第二話 七つの星、ひとつの戦場
任務の知らせが届いたのは、朝食を終えて間もなくのことだった。
屋敷の玄関に、精霊院の紋章が刻まれた封書が届けられた。セイルが受け取り、封を切る。中の書類に目を通すと、彼は食堂へ戻ってきた。
「任務だよ」
その一言で、食堂の空気が少しだけ変わった。
ソファで本を読んでいたレイヴェルが顔を上げる。エトは飲みかけの紅茶を置き、ラグナは待ってましたとばかりに立ち上がった。
「どこだ? 何が出た?」
「まず座って。説明するから」
「座ってる場合かよ!」
「説明を聞かないと、どこへ行けばいいかも分からないだろう」
「……それもそうだな」
ラグナは素直に椅子へ戻った。
セイルは書類を食卓の中央に広げた。
「北東の街道で、荷馬車が相次いで襲われているらしい。確認された魔物は狼型。群れで行動していて、通常の個体よりも耐久力が高いとのことだ」
「被害は?」
ゼファルが尋ねた。
「荷馬車が三台。護衛にも負傷者が出ている。今のところ死者の報告はないよ。ただ、討伐に向かった部隊が一度撤退している」
「撤退した理由は?」
「魔物の外殻が硬く、通常の攻撃では十分な損傷を与えられなかったそうだ」
エトは書類を覗き込んだ。
「狼型の魔物って、そんなに硬いものだったかな」
「種による。だが、記録にある通常個体と比較しても、今回のものは異常らしい」
ゼファルは書類を読みながら答えた。
「現地で確認する必要があるな」
「討伐だけじゃなく、調査もするってこと?」
エトが尋ねると、ゼファルは頷いた。
「原因が分からないまま放置すれば、同じ被害が繰り返される。任務は魔物を倒せば終わりというものではない」
「はいはい、分かってるよ」
ラグナが立ち上がり、両腕を頭の後ろで組んだ。
「つまり、倒して、調べて、帰ればいいんだろ?」
「お前は話を三割ほどしか聞いていないな」
「ちゃんと聞いてたって!」
「では、今回の任務の目的を言ってみろ」
「……魔物を倒す!」
「三割どころではないな」
ネリシアが吹き出した。
「ラグナ、もう少し頑張ろうよ」
「ネリシアまで言うなよ!」
「はいはい。続きは道中でね」
セレスティアが穏やかにまとめた。
「出発の準備をしましょう。食事は向こうで取ることになるかもしれないから、携帯食も持っていかないと」
「俺、甘いものがいい!」
「あなたは携帯食をお菓子だけで済ませようとしないの」
「まだ何もしてないだろ!」
「する前に言っているのよ」
そんなやり取りを横目に、エトは装備の確認を始めた。
腰の短剣。魔力を通しやすい素材で作られた補助具。戦闘用の手袋。
最後に、指先で短剣の柄を確かめる。
準備は整った。
「よし。行こうか」
エトが顔を上げると、六人がそれぞれ頷いた。
七人は屋敷を後にした。
*
北東の街道は、街から半日ほど離れた場所にあった。
街道の両脇には森が広がっている。木々の間から差し込む日差しは穏やかで、風が葉を揺らしていた。
街道そのものに、大きな異常は見られなかった。
ただ、道端には荷馬車の車輪が深く削った跡が残っていた。車体の破片らしき木片も、草むらに散らばっている。
「ここで襲われたみたいだね」
セイルがしゃがみ込み、地面を調べた。
土には複数の足跡が残っていた。狼に似た四足の跡。その周囲には、馬のものと思われる蹄の跡が乱れている。
「数は……十頭以上かな。正確には分からないけど」
「群れとしては多い方ね」
ネリシアも隣にしゃがんだ。
「足跡の向きがばらばらだよ。荷馬車を囲んだあと、森の方へ散ったのかな」
「いや」
ゼファルが地面を見下ろした。
「一部は森へ戻っているが、こちらへ向かってきた跡もある」
「こちらって、私たちの進行方向?」
「そうだ」
セレスティアが周囲を見渡した。
「まだ近くにいる可能性があるわね」
ラグナが口元を吊り上げた。
「だったら、探す手間が省けるじゃねえか」
「一人で飛び込まないでよ」
エトが言った。
「分かってるって」
「本当に?」
「……分かってる」
ラグナは少しだけ視線を逸らした。
レイヴェルは足跡の先を見つめていた。
「この先の道幅は?」
「少し狭くなっている。木々も近い」
ゼファルが答える。
「群れに囲まれると面倒だな」
「じゃあ、開けた場所まで誘い出す?」
