第28話
「や、やめ……やめろよ、おい!」
前から引っ張るな、後ろから押すなって。
このままじゃ本当に、どこかへ連れていかれそうだ。
抵抗しようにもこの体、本当の肉体じゃねえからなのか、ろくな力が入らねえ。まるで病で長い間寝込んでて、すっかり手足の力が衰えちまったときみてえだ。
「手助けは無用にございますよ、イシュレ」
群がる死者たちの向こうじゃ、俺を助けに動こうとしたらしいイシュレイナさんを、ジュスカーメイの奴が呼び止めてる。
「――カーメイ。でもヴァハル様が……」
「イシュレ。ヴァハル神はフランメリック殿が、我ら神々に屈することなく、運命に立ち向かおうとする強い意思の持ち主であると聞き、興味をお示しになられたのでございましょう? ならば、本当にフランメリック殿がそのような、死者たちを退けられるほど強い意思をお持ちかどうか、我らが主に代わって試してみようではございませんか」
「ふん、一理あるな――カーメイの言うことにも。このあたりで休憩がてら、あの人間を突き放して、死者ども相手にどうするか見物してみるのもいい。神に挑むだの、運命に抗うだの、この冥界でもそんな大口を叩けるものか、見物だな」
「うーん……あたしゃあの坊やのこと、気に入りかけてたんだけどねぇ。ま、この程度で心が壊れる軟弱な坊ちゃんなら、ヴァハル様がわざわざお会いになる価値もないかもしれないねぇ……ひえっひぇ!」
心が、壊れる。
ドゥザーボ婆さんがこともなげに口にした一言を聞いて、全身鳥肌が立った。
俺はこれから、死者たちにお持ち帰りされて、それから何をされるんだよ?
「――ナキシル。婆様まで……」
「多数決で決まりにございますな。では、我らはここでしばしの間、高みの見物を――ということにいたしましょう。もちろんイシュレ、あなたもですよ……?」
あちゃ……やっぱりか。
死神たちは目下、俺を助けるつもりなんざねえようだ。一人だけ、イシュレイナさんにゃ、その気はあったみてえだが。
「――悪く思わないで、坊や」
そんなつぶやきが聞こえて、はっとあの人を見た瞬間、目が合った気がする。 ほんの一瞬だが、確かに……。
「あたしたちは、四人で一つ。他の三人が賛成して決まったことには、逆らえないの」
蜘蛛の仮面に隠れた顔が、ちょいと横を向く。
それを見て俺は――胸にちくりと、小さな痛みを覚えながら目を伏せ、唇を噛んだ。
そっか。あんたも結局、他の三人と同じ洞穴の竜かよ。
そんな恨み節が口から飛び出しそうになるのを、どうにかこらえた。死者たちにわらわらと寄ってたかられ、腕や肩はもちろん、髪まであっちへこっちへと引っ張られながら。
今はどうあれ、ここまで世話になった人に無礼なことを言っちゃいけねえ――そう律儀に考えたからでも、あるけどさ。
死神だって、神なんだ。その神様相手に、いつもは粋がってるくせに、こういうときだけ助けを期待するなんてのは、やっぱり身勝手だって、思うから。
胸の内で自分にそう言い聞かせながら、俺は瞼を上げて、目の前の現実を見た。今や十人くらいに増えた死者たちにもみくちゃにされながら、連れ去られそうになってる今の状況を、改めて。
こんなときこそ、神々にわからせてやる好機じゃねえか。地上の種族は、あの連中が思うほど弱くねえって。
けど、言うは易し、行うは難しってのは現世だけじゃなくて、冥界でも同じらしい。
「この……放せよ! 放せって!」
身をよじって、死者たちを振りほどこうとしてみたが、相変わらず腕にも脚にも、ろくな力が入らねえ。
しばらくもがいてみた後で、力を抜いて考えた。
落ち着け。この場を切り抜ける手がかりになりそうなことは、今までなかったか。たとえば――死神たちはさっき、なんて言ってたっけ?
