Reason 12
困ったことになってしまった。
倒れた籐派セラを見下ろす。
彼女から流れ出た血が膝先にまで近づいてきたから、ルイは後退った。
これからどうしたら良いのだろう。
もうルイにはなんにも無い。
それに特別教室から出るには籐派セラを頼らなくてはならなかったのに、これじゃあ、ドアを開けてもらえない。
もしかしたら、彼が開けてくれないだろうか。
期待して孔世ユウヤを向いてみたが、彼は口をへの字にして、自分の手を何度も閉じたり開いたりをしていた。
「君を引き留めるものはこれで無くなったはずだ、ルイ君。後は受け入れるだけだよ」
孔世ユウヤが言う。
「分からないよ。さっきから君はずっとよく分からないことばかりを言うんだ。ボクはどうしたらいいのさ」
病気になったルイはもうカリキュラムをやったって仕方ない。
きっと、他の病気持ちも同じ気持ちになったから、好きにやり出したのだ。ようやくルイにも分かった。
健全じゃなくなったルイをカリキュラムは守ってくれない。もう幸福になる権利はルイには無い。
目線を落とす。
かろうじて指先が動いているのが確認できる籐派セラ。
彼女の声ももう、失われた。
もう、ルイが幸福になるための道標はどこにだって無くなってしまったのに、何をしろというのだろう。
孔世ユウヤは、眉を寄せると、首を振ったのだ。
「自分で決めなくちゃいけない、世界と向き合わないと。きみが自分しか見ようとしない限り彼女の歌は君に届かない」
さっきから、彼女の歌って、いったいなんのことだ。
一番聞きたかった籐派セラの歌はもう二度と聞けなくなってしまった。
藤派セラ以上の綺麗な歌なんて、誰にも歌えるはずがない。
どうしたら良いか知っているなら、教えてくれたって良いではないか。
少なくともカリキュラムでは知識が不足している者は、補助するべきだと言っていたのに。
何がいけないのだろう、ルイが彼に何をしたというのだろう。
怒鳴ったのがいけなかったのだろうか、でも、それは彼にも悪いところがあったはずなのに。
考えていると、孔世ユウヤが再び口を開いた。
「ルイ君、ボクらは同じものを望んだはずだよ。『光』を覚えているだろう? 思い出したらきっと見える、だから――」
ドオウッ
重い音が特別教室に響いた。
ドンッ、ドンッ
乱暴なノックに、ルイは身をすくませた。
特別教室のドアがアラートをかき鳴らす。
『ただちに衝撃を加える行為を中止しなさい。施設が破損します』
機械音声が大音量で制止を呼びかけている。
それでも、ドアの向こうの破壊者は聞いてやろうとはしなかった。
何度も強い力がドアを打ち叩いて、ついに、ガッゴッと、ドアの真ん中が凹み、ドアレールから外れて吹き飛んだのだ。
踏み込んだのは、桜色の髪の少女だった。
「ああ、いた。そんな気がしてたの、やっぱりちゃんといたわ」
既に抜いている長大の凶器の鈍色には赤が伝っていた。
「きみが来たのか」
孔世ユウヤが苦々しげに言う。
彼にとってモモに会うことは都合が悪いことらしかった。
「うん、アンタはちゃんとしてるわ。だって、殺せ殺せって言ってくるもの」
モモはルイとセラには目もくれなかった。
にんまりと、孤に両唇端をつり上げてから、孔世ユウヤめがけて突進した。
進むために邪魔な椅子やデスクを、なんにも考えずに片手で払いのけるものだから、つぎつぎと飛んだそれらが壁や天井に当たって破損していく。
孔世ユウヤがモモから逃れるために飛んで跳ねて逃れようとするものだから、被害はどんどん激しくなる。
「きみに殺されるわけにはいかない」
孔世ユウヤが手の平をモモへ向けた。
頭の奥にざらりとした気持ち悪さを覚え、ルイは額を擦った。