ネリシアの提案に、セイルが首を横に振った。
「ここから先に、馬車が通れるだけの開けた場所がある。そこで迎え撃とう。道を塞がれたら、後続の荷馬車も通れなくなる」
「賛成」
エトは短剣の柄に手を添えた。
「ボクたちがここを通れるようにすれば、ひとまず任務の半分は終わりだね」
「残り半分は、魔物の調査だ」
ゼファルが念を押した。
「忘れてないよ」
エトは笑った。
七人は隊列を整え、街道を進んだ。
前方をセイルとネリシアが確認し、ゼファルが地形を見極める。セレスティアとレイヴェルは周囲の魔力の動きを探り、エトとラグナはいつでも戦闘に入れるように身構えていた。
森は静かだった。
風に揺れる葉の音だけが、頭上から降ってくる。
やがて、セイルが足を止めた。
「……来るよ」
その声に、全員が動きを止めた。
森の奥で、枝が折れる音がした。
一つではない。
右から、左から、正面から。
低い唸り声が重なり、木々の間に灰色の影が現れた。
狼に似た姿の魔物だった。
四肢は獣そのものだが、背中から肩にかけて、黒い殻のようなものが覆っている。光を受けても艶がなく、石のように鈍い色をしていた。
その目が、七人を捉えた。
「……確かに、硬そうだね」
エトが呟いた。
先頭の一頭が地面を蹴った。
「来るぞ!」
ゼファルの声が響く。
魔物の群れが、一斉に襲いかかってきた。
*
最初に動いたのは、セイルだった。
風が地面を這うように走り、先頭の魔物の足元を払う。体勢を崩した個体が横へ流れ、後続の進路がわずかに乱れた。
「左、二頭!」
セイルの声に、ネリシアが応じる。
「見えてる!」
彼女の周囲で風が渦を巻いた。
細く鋭い風の刃が地面すれすれを走り、二頭の進行方向をずらす。片方が横へ跳び、もう片方が木の幹を蹴って軌道を変えた。
「そっちは通さないよ!」
ネリシアが笑う。
その直後、木の陰から飛び出した魔物が彼女へ牙を剥いた。
セイルが風を操り、魔物の体を横から押し流す。
ネリシアは振り向きざまに短剣を抜き、露出した前脚の付け根を斬った。
魔物が地面に転がる。
「ありがと、セイル!」
「前を見て」
「はいはい!」
双子のやり取りは短かった。
互いが何をしようとしているか、いちいち言葉にしなくても分かる。長年一緒に過ごしてきた二人だからこそできる連携だった。
しかし、魔物の数は多い。
後方から別の一頭が飛び込んでくる。
「こっちは任せろ!」
ラグナが前へ出た。
拳に炎が宿る。
振り抜かれた一撃が、魔物の胴体を捉えた。
炎が弾け、灰色の体が地面を転がる。
だが、魔物はすぐに立ち上がった。
「おいおい、今ので倒れねえのかよ!」
ラグナは目を見開いた。
魔物の黒い殻には、焦げた跡が残っていた。しかし、割れてはいない。
魔物は唸り声を上げ、再びラグナへ突進した。
「だったら、もう一発!」
「待て、ラグナ!」
ゼファルの声が飛んだ。
ラグナは反射的に横へ跳んだ。
その瞬間、彼が立っていた地面から岩の壁がせり上がった。
魔物は壁へ正面から衝突し、体勢を崩す。
「正面から殻を砕こうとするな。関節を狙え!」
「最初からそう言えよ!」
「今、言った!」
「だから聞こえたって!」
ラグナは舌打ちしながらも、魔物の動きを見直した。
黒い殻は背中から肩にかけて広がっている。一方、脚の関節や腹部には、灰色の毛皮が露出していた。
ラグナは炎を拳に集める。
今度は正面から殴りつけず、踏み込んだ勢いを利用して、魔物の前脚の付け根を狙った。
炎をまとった拳が食い込む。
魔物が苦痛に似た唸り声を上げ、地面に崩れた。
「よし!」
「今のは悪くなかった」
「だろ!?」
「調子に乗るな。まだいる」
「分かってる!」
ラグナは再び前を向いた。
その背後では、セレスティアが両手を掲げていた。
水が地面を走り、細い流れとなって魔物の足元へ伸びる。水流は一頭の前脚に絡みつき、その動きを封じた。
「エト、今よ!」
「うん!」
エトの姿が消えた。
正確には、一瞬で間合いを詰めたのだ。
雷の魔力が足元で弾ける。エトは魔物の攻撃を紙一重でかわし、黒い殻の隙間へ短剣を滑り込ませた。
刃が関節を捉える。
魔物の脚が折れ、体勢が崩れた。
エトは着地と同時に身をひねり、反対側から迫る個体の牙を避ける。短剣を引き抜き、手首を返す。
雷光が走った。
