第26話
そんな経緯があって、四人の死神を道連れに、冥王ヴァハルの許へ向かうことにしたんだが――まさか十八歳で冥界を訪れることになるなんて、思ってもみなかったぜ。
「坊やご覧、あれが冥界の門さね、ひぇっひぇ!」
出発してほどなく、四人の中で一番年配って感じの死神、ドゥザーボ婆さんが指差したのは、行く手に見えてきた門だった。
あれが……神話や伝説に名高い、死者の国への入り口なのか。
高さは俺の背丈の二十倍――いや、それ以上あるだろう。黒光りする御影石を巧みに組み上げて左右二つの塔を築き、間に優美な曲線を描く迫持を設けて、その下で鉄の大扉が開閉するようになってる。槌と鏨で塔の壁面や迫持に刻まれ、あるいは扉に打ち出されてるのは、大鎌担いだ骸骨姿の死神たちと、悲嘆に顔を歪めた死者たちだ。
死神たちの話によれば、ここまでの霧と暗雲が立ち込め、骨に埋め尽くされた不毛の地は、現世と冥界の境界なんだよな。ってことは、つまり――。
「あの門の先が、本当の冥界なのか……」
俺の独白に応えるかのように、門の向こうから歌が聞こえてきた。
「いざ心せよ――これより先は冥界なり。
貝の血をもて染め上げたる 紫の衣を身にまとい、
青く錆びたる銅の 仮面かぶりし おぞましき神、
無慈悲な冥王しろしめす 霧立ち込める死者の国。
汝、ここまで来たりし旅人よ。歩みを止めよ、しばしの間。
ここが旅路の果てにして、生の終わりなればこそ、
これより先、一切の望みを捨てずして、立ち入ることは許されず、
これより先、一度足を踏み入れたなら、引き返すことは叶うまじ」
いくつもの声が重なり、その場の空気と、聞いてるこっちの心を震わせる、荘厳な合唱だ。歌ってるのは死者か、それともジュスカーメイやイシュレイナさんと同じ死神か。
「今ならばまだ 間に合わん。
汝、生ける者ならば引き返せ。振り返らずに 現世へ。
たとえ退屈なものであれ、辛く苦しきものであれ、人生は一度きり。
手放したなら何人も 取り戻すこと能わざる 己が命を惜しむべし。
ゆえに疾く引き返せ、汝が背後に足音立てず、蜘蛛のごとく忍び寄る、
死神の鎌がその首に、振り下ろされる その前に」
途中から歌声に合わせて、竪琴の音も響き出した。
「覚悟はよろしゅうございますかな? フランメリック殿……」
ジュスカーメイの奴が振り返り、こっちを見る。蜘蛛をかたどった仮面の下で、口がにやりと冷笑の形をつくった。
「この門をくぐって、再びこちらへ戻ってきた地上の種族は、いまだ一人としてございませぬ」
「へっ。『お前も絶対戻ってこれないから覚悟しろ』ってことか?」
そう言外に脅しをかけられたことくらい、俺にもわかる。けど、こっちにゃそんな運命、素直に受け入れるつもりなんざねえわけで。
「だったら、俺がその一人になってやるよ。冥界から現世へ戻ってきた、最初の一人にさ」
自信ありげに胸を張って、うそぶく。
死神たちに余裕を見せようと精一杯、粋がってみたんだが、
「――説得力、ないから。その格好で言っても、全然」
「むぐぐ……ッ!」
イシュレイナさんに傍らからぼそりと突っ込まれ、あえなく空振りに終わっちまう。
「突っ込み容赦ねえな、あんた」
ちらりと目を下へ向け、自分が今どんな格好でいるのか、改めて現実を見た。左右の腰から股座にかけて、きゅっと締めつけるように密着した黒い逆三角形の下穿きと、それ以外は何も着てねえ裸身を。
「い、言っとくけどな! 俺だって別に、好きでこんな格好してるわけじゃねえんだからな! あんたらに急に攻め立てられて、否応なく脱がされちまったから、仕方なくだな……」
恥ずかしさで耳とほっぺたが熱くなるのを感じながら、右手の人差し指をイシュレイナさんに突きつけ、ぶんぶん振って弁明してると、
「――生ける者だけよ。そんなふうに、恥ずかしがるのは」
不意にイシュレイナさんが、そうつぶやいた。他の死神たちと同様、蜘蛛の仮面で隠した顔をちょいと傾げ、わずかに見える口許を、ふっと綻ばせて。
「――恥ずかしいって思うのは、まだ生きてる証拠」
「え……?」
「――希望はあるから、生きてさえいれば」
この人、今笑わなかったか? ただでさえ仮面をかぶってて顔が見えねえうえに、四人の中でも一際淡白というか、感情を見せねえ人……もとい死神だって、思ってたんだが。
そうこうしてる間に、冥界の門前に到着した。
閉ざされた門の向こうからは、相変わらず歌声が響いてくる。
「汝、死せる者ならば是非もなし、いざや先へと進むべし。
万民受け入れ、一人も帰さぬ門をばくぐり、
公正無私なる冥王が裁き、
汝の魂 天秤にかける審判を、
受ける覚悟ができたなら。
おぉ畏るべし、畏るべし。
死せる者よ聞け、あの神さびし鐘の音を。護り給え、天上の神々よ!
