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第三話 


 翌朝。

 エトは、いつもより少し早く目を覚ました。

 窓の外はよく晴れている。庭の木々には朝露が残り、風が吹くたびに葉先がきらきらと光っていた。

 今日は精霊院での授業がある。

 エトは寝台から降りると、身支度を整え、腰に短剣を装着した。

 鏡の前で黒い翼のような角が生えている銀白色の髪を軽く整える。金色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。


「……よし」


 準備を終えて部屋を出ると、廊下の向こうから声が聞こえてきた。


「だから、昨日のは不可抗力だって!」


「不可抗力で二回もつまみ食いをするの?」


「二回じゃねえよ!」


「三回だったかしら?」


「増えてるじゃねえか!」


 ラグナとセレスティアだった。

 エトは廊下の壁からそっと顔を出した。


「……何してるの?」


「エト! 聞いてくれよ!」


 ラグナが勢いよく振り返った。


「昨日の夕食の残りを、ちょっと味見しただけなのに、セレスティアが――」


「ちょっと、ではなかったでしょう?」


「味見だろ、味見!」


「お鍋の中身が減るほどの味見は、普通しないのよ」

「うっ……」


 エトは二人を交互に見た。


「ラグナ、今日の朝ご飯は?」


「……食べた」


「じゃあ、いいんじゃない?」


「エト!」


 セレスティアが思わず声を上げた。

 エトはきょとんとした。


「だって、お腹が空いてたんでしょ?」


「そういう問題ではないのよ……」


 セレスティアは額に手を当てた。

 ラグナはここぞとばかりに笑った。


「ほらな! エトは分かってくれるんだよ!」


「あなたは少し黙っていなさい」


「はい」


 エトはその様子を見て、くすりと笑った。

 今日も、いつもどおりの朝だった。

     *

 精霊院は、四霊盟の管轄下にある教育・訓練機関だ。

 人族、竜族、鳥族、獣族。それぞれ異なる種族の者たちが集まり、学問や魔力の扱い、戦闘技術、魔物への対処法などを学んでいる。

 七つ星も例外ではない。

 もっとも、ゼファルとセレスティアは必要な課程をすでに修了しているため、定期的な授業には参加していなかった。

 今日、二人は先日の任務報告に関する手続きを済ませるため、七人とともに精霊院まで来ていた。

 正門をくぐると、広い中庭の向こうに校舎が見えた。

 訓練場からは、木剣のぶつかる音や、魔法の発動する音が聞こえてくる。


「相変わらず賑やかだね」


 エトが辺りを見回した。


「今日は実技の授業が多いみたいだね」


 セイルが答えた。


「エトたちは午前中が基礎戦闘、午後が魔物の生態学だったかな」


「そうそう。魔物の生態学、ちょっと楽しみなんだよね」


「昨日の任務で気になることがあったから?」

 レイヴェルが尋ねた。


「うん。あの黒い殻のこと、何か分かるかもしれないし」


「記録との照合には時間がかかるだろう。今日の授業で答えが出るとは限らない」

 ゼファルが言った。


「分かってるよ。ちょっと期待してるだけ」

 エトは笑った。


 ゼファルはそれ以上何も言わず、書類を提出するために別の建物へ向かった。セレスティアも彼と一緒に行くことになっている。


「昼には戻れると思うわ。授業が終わったら、いつもの場所で待ち合わせましょう」


「うん!」


 エトは手を振って二人を見送った。

 残る五人は、訓練場へ向かった。

     *

 午前の授業は、実戦を想定した連携訓練だった。

 訓練場の中央には、複数の標的と障害物が配置されている。今回の課題は、限られた時間内に標的を無力化しながら、味方の防御と周囲の安全を確保すること。

 担当教官が課題を説明すると、受講生たちはそれぞれ準備を始めた。


「七つ星も参加するのか」


 近くにいた受講生が、少し緊張した様子で呟いた。


「そりゃそうだろ。あいつらだって精霊院の生徒なんだから」


「でも、任務じゃ、俺たちとは全然違う場所に行ってるんだろ?」


「だからこそ、実力を見てみたいんだよ」


 そんな声が聞こえてくる。


 ラグナは得意げに胸を張った。

「お、注目されてるじゃねえか!」


「喜ぶところなの?」


 ネリシアが笑う。


「当然だろ。実力を見せるいい機会じゃねえか!」


「じゃあ、まずは教官の説明を最後まで聞こうね」


「……分かってるって」


 訓練が始まった。