魔物の体が大きく跳ね、地面へ倒れ込んだ。
「セレスティア、ありがとう!」
「どういたしまして。後ろにも気をつけてね!」
「はーい!」
返事をした直後、エトは背後から迫る気配を感じた。
振り向くより早く、黒い影が頭上を覆う。
魔物が跳びかかってきた。
エトは短剣を交差させ、牙を受け止めた。
衝撃が腕を駆け上がる。
「……っ、重い!」
押し込まれる。
魔物の前脚が地面を削り、エトの足元がずれた。
その瞬間、光が差し込んだ。
レイヴェルの放った光の弾が、魔物の横腹へ命中する。
魔物の体が傾いた。
エトはその隙を逃さず、短剣を引いて横へ跳ぶ。すれ違いざまに関節を斬り、魔物を地面へ倒した。
「助かった、レイヴェル!」
「うん」
レイヴェルは短く答え、次の魔物へ視線を移した。
彼の光魔法は、ほかの属性と比べて扱いが難しい。強力な攻撃を放とうとすれば魔力の消費も大きくなるため、無闇に撃ち続けることはできない。
だからこそ、彼は必要な瞬間を見極めていた。
仲間の攻撃が通る一瞬。
敵の動きが乱れる一瞬。
その一瞬を逃さず、光を放つ。
「エト、右!」
レイヴェルの声が飛ぶ。
エトは反射的に身を低くした。
頭上を魔物の爪が通り過ぎる。
その背後から、セイルの風が吹き抜けた。
魔物の体がわずかに浮く。
「ネリシア!」
「任せて!」
ネリシアが踏み込み、魔物の露出した首元へ刃を突き立てた。
魔物が地面に落ちる。
「これで一頭!」
「数を数えている場合じゃないよ!」
セイルが言った。
「数えないと、倒した数が分からないでしょ!」
「……君らしいね」
セイルは苦笑し、再び風を操った。
戦場のあちこちで、魔力がぶつかり合う。
炎が走り、水が流れ、風が渦巻き、大地がせり上がる。雷光が一瞬の隙を突き、光が仲間の攻撃を支えた。
七人はそれぞれの力を振るいながら、互いの位置と動きを把握していた。
誰かが前へ出れば、別の誰かが隙を埋める。
攻撃が止まれば、次の攻撃がつながる。
一人では仕留めきれない魔物も、二人、三人と連携すれば倒せる。
それが、七つ星の戦い方だった。
しかし、魔物たちもただ押し寄せているだけではなかった。
前列が倒れると、後列の個体は無理に突進せず、左右へ散って七人の側面を狙い始めた。
「……妙だな」
ゼファルが呟いた。
魔物の一頭が、ラグナの攻撃を避けた。
別の一頭が、セレスティアの水流を警戒するように迂回する。
群れの動きが、少しずつ変化していた。
「こいつら、思ったより頭が回るぞ!」
ラグナが叫ぶ。
「なら、考える時間を与えなければいい!」
ゼファルが地面へ手をかざした。
大地が鳴動する。
魔物たちの進路を塞ぐように、複数の岩柱がせり上がった。群れは左右へ分断され、互いの動きを合わせにくくなる。
「セイル、左を押さえろ! ネリシアは右だ!」
「了解!」
「分かった!」
「セレスティア、中央を頼む!」
「任せて!」
セレスティアの水が地面を満たし、魔物たちの足元を乱した。
レイヴェルが光を放ち、岩柱の隙間を抜けようとした個体を牽制する。
ラグナは正面から押し込む。
エトはその動きに合わせて側面へ回り込み、黒い殻の隙間を狙った。
そして、最後の一頭が倒れた。
森に静けさが戻った。
ラグナは拳を下ろし、深く息を吐いた。
「……っはぁ! 終わったか!」
「まだだ」
ゼファルが即座に言った。
「分かってるって。調査だろ?」
「なら、倒れた魔物に不用意に近づくな。生死を確認し、周囲に残存個体がいないか調べる」
「はいはい」
「返事は一度でいい」
「はい!」
ネリシアが笑い、セイルが小さく首を振った。
エトは短剣を鞘へ戻し、倒れた魔物の一頭へ目を向けた。
改めて見ると、やはり背中の黒い殻が奇妙だった。
毛皮の上に何かを貼りつけたようにも見えるが、殻は体の組織と自然につながっている。継ぎ目も、接着された痕跡もなかった。
「これ、本当に普通の魔物なのかな」
エトが呟いた。
「通常の狼型魔物に、このような外殻は確認されていない」
ゼファルが答えた。
「生まれつきなのか、それとも後から変化したのか……」
セレスティアがしゃがみ込み、傷ついた殻を観察した。
「少なくとも、外から何かを取りつけたようには見えないわね」
「魔力の反応は?」
レイヴェルが尋ねた。
「強い残留魔力は感じない。ただ……」
