第三十話『家族』の愛
青天の霹靂。想像もしていない、あまりに突然の出来事だった。
シャーリーは、会ったことすらない桜姫の兄、葵に、妃として請われているらしい。
しかも、正妃ではなく、後宮に囲われる一人の女として。咽び泣く桜姫を前に、シャーリーは、現実を受け止めきれない。
確かに、ジポーノ語を話せるフローラ人で、同じ年頃の女性には会った事がない。
マックスに、以前、
『誉めていませんからね。危機感を持って下さい』
と言われた事があったが、こう言う事を意味していたのだろうか?
『あぁ、マックス様に、会いたい。』
シャーリーは、恐怖で、自分自身を抱きしめながら震えた。
そこに、突然、
「エンジェル嬢、何事かな?」
第三者の声が響いた。
「「ひっ」」
背後から声をかけられ、シャーリーも、桜姫も、一瞬息が止まった。振り返ると、そこには、アイオライト第三王子がいた。桜姫にとっては、最近では心を許し始めている数少ない相手でもある。
しかし、彼は、今、もっとも話を聞かれたくない『王族』でもあった。
桜姫は、彼の婚約者候補として、遠いジポーノ国から、ここフローラ国へ来た。彼女に『留学生』と言う肩書きが付けられたのは、アイオライトには、まだ、他に数名『婚約者候補』がいるからだ。
今のところ、桜姫が最有力ではあったが、状況次第では、どう転ぶか分からない。シャーリーは、自分の事で、二人の良好な関係に水を差したくはなかった。
沈黙でやり過ごしたいところではあるが、彼は、生まれながらに聡く、そして王家の人間として上に立つ者特有の覇気があった。
「只ならぬ空気だね。私にも、話を聞かせてもらえるかな?」
有無を言わせない空気を纏って問われれば、答えないという選択肢はなかった。
物静かで、微笑みを絶やさない少年だが、全身から溢れるオーラで、普段よりずっと大きく見える。
シャーリーは、覚悟を決めて桜姫から先程聞いたばかりの話を繰り返した。
「ふぅ」
アイオライトが、小さく溜息を吐いた。
本来なら、直ぐにでも父である王太子殿下、そして陛下に伝え、シャーリーを隔離し、ジポーノ国からの打診要請を待つところだろう。
しかし、彼は、目を閉じ、しばらく考えに耽った。
「そう・・・それは、困ったね」
アイオライトは、苦笑しながら、シャーリーを見た。
「エンジェル嬢、貴女は、桜姫にとって、とても大切な友人だ。私としても、守りたいと思っているよ」
静かに語る彼は、シャーリーより三つ下の十四歳のはずなのに、とても大人に見えた。涙に濡れる桜姫の目元を、柔らかなハンカチで押さえるように拭うと、腰をかがめて、彼女の視線に合わせ、
『大丈夫、大丈夫』
とジポーノ語で語りかける。
最近、アイオライトと桜姫は、お互いの国の言葉を教え合っていると桔梗より聞いていた。
『彼の中でも、既に、桜姫様は、『候補』じゃないのね。』
泣きすぎて、目をウサギの様に赤くしてしまった桜姫は、小さく、ウン、ウンと頷いている。その頼り切った姿は、きっと庇護欲をそそるだろう。
しかし、王族であろうとも、国益を損ねる振る舞いは許されない。シャーリーを見逃す事が、のちのち、臣籍降下される事が決まっている彼に、どのような不利益を及ぼすか。
「アイオライト殿下、今のお話は、聞かなかったことに」
「出来るわけないだろう?ならば、私が出来る協力をするまでだよ。それに」
アイオライトは、桜姫の手を取り、優しく甲を撫でた。
「私は、いつか王族を離れる。そして、彼女は、私の『家族』となる人。天秤がどちらに傾くか、分かりきっているだろう?」
