Tears
街が燃えて、ヒトが焦げて、空が黒い雨で慟哭する。
そんな映像をルイはずっと見続けていた。
いつか孔世ユウヤが言っていた。
―― 欲しいものってなに? ――
―― 涙、だよ ――
ルイは泣いたことなんてない。
どれだけ、感動的だと言われる映像作品を見ても、大腿を殴ってみても、眼球に指で触れてみても、涙を流せやしなかった。
もっと痛くなればと思ったけど、それ以上をやろうとしてもどうしても出来なかった。 思いっきり頭をぶつけようとしても、身体が勝手にセーフを掛けてしまって、血が出るほどの自傷はできなかった。
だって、怖い。
痛みの予測はルイの行動を引き留めてしまう。
やろうとすると、ぶるりと震えてしまう。
眼球を押す指も、これ以上はきっと取り返しがつかないと思ったところで、どうしても力が込められなくなった。
この一線は、きっとルイじゃあ越えられないのだと理解するのに、時間はかからなかった。
めちゃくちゃになった特別教室。
ルイは最前列に机と椅子を置いて、もうずっと孔世ユウヤが見ていた戦争フィルムを見続けていた。
本来、権限を持たないルイが閲覧することは許されないが、もうルイはつまはじきものだ、関係ない。
涙は一滴も出てこなかった。
涙は痛みや悲しみに伴う生理現象だ。
だから涙を流さないことは健全と幸福が守られている証拠だとルイは信じていた。
孔世ユウヤがそんなものを欲しがるのは、彼が変態だからだと思っていた。
そんなものでもいいから、いまのルイは欲しかった。
孔世ユウヤが涙を手に入れたことで、病気持ちにもかかわらず何かになれたというのなら、ルイも『涙』が欲しい。
映像の中では何人もの人間が死を繰り返していた。
いくつかは再現VTRだ。手作りの死の演出に過ぎない。
だけど、ルイの目にはそれらが本物として映っていて、フィルムの中のヒトが死んでしまったと認識し続けているはずなのに、その事実以上にはやっぱり辿たどり着けなかった。
それ以上の場所に、きっと目的の『涙』はあるというのに。
「はあ」
じゃあ、どうしたら良いというのだろう。
カリキュラムなら進める度に、次にやらなきゃいけないことがあった。
自分で何かをしたらいいのか考えるなんて理不尽なことは無かった。
誰も隣にいないからマネをすることも出来ない。
暗転したフィルムがリピート設定に従って再び冒頭から再生を始める。
抑揚のないナレーション。
ブルースフィアでは見られない、手入れさえままならない広大な森林、非効率な構造物、必要性を疑う高いタワー。
それら一切が破壊されていく。
ナレーションはその破壊行動の根底にあるのは、悪意と身勝手だと語る。
協力と共存、人間に許された人間らしさを放棄した末路だと。
そんなことをしでかす理由が分からない。
協力も共存も健全な社会の維持に必要なものだと、カリキュラムは言っていた。そして、健全な社会の維持は自己の生命を保つために必要なものだ。
どうして、自分の利益を破壊する活動をする必要があるというのだろう。
悪意と身勝手は何を目的にして、発生するのだろう。
もしかしたら、それこそが、ルイにとって必要なものなのかもしれない。
孔世ユウヤはストレンジャーだった。
その在り方はカリキュラムを根拠にすれば、正しくはない。だって、彼は誰とも協力しようとはしなかったのだから。
しかし、実際彼は優秀だった。
それに、欲しいものを手に入れている。
ぴんと、閃いた。
だったら、ルイもワルになったらいい。
そうと分かれば、あとはやることだ。
どうやって、ワルになったらいい?
彼のように殺しをして回ろうか。
「うへえ」
考えただけで吐き気がした。
だれが、他人の血を吸うなんて、便器を舐めるのと同じレベルの不衛生だ。
マネなんてできっこない。
ようは、誰かを殺したら良いのだ。
だって、生命の維持はカリキュラムでもっとも重要視されていたことだから、それに背くことをしたら立派なワルだ。
じゃあ、誰を殺したら良い?
考えて、考えて、……結論が出ない。
誰を殺したら良いのか、誰一人として、候補が出てこない。というか、特定の一人が出てこない。
歩き回って、最初に出会った人を殺せば良いだろうか。
考えていると、フィルムのパートが変わった。
火傷を負いながら、火だるまになった子供を抱いていた女性が、銃を構えた男性に瓦礫で殴りかかっている。
ナレーションは、彼女は幸福を破壊されたために、復讐を果たそうとしていると解説していた。幸福の崩壊は、連鎖的な不幸の呼び水になる。そのことを表現しているパートだ。
それを見て、もう一度閃いた。
今日はよく冴えている。
きっと、カリキュラムをやっていたら順調だったに違いない。
一人、いる。
フィルムの内容を参考にすれば、殺したくなったって仕方が無いと思えるような、そういう動機を抱くべき相手が、たった一人だけいる。
ソイツはルイから幸福を奪い、大切にしていたものを奪い、病気を移して不幸にしたヤツ。
孔世ユウヤだ。
ルイは孔世ユウヤを殺したら良いのだ。
やることが分かるということは、こんなにも晴れやかな気持ちにさせてくれるものなのだろうか。
ルイは椅子から立ち上がって、それから、ちょっと考えて、両手で思いっきり机を押した。
がっしゃんと、騒音を立てるから思わず耳を塞いだが、倒れた机を見て、難しいカリキュラムをクリアしたときみたいになんだか胸が空く思いがした。
もう、ルイは立派なワルだ。
だって、殺しをしようなんて考えているんだから!
机と椅子の残骸の間を抜けて、途中で籐派セラの喉を貫いた棒を拾い上げた。
ぶんぶんと、振ってみて「よし」と肩に担ぐ。
こう言う行為を、いったいのなんと言うのだったか。
「そう、『復讐』だ!」
なんだかカッコいいじゃないか。
「ボクは、これから『復讐』をするんだ!」
うんうん、良い感じだ。
ちゃんと復讐ができたらルイも『涙』を手に入れることだろう。
ようやくルイもこの教室を出て行ける。行くべき場所が見つかったから歩いて行ける。
すっきりした気持ちで、とうとう、ルイも特別教室を後にした。