セレスティアは言葉を切り、殻の表面を見つめた。
「普通の魔物と比べると、少し違う感じがするわ」
「どう違う?」
「うまく説明できないの。魔力が強いとか、そういう単純な違いではなくて……」
セレスティアは首を横に振った。
「ごめんなさい。今の段階では、何とも言えないわね」
ゼファルは殻の一部を慎重に採取した。
「現物を持ち帰る。精霊院の記録と照合すれば、何か分かるかもしれない」
「了解」
エトは頷き、周囲の確認を続けた。
*
戦闘のあと、七人は街道の復旧と周辺の調査を進めた。
荷馬車の破片を道端へ寄せ、通行に支障がないかを確かめる。負傷者が残されていないことを確認し、森の中に続く足跡も追った。
魔物たちは、街道からそれほど離れていない場所に潜んでいた。
だが、巣らしきものは見つからなかった。
足跡は森の奥へ続いていたものの、途中で複数の方向に分かれ、やがて地面の硬い岩場へ入り込むと判別できなくなった。
「この先を追うのは難しそうだね」
セイルが言った。
「無理に追う必要はない。今回の任務は街道の安全確保と、魔物の特徴の調査だ」
ゼファルは採取した殻を袋に収めた。
「生息地まで特定できなかったのは残念だが、手がかりは得られた」
「そうだね。あとは記録と照合しよう」
レイヴェルが答えた。
ラグナは伸びをした。
「じゃあ、帰ったら飯だな!」
「まだ昼食を食べていないものね」
セレスティアが微笑む。
「セレスティアのご飯、楽しみだなあ」
「あなたは食べることばかりね」
「大事なことだろ!」
「それは否定しないけれど」
セレスティアはくすりと笑った。
エトは最後にもう一度、魔物が倒れていた場所を振り返った。
黒い殻は、光を受けても鈍いままだった。
どうして、あの魔物たちはあんな姿をしていたのだろう。
どうして、通常の個体よりも硬かったのだろう。
考えてみても、答えは出ない。
「エト、行くよ」
ネリシアが少し先から手を振った。
「うん、今行く!」
エトは小走りで追いついた。
七人は街道を後にした。
*
精霊院へ戻ったのは、その日の夕方だった。
提出した報告書には、討伐した魔物の数、戦闘時の行動、被害状況、そして外殻の特徴が記された。
採取した殻の一部も、調査資料として保管されることになった。
担当者は報告書に目を通し、最後に殻の欠片を確認した。
「……確かに、通常の狼型魔物とは違いますね」
「既存の記録に似た個体は?」
ゼファルが尋ねた。
「すぐには判断できません。過去の記録も確認してみます」
「頼む」
ゼファルはそれ以上、何も言わなかった。
調査には時間がかかる。
分からないことを、分かったふりで埋めるつもりはなかった。
その夜、七人は屋敷へ戻った。
セレスティアが夕食を用意し、ラグナは昼間の戦闘を身振り手振りで語った。ネリシアが話を面白おかしく脚色し、セイルがところどころ訂正する。
「いや、あのとき俺が一撃で倒していれば、もっと早く終わってたんだって!」
「ラグナ、あの魔物はあなたの一撃では倒れなかったでしょう?」
セレスティアが指摘した。
「……細かいことはいいんだよ!」
「細かくないよ」
セイルが静かに言った。
「最初の攻撃で殻が割れなかったから、次は関節を狙ったんだろう?」
「そうだけどよ!」
「それが今日の戦いで分かったことだね」
レイヴェルは食事をしながら、淡々と続けた。
「外殻が硬いことだけでなく、魔物が攻撃を避けたり、こちらの魔法を警戒したりしていたことも記録しておいた方がいいと思う」
「そうだな」
ゼファルが頷いた。
「単純に耐久力が高いだけでは説明できない動きもあった」
「じゃあ、次の任務も調査が必要かもしれないね」
エトが言った。
「その可能性はある」
ゼファルは短く答えた。
話題はやがて、翌日の訓練や、街で見つけた新しい菓子のことへ移っていった。
夕食が終わる頃には、ラグナがセレスティアの作った料理をおかわりし、ネリシアがそれを見て笑っていた。
いつもと変わらない夜だった。
ただ、精霊院に残された報告書の末尾には、まだ記録にない一つの特徴が書き加えられていた。
狼型魔物。背部に黒色の硬質外殻を確認。既知の個体との差異あり。発生原因は不明。
その一文に、今すぐ答えを出せる者はいなかった。
調査は、これから始まる。




