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Tears 2


 どこに行くべきなのかは、少しだけ迷った。

 孔世ユウヤは待っているなんて言っていたけれど、場所を教えてくれたりしなかったから。


 だけど、ルイの足はすぐに泳葬場を目指した。

 彼は『光』を思い出せとも言っていた。ルイにとって『光』がある場所は泳葬場だけだ。

 深海の闇の向こうに瞬く光。

 初めてそれを見た日から、ルイが泳葬場で過ごす時間は多くなった。

 ただずっと、深海の闇を見つめ、その光が何処かに瞬いてやしないかと、探し続けた。

 籐派セラとモモといっしょに歩いた道をそっくり引き返して、静まりかえったエリア27を歩いて、ルイは泳葬場を目指した。


 急いていた気持ちがいつの間にかルイの足を早足にしていたからだろう、解放されたゲートを潜ったときには、ルイは息を切らしていた。

 学生会や、避難していた生徒、救助隊は見当たらなかった。

 ルイがフィルムに夢中になっている間にとっくに避難は終わったのだろう。


 今日も泳葬場のガラス板の向こうには深海が広がっている。

 ブルースフィアの外に広がる闇に、人は生きていけやしない。ときどき、そのことをルイは忘れてしまう。

 この深海の中の球状世界はあまりに安穏としていたから。

 ここで、深海の景色を見つめるときだけ、なんとなくそのことを思い出していた。


「来てくれて良かったよ、どうやら間に合ったみたいだ」

 孔世ユウヤはいた。

 モモに斬られたから、片腕の袖はぺちゃんこで、空調の風にゆらゆらと煽られていた。


「あと数日で、地球機構はこのエリア27を沈める。そして、ステーションの最終便にボクらの席は用意されていない。ボクらがどれだけのことができたとしても、どうにも出来やしないんだ」

 孔世ユウヤが何か言っているが、ルイが知ったことじゃあなかった。

 ぎゅうっと、孔世ユウヤを殺すための武器を手の中に確かめて、ルイは孔世ユウヤに向かって歩いて行く。

 ルイの目的はたった一つだけ、孔世ユウヤをこの手で殺すことだけだ。


「ルイくん?」

 どくどくと、今までに無いくらい大きな心臓の音が聞こえた。

「はあ、はあ」

 寒気にも似た、背中の毛が逆立つ感覚。


 きゅうと、いま、全身が心臓へと縮小しようとするみたいな、震え。

 いま、ルイはまさに、最悪なことを実行しようとしている。

 その事実の認識は、心の戦慄きとなって、ルイを陶酔させた。

 思いっきり振りかぶって、ルイは、孔世ユウヤめがけて棒を振り下ろした。


 ぴりりと、また頭の奥の方でシビれを感じた。


 ルイが振り下ろした棒は、孔世ユウヤの顔の横でビクリとも動かなくなっていた。


 それだけでも、十分すぎた。

 今度こそ確信だった。

 やはり、『殺し』をすることこそが、ルイに何かをもたらしてくれる。

 古典文学で見た『心』の描写、戦争フィルムに登場した雄叫びを上げる兵士。それらはフィクションでは無かった。

 いま、ルイは、意味も無く叫びたい気持ちや、自分の内側が激動し、渦を巻いて、様々に移ろう未知を手に入れていた。


「ふう、ふう」

 鼻息が荒い。

 視界の中に、エフェクトのような光がチカチカ舞っている。


「これは、どうしてだい?」

「どうして? ボクにはきみを殺す理由があるんだ。だからそうしてるんだよ。きみはボクからカリキュラムを奪った、幸福から引き剥がした。だから、ボクはきみを殺すんだ。そうすることこそが、当然のことなんだろう!」


 孔世ユウヤは考えろと言ったんだ。

 だから、ルイは考えて、正しい結論を見つけた。


「そうか、きみは他者を徹底否定することに、自己変革を錯覚したんだね」

 孔世ユウヤは眉を寄せた。


「違うんだよ、それじゃあダメなんだ」

「ダメじゃ無いさ、いま、ボクは新しいことが分かったんだから!」


 力を込めるが、ビクリともしない。

 じゃあ、もっと、力を込めるんだ。

 そうして、必ず孔世ユウヤを殺すんだ。


「たしかに、ボクはカリキュラムを捨てろと言った。そして、『殺し』はカリキュラムの定める最大のタブーだ。でもね、いまのきみが酔っているのは、ただのカリギュラだ。きみは見つけようとしてるんじゃ無い、自分を壊すことを楽しんでいるだけだ」