 最初の課題は、標的を倒すことそのものではなかった。

 複数の標的が異なる方向から接近してくる状況を想定し、味方の位置を確認しながら、優先順位を決めて対処する。

 セイルは開始と同時に周囲を見渡した。


「右の標的は足が速い。先に進路を制限するよ」


 風が地面を走り、標的の足元をかすめる。動きを妨げられた標的が速度を落とした。


「左は私が引き受けるね!」


 ネリシアが風を操り、別の標的を障害物の間へ誘導する。

 二人の動きはよく似ているようで、役割は異なっていた。

 セイルは状況を整理し、無駄なく敵の動きを制御する。ネリシアは相手の反応を見ながら、柔軟に進路を変えさせる。

 同じ風属性でも、戦い方は同じではない。


「中央は俺が行く!」


 ラグナが炎をまとった拳を振るった。

 標的の一つが大きく揺れ、後方へ吹き飛ぶ。


「よし!」


「ラグナ、奥の標的が残ってる!」


「分かってる!」


 ラグナはすぐさま方向を変え、次の標的へ踏み込んだ。

 力任せに見える一撃だが、彼は標的の動きをよく見ていた。真正面から受け止めるのではなく、相手が動き出す瞬間に合わせて攻撃する。

 大きな力を、必要な場所へ叩き込む。

 それがラグナの強さだった。

 一方、レイヴェルは後方から戦場全体を見ていた。

 光の魔法を放つたびに、標的の動きが止まる。だが、彼は必要以上に魔力を消費しない。

 味方が攻撃できる瞬間だけを狙い、最小限の魔法で最大限の効果を引き出していた。


「エト!」


「うん!」


 エトが一気に距離を詰めた。

 雷の魔力を足元に集中させ、障害物を飛び越える。短剣が標的の急所を捉え、動きが止まった。

 そのまま次の標的へ向かおうとしたところで、エトの足が止まった。

 最後の標的が、レイヴェルの死角から迫っていた。


「後ろ!」


 エトが声を上げる。

 レイヴェルは振り返らず、光を放った。

 標的の動きが止まる。

 そこへネリシアの風が吹き込み、ラグナが一撃を叩き込んだ。

 訓練終了の合図が鳴った。


「終了! 全員、動きを止めろ!」


 教官の声が響いた。

 五人はそれぞれ息を整えた。


「……終わったあ」


 エトが短剣を収める。


「エト、最後の標的に気づくのが少し遅かったね」

 セイルが言った。


「うん。レイヴェルの位置を気にしすぎて、反対側の確認が遅れちゃった」


「でも、声を出して知らせたのはよかったと思う」

 レイヴェルが答えた。


「次はもっと早く気づけるようにするよ」

 エトは素直に頷いた。


 ラグナは額の汗を拭いながら、満足そうに笑った。

「ま、こんなもんだな!」


「ラグナは最初の一撃で標的を吹き飛ばしすぎだよ」

 セイルが指摘した。


「倒せたんだからいいだろ?」


「後ろに味方がいたら、危なかったかもしれない」


「……それは」


 ラグナは言葉を詰まらせた。

 少し考えたあと、頭を掻く。


「分かった。次は気をつける」


 ネリシアが目を丸くした。


「おや、素直」


「うるせえな!」


「褒めてるんだよ?」


「絶対うそだろ!」


 周囲から笑い声が上がった。


     *


訓練のあと、教官が五人を呼び止めた。


「今の連携は悪くなかった。特に、互いの位置を把握しながら攻撃の機会を作っていた点は評価できる」


 教官は訓練場を見渡した。


「ただし、実戦では標的の動きも、地形も、味方の負傷も予測どおりにはいかない。訓練で成功した手順が、そのまま通用するとは限らないことを忘れるな」


 エトは、昨日の戦闘を思い返した。

 あの黒い殻に覆われた魔物たちは、攻撃を受けると動き方を変えていた。最初に考えていた戦術だけでは、すべてを倒しきれなかった。

 ゼファルの指示がなければ、もっと時間がかかっていたかもしれない。


「……そうだね」


 エトは小さく呟いた。


「どうしたの?」


 ネリシアが尋ねる。


「昨日の魔物のことを考えてたんだ。最初は普通に攻撃すれば倒せると思ったけど、そうじゃなかったから」


「相手が変われば、こっちの戦い方も変えないといけないってことだね」


「うん。ボクたちだって、まだまだ勉強することがあるんだなって」


 エトは少し照れくさそうに笑った。


「それはそうだよ」


 セイルが言った。


「どれだけ経験を積んでも、初めて遭遇する状況はある。大切なのは、分からないことを分からないままにしないことだと思う」


「セイルって、たまに先生みたいなこと言うよね」


 ネリシアがからかう。


