Other 2
きみの綺麗な瞳が好きだった。
きみに見つめられているだけで救われた気がした。
あの日。
私たちのエリア27での生活が崩壊してしまったあの日。
かすかに歌を聴いたような気がした、あの日。
私が『殺し』をした、あの日。
教室での惨劇、死への恐怖と、かろうじて残っていた正義感から、なんとかしなくちゃと思って目指した学生会室。
背中がずっとヒリヒリしていた。足の裏の感触も、身体の動きも、宙に浮いているみたいにはっきりしないままだった。
悲鳴と恐怖に追われて廊下を駆け抜けた。
よく知っているはずなのに、エリア27は別の世界に様変わりして見えた。
息を切らせて辿り着いたその場所にも、『鬼』がいた。
見た目はセラよりも華奢な女子生徒が、手を真っ赤に染めていた。
学生会室の中央のデスクの上で、セラに学生会の仕事の指導をしてくれた、少しの憧れも抱いていた先輩に馬乗りになって、残虐な赤色の飛沫で部屋を汚していた。
部屋の奥には、他の学生会がいた。
その後ろには、一緒に避難してきたであろう、生徒が数人いた。
学生会のメンバーは先輩の手がびたんびたんとデスクで撥ねる様を見ながら、他の生徒を守るために、前で立ち続けていた。
さめざめとした泣き声がセラの耳に聞こえた。
なんとかしくちゃと、思った。
みんなの恐怖がよく伝わってきて、お願い助けてという祈りを受け取ってしまって、だから、なんとかしなくちゃって思った。
「はあ、はあ」
荒い息を溜まった唾液と一緒に嚥下して、椅子を掴んでいた。
あの人達は素手で人を引き裂く。
あの人達は怖い笑顔で人を潰す。
あの人達は当たり前のように人を殺した。
その姿は恐ろしくて、化け物染みていて、とても昨日まで同じ場所で同じ生活していた人とは思えなくて……。
だから、その瞬間、忘れてしまっていたのだ。
椅子を振りかぶって、
「あ、ああぁぁああああ!!」
横から思いっきり女生徒を殴り飛ばした。
柔らかい感触だった。
ぐにぃと、沈み込むような手応えの後に、堅さにぶつかり、反動でびりりと手の平に痛みを覚えた。
横っ飛びした女生徒は、壁に頭をぶつけた後、自分の身体に挟まれるような格好になって、めきりと首を垂直に折ってしまった。
あっさりと、あれほどに恐ろしかった『鬼』はセラの直情的な行動で、簡単に死んでしまった。
殺してしまった。
信じられなかった、信じ切れなかった。
手の平に感触がこびりついている。
椅子が、カランと転がって、デスクから落ちる。
この手で、殺しをしてしまったと、信じたくなかった。
「ち、ちが……」
誰にでも良いから弁明がしたくて、首を回すと、さっきまで鬼に向けられていた恐怖の視線が、そっくりセラに向けられていた。
「だ、って、私、ちがう……」
ずるりと、バランスを崩し、手を突いた先は、先輩の亡骸の上だった。
ぬちゃりと、手の平が全部が赤に染まって、滑りが爪の間まで、侵した。
「ちがう、ちがう」
私がやったんじゃない。
先輩は、あの鬼に殺されたのだ。
セラがやったんじゃ無い。
でも虚ろな眼窩はまるでセラを人殺しと責め立てているようで。
「か、ぁ」
どくどくと心臓が煩い、呼吸はいつの間にか忘れていて、再開しようとしたのに、つまりものをしたみたいに上手く出来なかった。
「かっ、ひ」
視界がぐわんぐわんと回っていて、じいんじいんとした耳鳴りの向こうから、名前を呼ぶ声がドップラーしていた。
ぴとり
誰かが背中に触れた。
その感覚だけが、イヤにクリアだった。
「ぃや……いやあっ!」
次には悲鳴を上げてその手を払いのけて、外へ駆けだしていた。
きれいにしなきゃ。
一滴だって、残しちゃいけない。
誰かに見咎められたくなかった。先輩のあの目が瞼の裏側に張り付いていたから、必死で目を開いていた。
シャワールームの洗面台に手を突っ込み、蛇口の出力を最大にして、水が長時間出しっぱなしになっていることを警告するアラートと読み上げ音声も無視して、タオルを何枚も使って手をこすり続けた。
なんども、なんども、なんども。
髪や、服はびしょびしょになっていた。
「なんで、消えてよ、無くなってよ」
手の平から、消えない。
人を打撲するあの感触と先輩の血の滑り。
手の平が覚えてしまった、その記憶がなくなってくれない。
「私じゃ無い、私が殺したんじゃ無い」
だから、やめて、そんな目を向けないで。
だれか、たすけて。
そう願ったときに、君が現れてくれたんだよ。
個室の一つが開いて、男子生徒が中から出てきた。
同じクラスの子。
一人で居ることが多い子。
特別優秀とは言えないけれど、いつも席に座ってカリキュラムを開いている真面目な子。
ぎょっとする私をみて、首を傾げた君は、言ってくれたんだ。
「それだけ洗ったら、もうキレイだよ」
びしょびしょになった私を見る目が、とても純粋に思えた。
「ほん、とう? もう、だいじょうぶ、かなあ?」
「うん、間違いないよ。それだけ念入りに洗ったら、悪いものは全部流れちゃったさ」
うんうんと頷いた君。
しでかしたことを知らない君が、私を責めることなんてあるわけが無いのだけれど、そのときの私は、赦された気がした。
「ありがとう、ルイ君」
そう言うと、君は目をまん丸にして、それから、じんわりと細めて、答えてくれた。
「きみは、とてもキレイだね」
君のその言葉が私を助けてくれた。
その純粋な目は、この世のどんなものよりも綺麗なものに思えた。
その瞳の中にいられるのなら、私も綺麗でいられる気がした。
あんなことをしでかした私でも、大丈夫でいられる気がした。
だから、ね。
私には君が必要なんだよ。
私が生きて行くには君が必要なんだよ。
純粋で、世界に染まらない君が愛おしく思うんだよ。
だから、だから――。
(私を、見て、お願い、ルイ君、君のままで、私にキレイって言って)
こんなにも醜い私を肯定して。
動かなくなるカラダ、ゆらぐせかいときみ。
「ぅい、く」
彼に見てほしくて、籐派セラは名前を呼ぶ。