 壊したのは孔世ユウヤだ。

 だから、ルイは同じように孔世ユウヤを壊すのだ。


「きみだって人を殺してたじゃないか! きみはボクと同じだって言ったよね? じゃあ、ボクだって殺しをしたらきみみたいに『涙』を手に入れることができるはずだろう!」


 棒が、ズッと沈んだ。

 もう少しで、孔世ユウヤに届く。


「……そっか、そうだね」

 そらみろ、認めた。

 やっぱり、孔世ユウヤはデタラメを言って殺されないようにしようとしてたんだ。

 その手には乗らない、ようやく見つけたたった一つだけの手段なんだから、必ずやり遂げてやる。


「あの、涙は、彼女の涙だった。彼女がそれをボクに分けてくれたから、ボクはようやく『人』になれた。じゃあ、そうだね、今度はボクがきみにしてあげるべきだろうね」

「そうだよ、ボクのために殺されてよ、だって、きみがボクを不幸にしたんだから!」


 孔世ユウヤは、深呼吸をしてから、そっと、顔の横に迫っていた棒を掴んだ。

「ねえ、ルイくん。きみにとって、ボクはなんだい?」

 そんなことは、決まっているだろう?

「ボクを不幸にした、ボクが殺すことが当然の相手」

「……うん、わかったよ」


 じゃあ、殺されてくれ!


 ルイがさらに体重を掛ける。


「ルイくん」

 孔世ユウヤが、ルイのことを睨み付けてきた。

 そして、掴んでいた棒を、払いのけると、たたらを踏んだルイの胸ぐらを掴み上げ、投げ飛ばしたのである。


「ぁっ!」

 背中を打ち付けて、強制的に空気が吐き出される。

 頭も打った。

 手を回したら膨らんでいる。たんこぶなんて初めての経験だ。


「なんで、さ」

 なんで、ルイがこんなことをされなくてはならないのだろう。

 ルイはただやられた分をやり返そうとしただけだ、それなのに、どうして、孔世ユウヤにルイが投げ飛ばされなくちゃならないのだ。


「わからないから、教えてあげてるんだよ」

 近づいてきた孔世ユウヤは、今度は足を後ろに引いたのだ。


「えっ?」


 お腹に、孔世ユウヤの足が吸い込まれていくのが見えた。

 まさかと思った。


「やめ――」

 言い切る前に、ルイの身体は蹴り飛ばされていた。


 視界がぐるぐると錐揉みした。

 身体が痛い。

 右肩と、足、それに、鼻の頭と額が特にだ。痛みの波がずくずくと内側にしみこんでくる。


 お腹がすごく痛かった。

 だめだ、堪えろ、だって、汚い。

 でも我慢なんてできなかった。

 喉がせり上がり、みぞおちがひっくり返ろうとしているかのようだ。


「ぅおええ」

 熱が、内側から喉を焼いて上ってきた。

 口を押さえる。

 上ってきたかたまりはギリギリのところで止まってくれたが、唾液が沸いて止まらなくて、指の間が悪臭と粘性のせいで最悪なことになった。


「うぇ、えぉ」

 えずきの次は、咳だった。

 苦しい、呼吸が出来ない。

 息を吸おうとする度に、じゅじゅっと音が鳴ってまともに鼻呼吸ができない。

 口を大きく開いて息を吸って、大きく咳き込んだ。


 べっちゃりと、手の平が濡れた。


 ルイは、それこそ、どういうことか理解できなくて、意識を空白にした。


 血だった。


「いや、えっ、な……」

 とっさに顔を押さえる。

 どくどくどくと、脈動が焦燥を誘う。

 やだ、やだやだ。

 血が止まらない、鼻の穴からずっと垂れ流しだ。こんなに血を流しちゃいけないのに、止まってくれない。


「はっはっはっは……」

 必死で口呼吸して、鼻を押さえたが、ダメだ。


「うえっへ、っは、おえ」

 逆流した血が喉に入っていこうとして、生理現象で、咽せる。

 また、手の平が泡立つ血液や、鼻水と混じった赤黒いかたまりで塗れた。


「ああ、ああ」

 いたい、いたい、いたいっ!


「わかったかい?」


 ぎょっとして、顔を上げる。

 孔世ユウヤが前のめりで見下ろしていた。



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