「君が普段、先生の話を聞いていないからそう感じるんじゃないかな」


「ひどい!」


「事実だよ」


「セイル!」


 エトは二人のやり取りを見て笑った。

 そのとき、教官が再び声をかけた。


「午後の授業に遅れないようにしろ。魔物の生態学は、昨日のような任務にも直結する知識だからな」


「はい!」


 五人は声を揃えた。

     *

 午後の授業では、魔物の生態と発生に関する基礎知識を学んだ。

 教室の前方には、過去に確認された魔物の記録が並んでいる。外見、行動、生息環境、討伐時の注意点。個体ごとに特徴が記され、観察結果が蓄積されていた。

 担当教官は、記録の一つを示した。


「魔物は、通常の生物と同じ意味で繁殖するとは限らない。アリセルエでは、生きとし生けるものが抱く悲しみや憎しみなどの負の感情が大地に根付き、結晶化した物体 "魔創石" から魔物が生まれることがある。また、魔神が直接生み出した魔物も確認されている」


 教室の中が静かになった。


「魔物の発生には、まだ分かっていないことも多い。だからこそ、現場での観察と記録が重要になる。見た目だけで種類を判断せず、既存の記録と照合すること。既知の特徴と異なる点があれば、必ず報告すること」


 エトはノートに要点を書き留めた。

 昨日の魔物の黒い外殻。

 あれは、どのようにして生じたのだろう。

 魔物が生まれるときに、最初からあのような形だったのか。それとも、生まれたあとに何らかの変化が起きたのか。

 今の知識だけでは判断できない。

 エトはノートの端に、小さく書き込んだ。

 ――狼型魔物。黒色の硬質外殻。既知の個体との差異。


「エト」


 隣の席から、レイヴェルが小声で呼んだ。


「その特徴、昨日の報告書にも書いてある?」


「うん。ゼファルが詳しく記録してくれたよ」


「なら、今回の授業で習った観察項目と照らし合わせて、追加で整理しておくといいかもしれない」


「そうだね。ありがとう」


 レイヴェルは頷き、再び教壇へ視線を戻した。

 授業はそのまま進んだ。

 魔物の種類による行動の違い。生息環境と出現傾向。討伐後に残される痕跡の調べ方。

 どれも、派手な戦闘とは縁遠い内容に見える。

 けれど、こうした知識がなければ、次に同じ魔物と遭遇したとき、何を警戒すべきかさえ分からない。

 エトは最後まで集中して講義を聞いた。

     *

 授業が終わる頃には、窓の外が夕日に染まっていた。

 校舎を出ると、待ち合わせ場所にはゼファルとセレスティアがいた。


「お待たせ!」


 エトが駆け寄る。


「授業はどうだった?」


 セレスティアが尋ねた。


「うん。昨日の魔物について、もう少し調べたいことが増えたよ」


「そうか。報告書の確認は終わったが、類似した外殻を持つ個体については、まだ確かな記録が見つかっていない」

 ゼファルが答えた。


「過去の記録にもなかったの?」


「少なくとも、すぐに照合できる範囲ではな」


「そっか……」


 エトは少し考えた。


「でも、記録がないなら、これから調べていけばいいよね」


「そのとおりだ」

 ゼファルは頷いた。


「一度の任務で全てが分かるとは限らない。観察し、記録し、比較する。地道だが、それが調査の基本だ」


「うん!」


 エトは元気よく返事をした。


 セレスティアは、そんなエトを見て微笑んだ。

「みんな、今日は疲れたでしょう。帰ったら夕食にしましょうね」


「やった!」

 ラグナが声を上げた。


「今日は何?」


「帰ってからのお楽しみよ」


「ええー、教えてくれよ!」


「つまみ食いをしないと約束できるなら、教えてあげてもいいわ」


「……やっぱりいいです」


 ネリシアが笑い、セイルが肩をすくめる。


 レイヴェルは手にしていた本を閉じた。

「帰ろう」


 その言葉に、七人は歩き出した。

 今日学んだことは、明日すぐに役立つとは限らない。

 昨日の魔物についても、まだ分からないことが多い。

 それでも、記録を調べ、知識を身につけ、次の任務に備えることはできる。

 七人は、それぞれの歩幅で帰り道を進んだ。

 夕暮れの街には、家路を急ぐ人々の姿があった。

 その中を、七人の声が混じり合いながら遠ざかっていく。

 次の任務がいつになるかは、まだ分からない。

 けれど、その日が来れば、七人はまた一緒に戦うだろう。

 そのために、今日も学ぶ。

 それが、七つ星の日常だった。

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