微笑むアイオライトが語る事の意味を理解出来るほど、桜姫のフローラ語の知識は多くない。それでも、彼の想いは、その眼差し、手の温かさで伝わるようだ。
桜姫は、今までとは違う、信頼のこもった眼差しでアイオライトを見上げ、一生懸命微笑もうと努力している。
その健気さを見たアイオライトは、パッとシャーリーを見上げ、
「ねぇ、エンジェル嬢、桜姫は、何故、こんなに可愛いんだ?」
と質問した。
『あぁ、ここにも、己の好意をダダ漏れにさせる男がいたか。』
全てを、横に控えて見ていたカサンドラは、不敬にも、そんな事を考えていた。
「ほぉ、うちの娘を、後宮に?そのアオイとか言う小僧、始末しようか?」
帰宅後、シャーリーの話を聞いて、見る間に不機嫌になったジョンは、不穏な事をかなり真剣に口にした。
「お父様、仮にも、葵様は、ジポーノ国のお世継ぎ。王太子殿下に当たるお方です。そのような言い方は・・・」
「可愛い娘を遠い異国へ攫おうとする奴など、名前も必要ない。『アレ』で十分だ」
「もぉ」
困り果てたシャーリーは、リシーを見た。暴走する父を止められるのは、母しかいない。
「ジョン、お座りになって」
ポンポン
リシーが、自分の座るソファーの横を叩くと、ジョンは、跳ねるように移動して、ポプンとそこに座った。
そう、ジョンは、妻に、限りなく弱い。まるで、『お手』と言われた犬のように言う事を聞く。
「リシー、まだ、『アッチ』の方がマシだな」
「ジョン、マックス様を『アッチ』とか呼んじゃ駄目よ」
「いや、昨日までは、『クソ野郎』って呼んでたから、格上げだよ」
「ジョン・・・・後で、ゆっくりお話しましょうね」
リシーの目が細まり、ジョンの気が、一気にダウンしたのが分かった。
『きっと、後で、お説教なのね。』
いつも仲睦まじい両親だが、ジョンの気持ちを上げるのも下げるのもリシー次第だ。
「それで、シャーリー、その事は、マックス様に、お話ししたのかしら?」
リシーが、シャーリーを心配そうに見つめる。
「うぅん、まだ、お仕事中だと思って、魔導士団の詰所にお手紙を送ったの。でも、内容が内容だけに、詳しいことは書けなかったわ」
「そう、今日も、残業なのね。結婚式後の長期休暇を貰う為とはいえ、上官は、やり過ぎだわ。後で、私からも、シュリーマン君に、お手紙を書かないと…」
右手を頬に当て、思案げに独り言のように言葉を発するリシーだが、
『ん?シュリーマン君?』
シャーリーは、その一言に首を傾げた。
「あのー、お母様、タングステン団長とお知り合いなの?」
「えぇ、母親が親友同士だったのよ。子供の頃、よく我が家に遊びに来たわ。ふふふふ、昔は、よく泣かせていたものよ」
少女のように天真爛漫に微笑む母を見て、シャーリーの顔が引きつった。
『お母様!何をしたの!!!』
エンジェル伯爵家で、一番敵にしてはならぬのは、リシーであることを、世間の人間は知らなすぎる。出会った日二十一周年(決して、結婚記念日ではない)を忘れ、彼女を怒らせたジョンが、三日間断食させられたことは記憶に新しい。
「私が十歳の時に、五歳だった彼は、よく、私の後ろをついて回ってたのよ。でも、虫が苦手な子でね」
そこで、やっとシャーリーは、合点がいった。
『あぁ、そうだ、お母様の趣味は、蝶の標本作り。』
それらが飾られた部屋は、娘のシャーリーも怖くて入れない。あの恐怖を、幼い頃に刷り込まれたら、反抗する気持ちすら根こそぎヤられそうだ。
「今度、一番良くできた、クロアゲハの標本を送り付けておくわ」
「ヤメテーーー!」
常に穏やかで、常に物静かなリシーを、どうやら、シュリーマンは敵に回してしまったようだった。