次に起こったことはまるで手品だった。
吹き飛んだデスクや椅子から分離した脚部分が宙空で一様に鋭利に成形され、モモめがけて四方から迫ったのだ。
「そんなことわたしの知ったことじゃあないわ」
モモに刺さる直前、全てがひしゃげて、からんからんと転がった。
モモは、自分のこめかみに人差し指を立てて、孔世ユウヤに言うのだ。
「わたしのここが殺せっていうから殺すの。それだけよ」
ぎぃいん
近くにあったデスクを真っ二つに斬ると、モモは、それを孔世ユウヤめがけて蹴っ飛ばした。
「ッく!」
孔世ユウヤが片手を払い、飛来物が引っ張られるように逸れる。
モモは既に追撃していた。
デスクを八艘飛びに、刀を振りかぶった距離はもう孔世ユウヤの足先から数歩分も無かった。
ズッ、チチッ
舞う飛沫。
ピクリと、宙空で指先が痙攣したのをルイは見た。
彼の右腕の肘から先はもう無い。それは、宙を舞って、ルイの近くに落ちて撥ねて転がった。
「うおおっ!」
腕を押さえた孔世ユウヤが叫ぶと、周囲のデスクが一斉にモモを目標にして殺到する。
「ふぅっ!」
モモはものともせず、泳葬場のときと同じように上体を伏せるほどの低い姿勢で駆け抜け、孔世ユウヤに回転蹴りを見舞い、反対の壁まで蹴り飛ばした。
吹き飛び方がそっくりだったから、きっとさっきのドアもああやって蹴り飛ばしたのだろう。
モモは孔世ユウヤを殺すつもりだ。
ルイには目もくれなかったモモは、あんなにも孔世ユウヤに夢中になっている。
一体全体、ルイと彼とで何がちがうというのだろう。
もうルイも病気持ちになってしまったのに、モモはどうして出会ったときに伝えてきたことをやってはくれないのだろう。
腹立たしさよりも、悲しさの方が大きかった。
結局、そういうことなのだ。
だれも、ルイのことなんて認めてはくれない。
カリキュラムだけを頑張ってきたルイには、それが無くなってしまえばなんにも残ってはいないのだから。
「はあぁ」
深い深いため息を落とし、膝を抱える。
何にも用意できないルイじゃあ、だれとも友達になんてなれない。
バリバリバリッ
孔世ユウヤの背後、黒いスモークでブラインドしていたガラス窓一面に、亀裂が入った。
崩壊の兆し、トドメの一撃を孔世ユウヤは拳を握り、後ろ手で叩き込んだ。
泳葬場から移動してきたときは静かに歩いていたのに、いまは重いブーツをツカツカと鳴らして孔世ユウヤへ向けて歩んでいたモモの前で、ガラス窓が一斉に砕け散った。
「ルイくん、きっと逢いにおいで、自分で決めて来るんだ」
孔世ユウヤはルイに向いて言ってから、降り落ちるガラス片に混じって、窓から身を投げ、消えた。
モモは、じゃりじゃりとガラス片を踏み砕いて孔世ユウヤを追い、窓枠に手を掛けたところで、はたと、止まった。
「ああ、そうそう」
踵で回転、向いた先はルイ。
ツカツカツカ、と。
「あっ」
期待で上擦った声が出た。
それなのに、モモはルイのことなんて通り過ぎて、籐派セラの血だまりを踏むと、倒れた籐派セラの前で、膝頭を立てて、しゃがんだのだ。
「どうぞせらさんわたしとトークしましょう?」
じいと、赤い瞳に、青白く痩けた籐派セラを映して言った。
「ねえ、どうぞせらさんわたしとトークしましょう?」
繰り返しても、籐派セラは答えない。答えられるわけが無い。だって、彼女のキレイな声は失われてしまったのだから。
モモは、首を傾げてから前のめりになって、答えるわけが無い籐派セラの返事を待っていた。
投稿時間のズレはお盆期間のせいです。
休日に書いているから許してください。
朝になるのは、深夜に投稿し忘れているからです。
こっちはごめんなさい。




