第21話
「そっか。俺……勝ったんだな」
それを知って、ほっと一つ、溜め息が出た。
けど、まだだ。気を抜く前に、やらなきゃならねえことがある。それは……。
「フランメリック様! ああ――お見事でしたわ」
たたたっと、軽い足音がして、巫女様の声と気配が近づいてくる。
「巫女様……あんたさっき、すてんと転んでなかったか?」
「気のせいですわ。そんなことよりフランメリック様――」
俺の突っ込みは、あっさり受け流された。
「あの蛇竜を打ち倒すほどの武勇、やはり間違いありませんわ。あなたこそ予言された救世の勇者様。忌まわしきヴァハルが支配する冥界の牢獄よりリュファト大神をお救いになり、この世界に光を取り戻すお方……!」
巫女様の普段よりいくらか興奮気味な声は、右手から聞こえてくる。細くしなやかな指で、腕にそっと触れられた。左手に立つ冒険者さんと二人で、俺を左右から支えてくれるようだ。
一瞬「両手に花」って言葉が思い浮かんだが、嬉しいかと言えば、全然そんなことはねえわけで。あいにく冒険者さんは本日出会ったばかりで名前も知らねえ人だし、巫女様も腹の底で何を考えてるのか読めねえ相手だからな。
こんなときこそ、あいつらが――仲間がそばにいてくれりゃ心強いのにって、改めて思った。
「約束だ。話を聞かせてくれ」
すぐ隣に立って、武勇だのなんだのと賛辞を重ねる巫女様に、俺は乾いた声で頼んだ。
「ええ、それはまた後ほど。今はお怪我の手当てが先決ですわ」
「いいからすぐ、この場で頼むぜ。立ち話でもいいからさ」
いら立つ気持ちをぐっと奥歯で噛み潰し、重ねて頼む。
「いけませんわ。毒も受けていらっしゃるようですし、急ぎませんと――」
「だから早く、教えてくれって言ってるだろ……!」
思わず、語気がちょいと荒っぽくなった。
「フランメリック様……」
俺の名を口にする巫女様の声が、怯えの響きを帯びた。
こっちは視界がぼやけてるせいで、巫女様がどんな顔をしてるかわからなかったが、あっちから見た俺は眉根をぐっと寄せて、かなり険しい表情をしてたんだと思う。俺の腕に触れてた手が、びくっと震えたくらいだからな。
また怖がらせちまって申し訳ねえが、こっちだって必死なんだ。今までみてえに、のらりくらりと話を逸らされたり、茶を濁されたりしちゃかなわねえ。
「……すまねえ。ちょいと言い方、きつかったよな……っと!」
「――つかまって、しっかり」
わびてる途中でめまいがして、ふらりとよろめいたところを、傍らの冒険者さんが支えてくれたおかげで、どうにか踏みとどまった。
まずいぜ。視界だけじゃなくて、意識にまで靄がかかってきやがった。巫女様の言う通り、早く手当てを受けねえと命にかかわるのかもしれねえ。
けど……それでも、俺は――。
「勇者様。今はひとまず神殿へ戻りませんこと? 手当てを受けていただいて、お話はその後ゆっくりと……」
「……巫女様。俺のことはいいから、頼むぜ……!」
ぼんやりする頭を押さえ、からからに干上がったのどから、声を絞り出す。
「いい加減、もったいぶらずに教えてくれ。サーラを助けるには、どうすりゃいい? あんた、知ってるんじゃねえのか、あいつにかけられた呪いを解く方法――」
それに、おっさんを冥界から連れ戻す術も――と、心の中でつけ加える。
「俺はあんたに言われた通り、竜を倒したんだからさ。今度はあんたが、約束を果たす番だ。そうだろ……?」
「……あなたは負けない人ですわね」
巫女様が、ぽつりとつぶやいた。
「この島の魔物たちにも、その首領格だったあの竜にも、リュファト大神からお告げを授かるこのわたくしにも。もしかすると、神々にさえ――」
