Reason
一度だけ、孔世ユウヤと会話をしたことがある。
それは孔世ユウヤと教員の面談を立ち聞きしてしまったことが原因だった。
もちろんわざとではなかった。
立ち聞きなんてせせこましいこと、まっとうな人間のやることではない。
お互いの小さな気遣いこそが、気持ちの良い社会生活の基本なのだから。
たまたま孔世ユウヤの後にその部屋を使う用事があっただけだ。もっと言えば、まさか面談なんてアナログなケアを受けなくてはならない者が自分以外にいるとは思っていなかったのだ。
『孔世くん、少し前までは君はあんなに優秀だったじゃないか、だと言うのに最近はいったいどうしたんだい?』
あの頃の中年教員はまだオイルをべちゃべちゃと塗りたくって髪の量を誤魔化していなかったと思う。
自分には生徒のことを何でも知る権利があるみたいな、いつもそう言う顔をしていて、実際ルイにもそんな言葉でここに来るように指示してきた。
『意味が無いかなって』
あんまりカリキュラムの進行が離れている人と話をすると、進んでいる方はこんな言い方をする。
『意味が無いだって?』
上擦った声で中年教員は孔世ユウヤを問い詰めた。いや、否定にかかったのだ。
『では君が手にいれた数々の権利はなんだというのかね? 緊急時の放送室へのアクセス権、糧食施設への立ち入り権、緊急通路の一部見取り図の閲覧権!』
声を荒げるようなことはしない。
ランチのハーブチキンをビックサイズでおいしそうに頬張っていたのだから、彼は午後だってリラックスしている。
『いいかい? 孔世くん。君よりカリキュラムが進んでない生徒はね、君の所持するフィルムがどんな仕事に必要になるのかさえ知らないんだ。それでも意味が無いって言うのかい?』
二十四歳になるまでのカリキュラムの進行度によって就く職業を選ぶことが出来る。
自分の知っている職業から希望を出すのだ。一部のネームバリューのある職業を除き、重要な仕事はカリキュラムを進めなければその存在を知ることさえ出来ないままだ。
『センセイ、ボクはね、別に歴史司書になりたいわけでも無ければフィルム監督になりたいわけでもないんだ。ただ、そう言う資料を閲覧できるようになるにはカリキュラムを進めなければならなかったから進めただけで、実際に閲覧してみてもボクにはなんにも起こらなかったんだ。欲しいものは何も得られなかった。だから、意味が無いんです』
声のトーンや速さに乱れはなく、淡々と淀み無く。
ルイには孔世ユウヤがなぜそんなことを言うのか理解ができなかった。それはルイだけでなく、中年教員にとっても同じだった。
『はあ、よく分からないけど……、とにかくカリキュラムはきちんと進めるべきだ。じゃなきゃ後悔することになるし、なによりまっとうじゃない。この言葉を聞き入れればきっと未来で君は私に感謝するだろうし、そうじゃ無いなら君は恐ろしく後悔することになる』
それから、中年教員は椅子に深く座り直し、
『じゃあ行くと良い、それからよく考えて。君が幸福になれる選択をする事を私は望んでいるよ』
それから、孔世ユウヤは部屋を出て来て、ばったりとルイと顔を合わせると目を大きくして、それから「やあ」なんて軽く手を上げて横を抜けて行った。
その背中をルイは少しの間見ていて、ふと、声を掛けた。
『ねえ、欲しかったものってなに?』
孔世ユウヤは足を止め、首だけで振り返ると、
『――』
そう言って、今度こそ歩いて行ってしまった。
ルイには孔世ユウヤの言ったことの意味がやっぱり理解出来なかった。
だけど、そこにはなにかがあったような気がした。
「『鬼』ってなんですか?」
籐派セラが真っ先にした問はそれだった。
それに対してモモとだけ名乗った桜色の髪の彼女はこう答えた。
「エスパー、シャーマン、魔法使い。スーパーマンとかでもいいんじゃない?」
言ってることが意味不明で、こちらに納得を与えようとする意図の一切が感じられなかった。
それに態度も最悪だった。
人というのは、自分が求めたときに蔑ろにされることに酷い不快感を覚えるものだ。それなのに、レーションの野菜スープを啜る合間に、ついでと言わんばかりに咀嚼しながら答えたのだから。
籐派セラはあからさまに憤慨した。
それから責め立てるようにルイを睨んで、戸惑うルイを見て頼りにならないと分かると嘆息したのである。
「じゃあ、どうして孔世くんは私達を襲うんですか?」
「頭がおかしいからでしょう?」
ルイも全く同意見だ。
どうしてか、籐派セラはその回答に酷く憤慨した。
「もういいです!!」
顔を真っ赤にして立ち上がったから、彼女の分のスープがひっくり返りそうだった。
きっと、ストレスだ。
いつもにこにこの彼女だって人間だ、思い通りにならないことが立て続けに起これば、癇癪をおこして当然だ。
ルイは、拳を握りしめる籐派セラへ話しかけた。
「落ち着いてよセラさん。モモさんは必要だ」
言ってから後悔した。
キッと、強い視線で睨まれたからだ。
どうしてそんなことをされなければならないのだろう。
ルイはカリキュラムの通り、憤る彼女に冷静になることを促しただけだというのに。
籐派セラは、やがてキツイ目をやめて、今度はくしゃりと顔を歪め、ルイに飛びついてきた。
「だって、こんなのおかしい、おかしいよッ! なんで、なんでちゃんと答えてくれないの!」
もう諦めてはいたのだ。
籐派セラの一番近くでその綺麗な声を聞く権利の代償として、籐派セラに触れられたりするのは、仕方の無いことだと受け入れたはずではあるのだ。
しかし、やはり顔に出てしまうものだ。
奥歯を噛んで堪えようとするルイをみて、籐派セラは、俯いた。
「……そうだよね、一番我慢してるのはルイくんなのに、私って……。でも、だから私だけはルイくんを……」
こんなにも情緒不安定になるなんて彼女はよっぽどストレスが溜まっていたらしい。
ルイはあまり効果を実感しなかったが、もしかしたら一週間に一度、メンタルケアのために設けられていた地上の映像を見つづけるだけのカリキュラムは重要だったのかもしれない。
現在位置、泳葬場フロア――教科区フロア間、非常用連絡通路。
ルイは籐派セラと供に、モモの先導で、一般居住区画にあるパイプステーションを目指していた。