今来たりしぞ、開門の刻。
いざ心せよ――これより先は冥界なり、
これより先は冥界なり――!」
歌が終わりに近づくと、門扉の向こうで、かんぬきが外れる音がした。
ギイィ、と錆びた蝶番を軋ませて、扉が開く。
こっちの不安を煽るように、少しずつ、ゆっくりと。
開いた扉の隙間から、冷たい風が吹いてきた。風神ヒューリオスが、俺を冷やかそうと送りつけてきたんだろうか。
先日の夜、神殿の梁に腰かけ、俺を見下ろしてきた風神の目――瞳の奥に、子供の好奇心と無邪気な残酷さがちらつく眼を、ふと思い出す。
「『護り給え、天上の神々よ!』……か」
今聞いたばかりの歌の一節を口にして、目を伏せ、かぶりを振った。
やっぱり神々は――助けになんざ、来てくれねえよな。
心のどこかで、かすかに期待してたのかもしれねえ。あの賑やか好きな天上の権力者たちが、恩着せがましく「来てやったぞ、ありがたく思え!」とか言って、どやどやと押しかけてくるんじゃねえかって。太鼓や葦笛なんかを手に手に、派手な鳴り物入りでさ。
冷静に考えりゃ、そんなことはありえねえって、すぐわかる。
なにしろ自分たちの王、太陽神リュファトが冥界に捕らわれたって聞いても、全然動こうとしなかった神様方だ。ましてや、連中がちょいとばかり興味を持ってるとはいえ、しょせんはちっぽけな地上の種族、しかも「神々が定めた運命に抗ってやる!」なんて息巻いてる人間の俺が、同じような危機に陥ってるからって、助けに来てくれるはずもねえ。
門からの風が飄々と、胸の内まで吹き込んできた気がして、左右の肩を両手でぎゅっと抱き締める。
「……っ! ふぇっきしッ!」
まずい。身体が冷えてきた。背筋を寒気がはい上ってくるのを感じて、思わず身震いする俺。おまけにくしゃみまでしちまって、もうみっともねえったらありゃしねえ。
「……あのさ。何か一枚、羽織るもんくらい貸してもらえねえか? ほら、こんな格好で冥王に会うなんざ、無礼だろ? だから……」
さっきは強気に振る舞ってたくせに、なに厚かましくお願いしてやがるんだって、自分でも突っ込みたくなるが、さすがにずっとこの格好でいるのは寒いし、恥ずかしい。
左手で右肩を、右手で左肩をさすりさすり、無理だろうと思いながらも、死神たちに頼んでみた。案の定、ナキシルには冷たく鼻であしらわれたし、ジュスカーメイとドゥザーボ婆さんにゃ腹を抱えて大笑いされたけどさ。
死すべき定めの人間が、生死の境、現世と冥界の境界を越えようってときに、身なりや礼儀を気にするなんざ馬鹿かって、思われたんだろう。
けど……どういうわけか一人だけ、俺の願いを無視も嘲笑もせず、叶えてくれる死神がいた。
「……特別、今回だけ」
イシュレイナさんだ。ぽつりとつぶやいた後に、右手を一回、二回と軽く打ち振り、三回振ると、ばさり。町の広場で大道芸人が披露する手品さながら、手の内から外套を取り出して、ぱっと広げてみせる。
頭上は暗雲の黒、周囲は霧の灰色、足元は骨の白と、どこを見ても温かみに欠ける色尽くしだった世界に、鮮やかな赤一色で染められた毛織りの布が、ささやかながら彩りを添えた。
「――これを着て、早く」
「え……いいのかよ?」
差し出された外套を前に、とまどっちまう俺。頼んではみたが、どうせ死神たちにゃ相手にされねえと思ってたのに、この人は――どうしてだ?
「おやイシュレ、あんたずいぶん親切だねぇ、その坊やには。ひょっとして、あんたも美少年のよさに目覚めたのかい?」
「慈悲や同情のつもりなら、やめておけ。どちらも死神には無用の感情だ」
ドゥザーボ婆さんとナキシルが口を挟んできたが、イシュレイナさんは構うことなく、俺に外套を渡そうとする。
「――凍えるから。その格好じゃ、身体も、心も。死者と違って、生ける者は」
「イシュレイナさん、あんた……」
まただ。この人さっきも、恥ずかしがるのは生きてる証拠、みてえなことを言ってたよな。
まだ生きてるんだから、あきらめるな。まるで、そう励ましてくれてるように感じるのは、俺の勝手な勘違いだろうか。
「……恩に着るぜ、ありがとな」
本当のところはどうあれ、差し伸べられた手を払い除けるなんざ、無礼ってもんだし。礼を言って、ありがたく受け取ることにした。
今朝はアステルが風邪引かねえように、俺が外套を羽織らせてやってたのに。今度は俺が、死神のイシュレイナさんに、同じことをされちまうなんてな。
そう言えば、アステルは今、どうしてるんだろうな? それに何より、デュラムやサーラも。あとついでに、巫女様も……。
おっと、話がそれちまった。閑話休題だぜ。
そういうわけで、全裸一歩手前の状態からは抜け出せたものの、あいにく俺の冥界めぐりは、まだ始まったばかりだ。
外套にくるまり、その温かさにほっと人心地ついたところで、気を引き締めて、冥界の門を見た。
開け放たれた鉄の大扉の向こうにゃ、一見こっちと変わらねえ景色――暗雲が垂れ込め、霧と骨に覆われた不毛の地が続いてる。ただ、二つばかり違うのは、あちらこちらに青白い人影……らしきもんが見えることと、霧の向こうにぽつんと一つ、明かりが灯ってることだ。
人影はおそらく冥界の住人、死者だろう。
明かりはきっと――冥王の宮殿に違いねえ。




