第三十二話月夜の誓い
コンコン
真夜中、シャーリーの部屋の窓が、外側から叩かれた。眠れなかった彼女は、月の光を得てカーテンに浮かび上がる人影に、慌てて飛び起きる。
「マックス様!」
ガタガタガタ
手元が覚束なくて、鍵を開けるのに手間取った。ベランダに立つ彼は、窓に手を当て、心配げにシャーリーを見つめている。
やっとのことで開け放った窓。一気に入ってくる夜の冷気が頬を撫でたのは、ほんの数秒のことだった。
気がつけば、シャーリーは、マックスの腕の中にスッポリと収まっていた。
「シャーリー」
絞り出すような掠れた声。燃えるような熱い体温。どれだけ急いで来てくれたのか、肌身で感じる。
彼の名を呼びたいのに、震えて、声が出ない。一度知ってしまった温もりを、奪われるかもしれないと思うと、体の芯が凍るくらい怖ろしかった。
「遅くなってごめん。怖かっただろ?」
頷くしか出来なくて、更に強く抱きしめられると、堪えた涙が零れ落ちた。
「あの……あの……」
自分に起きた問題を早く伝えなければと思うのに、言葉が口から出てこない。
『何故、私なの?』
そんな切なさがグルグルと胸の奥で渦を巻き、次から次へと涙が湧いてくる。言葉を詰まらせながら何とか事情を伝えたが、言いたいことの半分も言えない。それが、また、情けなくて涙が溢れ出した。
ジポーノ語を覚えた時は、遠い異国の言葉が紡ぐ美しい響きに、心震えた。桜姫との出会いを結んでくれたのも、シャーリーの語学へのあくなき探究心があったから。
なのに、今は、その事が憎い。互いに知ろうと努力するアイオライトと桜姫とは違う。ただ、便利だから、ただ、珍しいから奪う。
きっと、一度見れば、飽きてしまうような単純な興味で、婚約者を持つ女を友好の名の下に譲り受けようと考える男には、愛など抱けない。
暫く無言で抱き合っていたら、マックスが身を離そうとした。シャーリーは、離されまいと一層強くしがみつく。
「大丈夫だよ、シャーリー、言いたいことは分かったから…。そろそろ中に入ったほうがいい。風邪を引いてしまう」
「いや」
「また、明日、正式に、玄関から訪問させてもらうから」
「いや」
「シャーリー、怒るよ!」
困った顔で、怒ったフリをしたって恐くない。
「いゃ・・・」
「初めての我儘が、こんな事じゃなかったら、何でも言う事を聞くのに」
マックスまで泣きそうな声で、呟いた。これ以上、彼を困らせるわけにはいかない。
シャーリーは、ゆっくりと手の力を抜き、一歩下った。
「シャーリー、指輪は、付けてる?」
シャーリーは、胸元に手を置き、力強く頷いた。
「今日から、お風呂の時も、着替えの時も、絶対外しちゃ駄目だからね」
大きく、頭がもげるんじゃないかと思うぐらい、何度も頷いた。
「コラコラ、ヘッドバンギングするな。頭、クラクラするぞ」
やっと笑ってくれたマックスに、シャーリーも、軽く目眩を起こした頭を押さえて、微笑み返す。
マックスは、頷くと、急に、右腕を胸元に押し当てた。
「私、マックス・ブリリアントは、火急かつ、速やかに、シャーリー・エンジェルに、心の平穏を与える事を誓います」
さっと膝を突くと、シャーリーの手を取り、指先にキスをしてくれた。
「だから、シャーリー、ちゃんと寝て」
「はぃ」
シャーリーは、涙を拭い、精一杯の笑顔を見せた。
次の日、マックスは、朝食前に、久しぶりに領地から帰宅した父、ラグドール・ブリリアントの執務室を訪ねた。
挨拶もそこそこに、本題を話すと、穏和な父が、珍しく眉間に皺を寄せて、フーーーーーーと鼻から息を吐いた。
「先ずは、他の者に怪しまれないように、婚姻届の提出を早める必要があるな」
掛けていたメガネを外して、グリグリと眉間を揉むのは、きっと、頭の痛い話だと思っているからだ。
しかし、マックスだけでは解決できない問題だけに、ここは、年長者を頼るしかない。
「出来ると思う?」
「あと半年、シャーリーさんは、学生だ。女学園の場合、元々、婚姻に対する箔付けで入っている女生徒も多い。途中退学して、嫁ぐ事はままある。ただ、シャーリーさん程優秀で、勉学に励んで来た子が突然となると、目につくことは、間違いないだろうねぇ」
「確かに…。それに、俺は、彼女には、卒業して貰いたいと思っている」
あそこまで頑張ったシャーリーが、中退なんて、本末転倒も良いところだ。そして、彼は、シャーリーの勤勉なところも大好きだった。
「だろうね。彼女の優秀さは、最近、我らの年代でも、噂として話題に上る。私も、縁者になる事を羨ましがられる事が多いよ」
男爵家の三男が、格上の伯爵家へ婿入りする。その手の話は、得てして妬み嫉みの的となる。
ラグドールにも、その矛先が向いている。しばらく連絡さえこなかった同窓生から、上手い話があれば乗せろと長文の手紙が来たこともあった。
ただ、良心の塊のようなラグドールに、彼ら特有の婉曲表現が、嫌味として伝わっているかは定かではない。
「仕方ない、あの人の力を借りるか」
ラグドールは、机から便箋と封筒を出すと、羽ペンを持ち、一気に何かを書き上げる。
「コレ、出しておいてくれ」
渡された封筒に書かれていたのは、
ミケーネ・ブリリアント
ラグドールの曽祖母の名前だった。




