第27話
冥王ヴァハル。地上の種族が一生を終えた後に赴く死者の国、冥界を統べる神。その居城へ至る道は長く、険しく、そして……門をくぐる前と変わらず、骨だらけだった。
つまずいて転ばねえよう、それに間違っても頭蓋骨を踏んづけだりしねえよう、足元に注意しながら歩いてると、時折ひやりと、冷たい視線を感じることがある。
今も俺、誰かに見られてる気がするんだが。
足元の骨、骨、骨から目を離し、そっと顔を上げてみりゃ――ああ、やっぱりいたぜ。
近くを漂う霧の薄紗。その向こうに、ほのかに青白く光る、ぼんやりとした人影が見える。
死者だ。
冥界の門をくぐってから、何度か間近に見て、確信した。あの青みがかった白い人影は、この草木一本生えねえ骨だらけの地、死後の世界の住人たちだ。
……地上の種族ってのは、死ぬとあんなふうになっちまうのか。
人間や妖精、小人の形をした輪郭こそかろうじて見えるものの、その姿は今にも霧に溶けちまいそうなくらいおぼろげで、表情はもちろん、顔立ちもはっきりしねえ。目を凝らせば、ぽっかりと見開かれた虚ろな眼や(まなこ)、だらしなく開けたままの口がかろうじて見えるが、その瞳に輝きはなく、口許にゃ喜怒哀楽をはじめとした、いかなる感情も表れてねえ。
大抵は単独で立ち尽くしてるか、すうっと滑るような足取りで歩いてるかのどちらかだが、時折二、三人で肩を並べ、泡でも吹くようなつぶやき声で話してるのが聞こえる。
たとえば、こんなふうに。
――見ろよ、新入りだ。
――若いわ。それにちょっと、かわいいかも。
――美少年だ、美少年。
――あの子、まだ死んでないよ、完全には。
――本当だ。身体が時々透けるけど、しばらくするとほら、また見えてくる。
――半死半生の者が、なぜここへ? 冥界の掟では、確か……。
――死神たちが案内してるぞ。何か理由があるんだろうよ。
――特別扱い。なんであの子だけ……。
――あぁ羨ましい、妬ましい。
死者たちのつぶやきに聞き耳立ててると、イシュレイナさんが外套の上から、肩をちょんと突いてきた。
「聞かない方がいいわ。死せる者の声なんて。気が滅入るだけだから」
「ひぇっひぇ! イシュレの言う通りさね、坊や。現世では『死人に口なし』なんて言うけどねぇ、冥界じゃ真逆で、死者はとにかくおしゃべりなのさ。そりゃもう、あたしら死神がうんざりするくらいねぇ……」
「どんなことをしゃべってるんだ? その……普段、死者たちはさ」
「生前の後悔や未練、恨み辛みについてが大半さ。あと、ここでの扱いについて不満をこぼす奴らもいるね――ほぅら、ちょうどあんたのそばに寄ってきた、そいつみたいにさ」
「――へ?」
とん、とん。
冷たい手に肩を叩かれ、なんだ、またイシュレイナさんかと思って振り返った瞬間、ぎょっとした。青ざめた朧月のように、かすんで見える人影が、目と鼻の先に。
俺がドゥザーボ婆さんの話に気を取られてる間に、背後から近づいてきてたらしい。
遠目にゃ種族はもちろん、歳も性別も定かじゃなかったが、間近に見たところ人間の若い女の人――じゃねえかな。
――あなた、見ない顔ね。ここへは今、来たばかり?
冬の訪れが近い地上で、寂しげに口笛を吹く北風のように、寒々とした声。ぼやけた唇が、かすかに動いてるのが見える。虚ろな瞳に、かすかだが好奇の色が浮かんでるのも。
――現世は今どうなっているのかしら? 私、冥界に来て久しいものだから、興味があるの。ぜひ聞かせてくださらない? 最近の現世について。
足音も立てずに、死者は距離を詰めてくる。
――あちらに大勢、友達がいるの。あなたを紹介したいから、さあ来て、一緒に。
死者の隣にもう一つ、さらに一つと、青白い人影が現れた。
――さあ、お話しましょう。
――私たちと一緒に、さあ、さあ……。
こっちの意思を確かめることもなく、死者たちは青く透明な手を伸ばしてくる。
そのうち一つが俺の手首をつかみ、思いのほか強い力で引いてきた。
「ひっ……」
凍てつくような、なんて表現さえも生ぬるい、その冷たさ。のどの奥から一声、悲鳴が漏れちまう。
とっさに口を押えたが、遅かった。
漏れ出た声から、怯えの響きを聞き取ったに違いねえ。ぽかんと開けっ放しだった死者たちの唇が、そろってにぃっと笑みの形をつくる。
――かわいい坊や、こちらへいらっしゃい。
――怖がらないで、傷つけたりはしないから。
――あなたもお友達になりましょう、私たちと。
――死後の世界で、一人ぼっちは寂しいわ。けれど、みんな一緒にいれば大丈夫。
――あの世の大河も、みんで渡れば怖くない……。
さっきまでは、確かに女の声だったのに。
時折くぐもり、低い男の声みてえに聞こえるのは、気のせいじゃねえだろう。
死者の手が二つ、三つと伸びてきて、俺の腕を、肩を引っつかむ。
背後からも四つ、五つ……。
おい。すっかり囲まれちまってるぞ、俺!