それから不意に、こっちへ両手を伸ばしてきたかと思うと、俺の顔を挟むように、左右のほっぺたに触れる。
「あ……み、巫女様?」
今度はこっちがびくりと身をすくめる番だった。今まで隔たりを感じてた異性に、いきなりそんなふうに距離を詰められちゃ、驚いちまう。もっと意識がはっきりしてたら、跳び上がってたかもしれねえ。
「ご安心なさって、フランメリック様」
巫女様はそのまま、優しく語りかけてくる。夜、眠れねえ子のそばに寄り添って、寝かしつけるお袋さんみてえに。
「わたくし、リュファト大神にかけて、約束は守りますわ。だから今は、ご自分の身を大切になさってくださいまし、勇者様」
「――」
一月前に初めて会ってから今日まで、敵か味方か、どうにも判断し難い人だってのは変わらねえが、今の巫女様からはふわりと包み込むような優しさを感じる。それに、これまで見せなかった誠意というか、誠実さも――。
相変わらず俺なんざを勇者扱いして、その真意は不明だが、少なくともさっきの約束は、守ってくれそうな気がするぜ。
「……信じても、いいのかよ?」
「ええ――もちろん、ですわ」+
単なる偶然か、それとも神々が気まぐれに示した粋な計らいか。霞がかってた視界が束の間晴れて、巫女様がうなずく瞬間が、はっきり見えた。
それでやっと、安心できたのかもしれねえ。今度こそ、気が抜けた。
目に見えねえ、けどずっしりと重いもんがのしかかってた肩が、翼でも生えたみてえにふっと軽くなる。代わってどっと押し寄せてきたのは、抗い難い疲労感と、眠気の波。
「そちらの冒険者様たち、三人で先に神殿へ戻って、神官長に言伝をお願いしますわ。毒消しと精力増強のお薬、それから清潔なお着替えと、寝台を整えた一室を急ぎ用意してほしい、と。
それともう一つ、麓の町へ――イスティユへ行って、〈海精の(セイレーン)誘惑亭〉という宿にも知らせを……」
精力増強ってのは、疲れがとれて元気になるってことで、変な意味はねえよな……?
巫女様が、俺の傍らに立つ冒険者さんのお仲間――姿を見せて以来、全然しゃべらねえ三人にあれこれ頼むのを聞いてるうちに、瞼が下がってきた。芝居の一幕が終わったことを告げるために、舞台の上から下りてくる、分厚い緞帳のように。
もちろん、これで悩みや憂いが、きれいさっぱりなくなったわけじゃねえ。
この先、サーラの呪いは本当に解けるのか。冥界に捕らえられてる、おっさんはどうなる? 太陽が雲に隠れたまま姿を見せねえ、この世界の未来は? 他の神々にもう一度協力を頼みにいったアステルは――それに一月前、冥界への招待状を届けにきた死神の四人組や、俺たちを魔法でこの島へ送った火の神メラルカは今頃、どうしてるのか……。
――おいっ、フランメリック! 私とコロポのことを忘れていないかっ? この薄情者めっ、森の神ガレッセオにかけて、今度会ったときは覚悟しろっ!
――ふんだ。どうせ坊や、あたいとナキシュのことなんて、ど忘れしてるんでしょ? いいもん、あたいには父様がいるんだから、坊やに構ってほしいなんて、全然思ってないんだからね!
と、誰か二人の声が今、聞こえた気がするんだが。今日はもう、頭の中がごちゃごちゃして、誰だったか思い出せねえよ。
まあ、とにかく――だな。頭の中は依然、悩ましい疑問符でいっぱいだが、とりあえず今は――今だけは、休んでもいいよな……?
そう思った直後、俺の意識はぐらりと傾き、深く暗い眠りの淵に呑み込まれていった。
……。
…………。
…………………。
………………………そして。
そして、目を覚ましたとき。
どういうわけか、俺は冥界にいたってわけだ。




