並んで歩き、ゼファルは最後に研究室の扉を閉めた。
今日の調査で、魔物の異変の正体は分からなかった。
それでも、彼らには次に調べるべきことがある。
そして帰れば、温かな食卓が待っている。
七人はいつものように、屋敷へと帰っていった。