――本当にフランメリック殿がそのような、死者たちを退けられるほど強い意思をお持ちかどうか、我らが主に代わって試してみようではございませんか。
確かジュスカーメイの奴が、そう言ってなかったっけ。
四人の中でも一番性悪そうな死神だけあって、口にするせりふも悪意に満ちてるが、一つ気になるところがあったんだよな。それは――「強い意思をお持ちかどうか」ってあたりだ。
力じゃなくて、意思を試す。
そう言ったことが、なんとなく引っかかるんだよな。
生身の体から半分抜け出た魂でしかねえ今の俺にゃ、現世で持ってたような力、腕っぷしはねえ。それなら……。
代わりに自分の気概、心意気を示してみせろ。
俺は今、あの死神の首領から、そう挑発されてるんじゃねえか。
現実の世界じゃ、思いや気持ちさえありゃなんでもできるなんて、そんな上手くはいかねえもんだけどさ。幸か不幸か、ここは冥界だ。現世じゃ通じねえことが、ここじゃ通用する……なんてことはねえかな。
一か八か、やってみるか。
周囲に群がる死者たちに、自分の意思を示す。
そのために、まずは大きく息を吸って、腹いっぱいに溜め込む。そして――。
「おい、あんたら……! いい加減に、しやがれ!」
群がる死者たちのど真ん中で、思いっきり声を張り上げた。一語一語に、離れろ、近づくんじゃねえって、明確な拒絶の意思を込めて。
――冒険者たるもの、己が志は軽薄な舌によらず、ただ重厚なる剣によってのみ語るべし。
古の英雄たちの中にゃ、そんな名言を残した寡黙な小人の豪傑もいるらしいが、そんな生き方は、あいにく今の俺には真似できっこねえ。
手許に剣もなく、手足に力が入らねえ現状で、死者たちに自分の意思を伝えようとするなら、そりゃもう、言葉の力に頼るしかねえだろう。
だったら、まずは連中を静まらせ、こっちが言うことに聞く耳を持たせねえと。
幸い、俺の大声は効果があったようで。周囲に大集合してた死者たちが、さっと後ずさる。俺を中心に、半径が大股三歩分くらいの、他には誰も立ち入ってねえ円が生まれた。魔法使いが悪魔を呼び出す儀式のとき、身を守るために地面に描いて、真ん中に立つ魔法陣みてえに。
その円の外で、死者たちはじっと立ち尽くし、こっちの様子をうかがってる。
一見、連中の虚ろな表情に変化はねえが、かすかに驚きの気配が伝わってくる。
「……いきなり大声出して、驚かせたなら、すまねえ。けど……見てわかるだろ?」
向こうが静まったところで、突然の無礼をわびる。そのうえで、
「俺はあんたらの、仲間じゃねえし、友達にもなれねえ」
率直に、ぽつりと事実を述べた。
「俺はまだ、完全に死んじゃいねえんだ――あんたらと違ってさ」
優越感を持ってるって受け取られたりしねえよう、話し方にゃ気をつけた。冥界にまつわる数少ない言い伝えの中で、死者たちは生きてる者を妬み、嫉むって聞いたことがあったから。
――死んでいない者が、どうしてここにいる。
しばらくして、円の外にいる死者たちが一人一人、口を開き出した。
――私たちは死んでるのに、あなたはまだ生きてる。
――同じ冥界にいるのに、なぜお前だけ。
――不公平だ、不公平。
――依怙贔屓よ。きっとこの子、気に入られてるんだわ、神々に。
――神々か。あの気まぐれな、天上のお偉方。
――気に入らない。やはり、お前も私たちの仲間になるべきだ。
――そうよ。友達になりましょう、私たちと。
――みんなそろって、同じ色に染まればいい。君も、私たちも。
――そうだ。それが一番、安心できる。
死者たちの声が、また不穏な響きを帯びてきたのに合わせ、俺はすぐさま次の一手を打った。ふん、と鼻を鳴らして、その場にどっかりと腰を下ろしたんだ。
二本足で突っ立ってるより座ってた方が、また寄ってたかって引っ張られても腰をすえて抵抗しやすい。それに……意地でもこの場を動かねえからなって、無言の意思表示でもある。
座り込んだところで膝に肘を載せ、ゆっくりと周囲の死者たちを見回した。
冥界の住人たちを前にしても、まるで動じることなく、悠然と構える大物。死者たちにゃ、そんなふうに見えてるといいんだが。
そう――今の俺の振る舞いは、みんなお芝居、はったりだ。
落ち着き払ってるように見せかけてるが、内心はといえば戦々恐々。胸の太鼓がドンツク、ドンツク高鳴って、死者たちにも聞こえてないかと気が気じゃねえ!
やっぱり俺は、神々のように……あの人み(おっさん)てえに、堂々とはできねえや。
いつか追いついて、隣に並んでみせたい。後ろから呼び止めて、振り返ってもらいてえ――胸の内でこっそりそう思ってる神様の背中が脳裏に浮かんできて、小さく一つ、溜め息をつく。
せめて、デュラムみてえに平然とすました感じ、サーラのように強気で物怖じしねえ雰囲気が、少しでも出てるといいんだが。
「……俺の事情は、話せば長くなるからさ」
緊張で今にもはち切れそうな内心を必死に押し隠したまま、あんたらも座ったらどうだ? と、目で促す。まるで、これからお客たちに自作の詩を歌って聞かせようとする、吟遊詩人のように。
これより始まるは、冒険者フランメリックの物語。剣の腕に覚えはあれど、他にはさしたる取り柄もなき人間。されど多くの仲間に恵まれて、数々の苦難をくぐり抜け、今、半死半生の身ながら冥界に、足を踏み入れし男の冒険譚。今宵この宴の場にお集まりのご一同、いざ焚き火を囲み、我が竪琴の調べを聴き給え――ってさ。
俺の勧めに応じ、一人、二人と腰を下ろす死者が現れるまで、大して時間はかからなかった。




